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武田二十四将コミュの甘利左衛門丞昌忠

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甘利左衛門丞昌忠について語り合いましょう。
甘利左衛門丞昌忠についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋




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甘利左衛門丞昌忠 1534〜1565年

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甘利晴正、晴吉、左衛門、左衛門尉、藤蔵ともいう。
甘利虎泰の次男。
駒井高白斎の『高白斎記』には、天文17年(1548年)甘利虎泰戦死の三日後、武田晴信の命により 甘利昌忠が家督を継承。騎馬150騎の侍隊将となり、武田の部将最年少だったという。『甲斐国志』には甘利昌忠は天文16年(1547年)の碓氷峠合戦(笛吹峠合戦)ですでに初陣し活躍していたことを記している。天文19年(1550年)9月には甘利昌忠は左衛門尉に叙任されている。 甘利昌忠には長男甘利晴光(甘利次郎四郎利重)がいる。 武田晴信に信頼された甘利昌忠が若くして死去してしまったため、その死を嘆いた武田晴信がその長男甘利次郎四郎利重に「晴」の一字を与え、甘利晴光と名のらせたともいわれているが、将軍足利義晴から賜った偏諱を臣下に与えることは常識的にありえない。しかしながら、いかに武田晴信が甘利昌忠をかわいがっていたが分かる逸話といえる。
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コメント(2)

甘利昌忠公と言うと、馬糞汁の話が有名ですね(^_^;)
>アマリーさん

そうですねw
馬糞を飲まされたのは、米倉晴継です。
米倉重継のところで紹介いたしますね。

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