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F1初心者の会☆コミュのドライバー特集☆佐藤琢磨

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こんにちは☆管理人のケロックです☆

さてさて、今回のドライバー特集は・・・佐藤琢磨選手です!!
多分、このコミュの方でも、琢磨ファンはすごく多いと思いますし、琢磨がきっかけでF1に興味を持たれた方も多いと思います☆

今回は、琢磨がブレイクする前の頃を中心に紹介していきたいと思います☆

【F1への道・・・全てがゼロからの挑戦】
琢磨が初めてF1に触れたのは10歳の時。1987年の日本GP、最終コーナーで生観戦した琢磨少年が、セナの走りを見て「自分もF1ドライバーになりたい」と夢を持ったことは有名な話です。
それから、琢磨は大学を休学して、鈴鹿レーシングスクールに入学。最年長ながら見事、主席で卒業し、目標のスカラシップを得ます。
そのスカラシップを手に、1998年に単身渡英。
「勝てるF1ドライバーになるためには、モータースポーツの本場イギリスでレースを学ぶ」この気持ちをもっての渡英だったのです。

1999年からイギリスF3選手権に参戦を始めた琢磨。このイギリスF3はアイルトン・セナ、ミカ・ハッキネン、デビッド・クルサード、ジェンソン・バトンなど数々のドライバーが活躍し、F1のシートを獲得している世界的に注目されているレースでもあります。
そこで琢磨は2000年に選手権3位、2001年には日本人初のシリーズチャンピオンに輝きました☆ヨーロッパでこれだけの成績を残した日本人ドライバーはもちろん初めてで、世界中のメディアのみならず、各F1チームも注目しました。
そして、2002年からのジョーダンチーム(現ミッドランド)のレギュラードライバーとしてF1デビューが決まったのです☆
しかし、琢磨にはまだF3でやり残した事が・・・世界中のF3選手権の王者が集って、「世界一のF3ドライバー」を決めるマカオF3の制覇です。本来ならF1デビューが内定しているドライバーは怪我のリスクを背負って参戦は控えます。しかし、周囲の反対を押し切って琢磨は参戦を決めました。
「絶対優勝する」レース前に琢磨はこう宣言しました。そして、予言どおりに優勝!!これも日本人初の快挙でした☆


【まともに走れないF1デビュー】
2002年、ようやくF1のシートを手に入れた琢磨。しかもチームはトップクラスのチームに成長し、シューマッハ兄弟やバリチェロなど名選手を輩出してきたジョーダンです。
しかし、そのジョーダンが2002年、経営難に陥っていることが判明!マシンの開発資金も十分に集まらず、まともにテスト走行もできないままのデビューとなりました。

開幕戦オーストラリア・・・。土曜日のフリー走行で琢磨のマシンにトラブルが発生!それが原因でクラッシュしてしまい、マシンにダメージを負ってしまいます。当時のルールでは予選時にスペアカーの使用は可能だったので、スペアカーで予選に臨みます。ところが、ピットを出た直後にまたトラブルでコース上にストップ。もう琢磨のためのマシンは残っていません。そこでチームは同僚フィジケラがタイムアタック終了後に琢磨仕様にメンテナンスをして、残り時間ギリギリで琢磨にタイムアタックをさせる・・・予定でした。
しかし、ここでまた不運が・・・
フィジケラのマシンを琢磨仕様に調整している最中・・・なんと大粒の雨が・・・。これでは予選通過基準のタイムに届かない・・・。それでも琢磨はコースへ出て、必死にタイムを記録してきました。結果はトップから27秒遅れのタイム・・・最下位です。決勝もマシントラブルでリタイヤという、何も出来ないままのF1デビューとなりました。


【世界中の期待が焦りに。そして・・・】
2001年イギリスF3チャンピオン。日本人初マカオF3優勝。これだけの実績を持ってのF1参戦ということで、メディアやファンの期待は日本のみならず世界規模になっていました。しかし、現実はチームの資金不足でなかなか言うことを聞いてくれないマシンに手を焼く毎日・・・。「でも、期待に応えたい」この気持ちが裏目に出て、自らミスをしてリタイヤ・・・というレースが続くようになりました。
そんな中迎えた第6戦オーストリアGP。レース中、琢磨がヘアピンを立ち上がった時でした・・・。コントロールを失った他車が琢磨のコックピット(運転席)の真横に激突!琢磨のマシンは粉々になりました。いつもならすぐにマシンから脱出する琢磨もこの時はマシン内に残ったまんま・・・。(当時の)F1専門ドクターのワトキンス博士が急いで琢磨のもとに駆け寄り、救急車もスタンバイ。辺りの空気は凍りつき、琢磨の容態が心配されました。幸い、ムチウチ程度のケガだったということでしたが3週間は歩く度に激痛が襲うほど酷かったそうです。
事故後、救出された琢磨は、自分が乗っていたコックピットが粉々になっているのを見て「本当にラッキーだった」と見舞いに来たマネージャーに笑って話したそうです。


