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武田二十四将コミュの栗原兵庫助信真

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栗原兵庫助信真について語り合いましょう。
栗原兵庫助信真についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋




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栗原兵庫助信真 1484〜1531年

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巨海信真、栗原兵庫、兵部、信実、次郎ともいう。
栗原信尊(巨海信尊)の長男。
武田信虎が扇谷上杉朝興と結んだことに反発し、亨禄4年(1531年)1月21日、 飫富虎昌と語らい武田氏に反旗を翻し甲斐府中を攻める。 諏訪頼満に援軍を要請して、御岳に籠り、武田信虎と戦う。4月12日にも、諏訪頼満、今井信元らとともに塩川河原に出陣し、 武田信虎と戦うが大敗。討死した。
栗原氏は、武田氏の一族。武田信虎が甲斐統一を果たすまで笛吹川中流地域に大きな勢力をもっていた豪族である。その祖は、武田信成の次男栗原十郎武統(栗原七郎)が甲斐東部の栗原郷を領したことによるという。 栗原武統の長男巨海信通から巨海信明、巨海信遠、巨海信友、巨海信重へとつづき強大な勢力圏を築いていく。 巨海信友には長男巨海信重、次男巨海法性、三男巨海三名がいるが、嫡子はおらず、 巨海信遠の次男栗原信続(巨海信続)から栗原信尊(巨海信尊)、栗原信真(巨海信真)、栗原信友(栗原信友)へとつづき、武田惣領職の名にかけて甲斐一国の統一を果たそうとした武田信虎の前に大きく立ちはだかり、最後まで抵抗を示したのが 栗原信尊、栗原信真父子である。 栗原信尊には長男栗原信真、次男栗原昌種(栗原惣二郎)がおり、 栗原昌種は武田信昌から「昌」の一字の偏諱を拝領している。永正元年(1504年)に名が残る(『戦国遺文(広厳院文書)』により)。
栗原信尊、栗原信真父子は武田信虎と油川信恵の争いに加担し、永正4年(1507年)、次男栗原昌種は武田信虎に討ちとられている。
武田信虎はこの栗原一族を押さえ込むのには、相当手を焼いたことが諸書から見られる。 栗原信真には長男栗原伊豆守信友がおり、亨禄4年(1531年)に父栗原信真が討たれてからは武田氏に降伏。甥の栗原詮冬を養嗣子とし家督を譲り隠居しているが、永禄11年(1567年)頃の武田勝頼の栗原信友宛ての書状の文面から、武田勝頼が丁寧な用語を持ってしたためている点を考え合わせると、武田家中では相当な重鎮であったことがうかがえる。

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