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武田二十四将コミュの小宮山丹後守昌友

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小宮山丹後守昌友について語り合いましょう。
小宮山丹後守昌友についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋




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小宮山丹後守昌友 1519〜1572年

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小宮山昌清の長男。
譜代家老。武田晴信の重臣。
小宮山昌友は、武田信虎に侍隊将として仕え、佐久進攻では飫富虎昌や上原昌辰とともに大きな活躍をしている。永禄年間は諏訪城代となり、南信濃の守備隊長をつとめている。高島城代や松井田城代をつとめたこともある。 武田晴信は小宮山昌友に岩村田を与えている。元亀3年(1572年)、武田晴信上洛戦の途次で遠江国二俣城攻めのとき、教来石信房(馬場信房)と先陣を争って城内になだれ込み、突破口を開いているが戦死。墓は岩村田の竜雲寺にある。
逸見信直の次男小宮山中務少輔信安からはじまる小宮山氏は、 小宮山近江守守氏の長男小宮山和泉守氏元、次男小宮山六郎氏久がおり、 小宮山氏久の長男小宮山虎泰は武田信虎に重んじられ、「虎」の一字を賜った。 小宮山虎泰には長男小宮山虎景がいる。 小宮山氏久の次男小宮山備前守昌清も武田信虎の重臣として用いられた。 小宮山昌清には長男小宮山昌友、次男小宮山民部昌照、三男小宮山内膳正友信、四男小宮山土佐守忠房がいる。 小宮山昌友には長男小宮山数馬友晴(小宮山内膳正頼貞)、次男小宮山又七郎昌親、三男小宮山四郎左衛門忠道(小宮山内膳忠通)がいる。 小宮山忠道には長男小宮山六郎右衛門宣正、次男小宮山四郎左衛門久次がいる。 小宮山宣正には長男小宮山宣重がいる。 小宮山友信には長男小宮山義次がいる。
また小宮山氏は信州佐久郡の岩村田の豪族ともいわれており、鎌倉時代から岩村田を支配した目代(在庁官人)の家柄ともいわれており、のちに岩村田を追われた小宮山氏が武田信昌を頼って武田氏に属したともいわれている。
勘気の身となっていた小宮山友晴(小宮山友信)は天正10年(1582年)、天目山麓の田野へ馳せ参じ武田勝頼の許しを乞い、 武田勝頼とともに織田軍と戦っている。幕末水戸藩の儒者藤田東湖は小宮山友晴の忠誠に感じて『正気の歌』のなかで「幽囚の身にあっても常に君を忘れずその身、主家とともに天目山に殉ず」と詠み、真の武士の亀鑑と称賛している。 小宮山友晴は武田勝頼の遺児である次男勝千代(当時7歳)を伴って逃れ、真田昌幸を頼る。その後は真田昌幸に仕え、関ヶ原敗戦後、真田昌幸、真田幸村父子に伴い紀州へ従う。
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コメント(3)

彼のお墓は長野県佐久市岩村田に
あるはずですが
見当たらないです…がく〜(落胆した顔)

山梨県のほうにも
あるみたいなのですが
どうなんでしょうダッシュ(走り出す様)
どうなんですかねー

ぜひお墓参りして、かのオトコギにあやかりたいもんです。

特に友晴さんはあっぱれすぎるぴかぴか(新しい)

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