【琢磨もファンも夢をあきらめずに鈴鹿へ】
それからの琢磨は、自分が出来ることを精一杯出し切るレースを続け、ポイント圏外ではあるものの、しっかりと完走するレースを増やしていきました☆
そして迎えた最終戦鈴鹿。この時、琢磨の来シーズンのシートは未定のまま。「必ず結果を出す」琢磨はあきらめていませんでした。そして、それは日本で凱旋を待っていた大勢の琢磨ファンも一緒でした。琢磨の初の母国レースは、金曜日から多くファンが鈴鹿に詰め掛け、琢磨が走る度に全員総立ちになって応援していました。
いつもは気合いがから回りしていた琢磨でしたが、今回はその大きな声援を大きな力に変えることができ、予選では最後の最後に自己ベストの7位を獲得!フェラーリ、ウイリアムズ、マクラーレン。当時「3強」と呼ばれていた3チーム6台のすぐ後ろを獲得し、スタンドは琢磨が優勝したかのような大騒ぎに☆
そして、日曜日・・・。琢磨の目標はポイント圏内の6位(当時)以内でゴールすることでした。スタートも順調に決め、順位を上げて6位を走る琢磨!しかし、背後から当時のライバルだったルノー勢が追いかけてきて、1回目のピットで逆転されます。それでも琢磨あきらめずにルノーのバトン(当時)を追いかけ続けます。そして、2回目のピットでタッチの差で再逆転!その後5位にポジションを上げます☆
この走りを15万人以上のファンが地響きのような声援で琢磨を後押し。ついに1年間目標としてきた、6位以内の入賞を母国日本GPで達成したのです☆

周囲の期待とは裏腹に、なかなか結果が出ない毎日・・・、ヨーロッパでは「琢磨は期待はずれだ」というウワサまで流れました。それでも、琢磨はあきらめず、日本のファンは待ち続け、チームは徹夜続きで必死にサポートしました。それが1つになったのが2002年の鈴鹿だったのです。(写真中央)

「何があっても、目標をあきらめずに、己を貫き続ければ、最後には必ず報われる」

これを、証明してくれたレースでした。


【BARで初表彰台・・・そして新たなる挑戦へ】
翌2003年、琢磨はBARホンダに移籍、1年目はテストドライバーとして、「マシン開発」を学ぶ1年として、努力をしました。
レギュラーに復帰した2004年。1990年の鈴木亜久里氏以来となる、日本人ドライバーの表彰台を獲得☆いつしか琢磨は、ミハエルやバリチェロといった最強フェラーリ勢と一緒に並んでいても違和感を感じさせない存在となっていました☆(写真右)

そして、2006年。琢磨はまた新たなフィールドで「ゼロ」からの挑戦に挑むことを決意。2005年に成績の低迷から、BARを放出されますが、すぐに新チーム「スーパーアグリ」の意思に賛同する形で、チームのエースとして開発不足のマシンを精一杯コントロールして、上位を目指しています☆


いかがだったでしょうか?今回は、F1デビュー当時の琢磨を中心に紹介してみました☆
まぁ、もっと細かく話すとまだまだたくさんのエピソードがあるんです^^;
でも、それだけ、いつも何に対しても全力で立ち向かう琢磨がいるからたくさんの琢磨エピソードが生まれるんでしょうね☆


また、質問でもご意見でも、琢磨エピソードでもお持ちであれば、たくさん書いてください☆

コメント(7)

こんばんわ
いつも詳しい情報をありがとうございます
あの日、私も鈴鹿にいて、佐藤琢磨の5位入賞を立ち上がって大喜びしました
シューマッハがインタビューで、自分が優勝した事より、佐藤琢磨が入賞した事にみんな大喜びだね、みたいなコメントをしたような気がします
さて、質問ですが、この時、BARでビルヌーブのチームメイトは誰だったんですか?
どうしても思い出せないので、よろしくお願いします
>BARでビルヌーブのチームメイトは誰だったんですか?

パニスです。プロスト-レーシングなどでF1経験あり。マクラーレンの3rdもやってました。
ZeroGo!@再び夜逃げ中さん、ありがとうございます
そうでしたね、パニスでしたね
あぁ、これでスッキリしました♪
いろいろあった琢磨ですがコメントはいつも前向きですよね〜。


昨年はそんな+志向の琢磨もコメントも曇るほどの・・・でしたが。
今年はずっと笑顔で前向きに語ってほしいです!!


車の横っ面を当てられたときは確か母の日でみんなのお母さんが招待されていたような・・・?世界にも母の日があるのだと驚いたので覚えてました。琢磨のお母さんはさぞかし心配っだたでしょうね。ほんと無事で何よりでした。
私がF1を見るきっかけになったのが佐藤琢磨でした。
F1好きの彼氏に「日本人がでるよ」と教えられて見始めたらハマっちゃったんです。
琢磨の経歴を知ったのはNHKのトップランナーという番組を見てでした。多くのF1ドライバーが幼少の頃からモータースポーツに触れていたのに対して彼のスタートは大学生の頃。
「絶対にあきらめない」今でも彼がよく口にするこの言葉。琢磨の魅力はその意志の強さなのではないかと感じます。
長くなってすみません〜(>_<)
読んでいて涙が出そうです(≧∇≦)b

琢磨選手は絶対また表彰台に上がれます!!!
昔のことは何も知らなかったので、これ読んで琢磨選手のこと少しでも知れてよかったです、、ありがとうございました!

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