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荻原魚雷の週刊連載コラムコミュの最終回『コラムを書く理由』

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最終回『コラムを書く理由』荻原魚雷


 水道の蛇口をひねると水が出るように、文章が書けないものか。
 ときどき、そうおもう。そのためには、日頃から水道管のメンテナンスを怠りなく、貯水池が枯れぬよう、心がける必要がある。
 それができれば、どんなによいものか。

 本に関する仕事ばかりしている。毎日、本を読む。二十代のころからずっとそういう生活をしてきた。
 年々、頭が活字を受けつけなくなってきている。かつては一日五、六冊読んでも平気だったが、今は無理である。

 同じ畑で同じ作物を作り続けると、土がだめになるのが早いという話がある。「連作障害」というらしい。
 文章もときどき別の書き方をしないと行き詰まる気がした。

 そんなことをおもいつつ、このコラムの連載をはじめた。

 鮎川信夫は『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社、一九六八年刊)のあとがきで、時評を書くにあたり「仲間もいなければ、組織もない。大都会のまっただなかにある、たった一人の仕事場。孤独で自由な現代的オフィス。そんなところで、だれにもわずらわされずに、すきなことをすきに書けたら、というのが夢である」と述べている。

 『一人のオフィス』はわたしが長年愛読している一冊だが、鮎川信夫がコラムニストとしての本領を発揮するのは、晩年の『時代を読む』(文藝春秋、一九八五年刊)からだろう。

 『時代を読む』のあとがきで、「毎週短いコラム一つ書くだけだが、予想外に難しい仕事だった」といい、「嘆息と脂汗のくり返しだったが、こうして区切りをつけてみると、それが私の生活のリズムとなり、一種の規律になっていたことがよく分る」といい、「規律は何程か自己改造の役に立つ」と回想している。

 鮎川信夫は、アメリカのコラムニストの本を愛読していた。追って、わたしも読むようになった。身辺雑記から芸術文化、スポーツ、政治、経済、科学まで、硬軟自在で、守備範囲の広い書き手が何人もいる。

 中でもアンディ・ルーニーやマイク・ロイコ、ビル・ブライソンのコラムはくりかえし読んだ。
 彼らは身近な話が得意でやや偏屈で不器用で時代遅れなところのある自分を隠さない。そこには日本の私小説にも通じる読後感があった。

 日本では一九八〇年代半ばから九〇年代のはじめにかけて、翻訳もふくめたコラムの本がずいぶん刊行されている。
 不覚にも、そのころ新刊本ではなく、古本ばかり読んでいたので、そうしたコラム集の存在に気づかなかった。

 気づいたときには、フリーライターの登竜門になるような雑誌は次々と休刊になり、海外のコラムの翻訳も激減していた。

 コラムが書きたいのだが、なかなかその機会がない。機会があっても、わたしのコラム観と編集者のコラム観がたいていズレている。

「コラムというよりエッセイですね」

 その言葉を深読みとすると「あなたは知名度がないのだから、あまり主観を書かないでください」ということになる。
 つまり編集者のいうところのコラムは「主観よりも客観を重視した短文」なのである。

 でも、それはちがうとおもうのである。
 たとえ誤解や偏見に満ちていたとしても、わたしは書き手の人間観があらわれた文章が読みたいし、そういう文章が書きたいのだ。

 とはいえ、読むのと書くのとはちがう。
 結果、規律は作れず、自己改造はできず、しめきりは遅れに遅れた。

 まだまだ課題は山積みなのだが、今回ちょうど十回目をむかえたので連載を終了することにした。今後はこのコラムの連載中、更新が滞っていた自分のブログで展開していければとおもっている。

 三ヶ月間、ご愛読ありがとうございました。

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