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武田二十四将コミュの栗原左衛門佐昌清

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栗原左衛門佐昌清について語り合いましょう。
栗原左衛門佐昌清についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋




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栗原左衛門佐昌清 1505〜1552年

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栗原是孝ともいう。 栗原信真の次男。
栗原信真の次男栗原左衛門佐昌清は200騎のを擁する侍大将として、信濃進攻戦に参加。「速攻の栗原」と称されるほどの戦上手であったという。 上原昌辰、小宮山昌友とともに「昌」の字を賜っており、武田信虎時代を支えた主要武将であったと考えられている。
天文12年(1543年)、小田井原合戦で戦功をあげる。天文19年(1550年)には、上原昌辰とともに地蔵峠合戦に出陣し、苦戦していた小山田勢を救援するため、横合いから敵陣へ突入して総崩れ寸前の味方の危機を救ったという。常田合戦で奮戦するもこのときの負傷した傷がもとで天文21年(1552年)4月に没する。全身に矢弾を受ける重傷を負っており、常田合戦から一ヶ月後に死去したという。『古戦録』では栗原是孝とされている。 栗原昌清の長男栗原左衛門尉詮冬(栗原左兵衛尉)は武田晴信に仕え重臣として活躍。 武田晴信から左衛門尉に任じられ、栗原詮冬は、叔父栗原信友から家督を継ぎ、100騎の侍隊将となる。白地に黒の枠を染め抜いたかたちを旗印としていたという。
栗原詮冬の長男栗原左衛門尉信盛は、武田氏滅亡後は、二君に仕えるのを潔しとせず、帰農して旧領地に留まり、その子孫が現存する。また武田二十四将図には恵林寺本にだけ栗原信盛が描かれており、笛吹川沿いの栗原筋に本拠地を構えた栗原氏を地元出身ということで恵林寺本に栗原信盛を登場させているのも納得ができる。 栗原詮冬の次男栗原日向守昌治は武田氏滅亡後は、徳川家康に仕え、子孫は旗本になっている。
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