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武田二十四将コミュの秋山新左衛門信任

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秋山新左衛門信任について語り合いましょう。
秋山新左衛門信任についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋




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秋山新左衛門信任 1507〜1548年

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秋山光任の長男。
秋山氏は、加賀美遠光の次男秋山光朝からはじまる。 秋山光朝が巨摩郡秋山(中巨摩郡甲西町)を領して秋山氏を名のった。 秋山光朝の次男常葉光季、常葉光季の次男常葉光家、常葉時信、常葉時綱、常葉光信、常葉光助へとつづき、 常葉光助の次男常葉光房が秋山姓に戻り、秋山光建、秋山光盛、秋山光方、秋山光季、秋山為光、秋山光利、秋山信利、秋山信房、秋山光任へとつづく。
また秋山光朝は大番制度により源氏と平氏が京都御所を交代で守衛の任にあたっていたときに平氏一門と馴染みを通じ、 小松内府といわれた平重盛(平清盛の嫡男)の娘を娶っていた。そのことを源頼朝に忌避され殺害されてしまう。母方の小松姓を名のって世を忍んでいたともいわれ、いずれにしても世に秋山姓が復されたのは後のことである。
戦国期になり、永正4年(1507年)には、秋山光任は油川信恵に与し武田信虎と敵対するが、 油川信恵が討たれた後は武田信虎に従った。以後は秋山光任、秋山信任は武田信虎の重臣として仕え、 秋山信任自身も「信」の字を賜っていおり、長男秋山信友も「虎」の字を賜ったほどであった。 武田信虎が武田晴信に追放されて以降も、武田晴信に仕えた。
秋山信任には長男秋山伯耆守信友、次男秋山平十郎信藤(秋山伯耆守光家)がいる。 秋山信藤には長男秋山平十郎信時、次男秋山政時、三男秋山越前守虎康(秋山虎泰)がいる。 秋山虎康には長男秋山平左衛門昌秀、秋山昌秀には秋山修理亮正重がいる。 秋山光任の次男秋山紀伊守忠国(秋山光国)は兄秋山信任とともに武田信虎に仕えた。 秋山光任には長男秋山光英(秋山光秀)、次男秋山光明、三男秋山光清、四男秋山紀伊守光次(秋山光継)がおり、それぞれ武田晴信に仕えている。
秋山光次は武田勝頼の竜朱印状奏者であり、永禄5年(1562年)武田勝頼が高遠城を守るときに付属された侍隊将8人の1人。天正10年(1582年)3月武田氏滅亡のとき天目山田野で殉死した。
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