ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

武田二十四将コミュの曽根三河守昌長

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
曽根三河守昌長について語り合いましょう。
曽根三河守昌長についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋


-----------------------------------------------------------------------------
曽根三河守昌長 1483〜1540年

-----------------------------------------------------------------------------
曾根昌長、孫四郎、大学助ともいう。
曽根勝家の長男。
曽根昌長は武田信昌の重臣として「昌」の一字を賜る。永正3年(1506年)の棟札銘(『戦国遺文』により)に名が残る。 武田信昌、武田信縄、武田信虎の三代に仕える。 武田信虎の代になっても重臣として仕え、奉行衆に名を連ねた。
父曽根出羽守勝家は曽根中務大輔賢信の三男。曽根賢信には長男曽根信興、次男曽根下野守経家(曽根逆修)、三男曽根勝家がいる。 曽根昌長には長男曽根三河守縄長、次男曽根中務大輔虎長(曽根掃部)、三男曽根周防守虎盛(曽根九郎左衛門昌清)、四男曽根孫助虎吉、五男曽根定次がいる。 曽根縄長は曽根経家の養嗣に入っている。 曽根虎盛は永禄7年(1564年)に長坂勝繁らと談合し、武田義信の逆心を招いたとして、切腹させらている。 曽根虎長には長男曽根孫次郎勝長がいる。 曽根勝長には長男曽根内匠助昌世(曽根下野守)がいる。 曽根定次には長男曽根上野守長次がいる。 曽根長次には長男曽根河内守長忠(曽根七郎兵衛)がおり、上野石倉城城代をつとめる。次男曽根与左衛門家次(曽根与市之助)とともに武田氏滅亡時に運命をともにした。 曽根長忠には長男曽根忠次、曽根忠次には長男曽根吉勝、次男曽根吉正、三男曽根吉久がおり、 曽根家次には長男曽根吉次がいる。
曽根昌世は若くして武田晴信の奥近習として出仕し、騎馬15騎、足軽30人を預かる武将に出世。はじめ右近助と称し、のちに内匠助と称している。軍目付として活躍し、のちに駿河興国寺城の守衛にあたったが、武田氏滅亡後は徳川家康に招かれ、武田旧臣の徳川帰順に際しては起請文奉行の大役に任命されている。
-----------------------------------------------------------------------------

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

武田二十四将 更新情報

武田二十四将のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。