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F1初心者の会☆コミュのドライバー特集☆アイルトン・セナ

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こんにちは☆管理人のケロックです☆

みなさん、お久しぶりです!!ここ10日以内に新しく入会された方、始めまして^^;
F1初心者の会管理人のケロックと申します☆
長い間、コミュに書き込み等できなくて、皆さんにはご迷惑をおかけしました。すいません・・・。
実は、私まだオーストラリアGP・・・見れてないんです^^;友人宅で、スカパーの再放送が見れるので、それから、ヨーロッパラウンドの特集を作りたいと思っています☆


さてさて、開幕3戦が終了し、次からはいよいよヨーロッパラウンド!!まずはサンマリノGPです☆
サンマリノGPと聞くと思い出す方も多いと思います。

・・・1994年、タンブレロの悲劇・・・

1994年5月1日、私たちは一人の英雄を失うことになりました。彼の名は「アイルトン・セナ」ここ1〜2年でF1に興味を持ち始めた方も、名前くらいは聞いたことがあると思います。通算3度のワールドチャンピオン、65回のポールポジション(予選1位)、1990年代初頭の、まだ日本にF1が上陸して間もない頃のF1を背負って立っていた、現在のミハエル・シューマッハ的存在です。

このコミュでも、「セナはどのくらい凄いドライバーだったんですか?」と質問をしてくれた方も多いかったです。彼が亡くなって早12年。当時のセナを知っている方も「伝説」として記憶の片隅に置かれ始めている頃ではないかと思いますし、当時の彼の姿を知らない人も多いと思います。
今回は、サンマリノGP直前特集ということで、アイルトン・セナが現役時代に魅せてくれた数々の「名シーン」を紹介したいと思います。

すっごく長くなってしまいましたが、お許しください^^;


セナがデビューしたのは1984年、所属チームはトールマンという中堅チーム(現在でいうとBMWザウバーぐらいのチーム)。当時はまだまだ若かったセナですが、その才能をデビューしてすぐに発揮します。第6戦モナコGP、天気はなんと豪雨!まともに走れるコンディションではありませんでした。しかし予選13位からスタートしたセナは、狭いモナコのコースの中で前を行くマシンを次々に追い抜き、1位まであと少しの2位まで上昇します。しかし、そこでレースは大雨のため赤旗終了。惜しくも2位になりました。
この活躍がきっかけで翌年は名門ロータスチームに移籍。第2戦ポルトガルGPで初ポールポジション(予選1位)と優勝を飾ります。このレースも実は大雨でした。
「セナは雨のレースに強い」この頃から、こんなことも言われ始めていたのも確かです。当時のマシンは、現在のような「デジタル」ではなく、ハンドルも今より重く、電子制御装置もついていない「アナログ」なものでした(写真中央)。それに加え、マシンの幅は現在より35cmも長く、エンジンは1000馬力以上とも言われていたターボエンジン。ドライバーにかかる負担は今よりもずっと大きなものでした。そのマシンでセナは、特に1周のタイムで競われる予選では、圧倒的な速さをみせ、「1周のみの集中力」は凄いものでした。その予選で最前列を毎回確保し、決勝レースでは一気に逃げてしまう、「先行逃げ切り型」のレーススタイルがセナの売りでした。

また、セナは何よりも日本好きなドライバーとしても有名でした。1987年から1992年までホンダエンジンとともに戦い、その間3度のワールドチャンピオンに輝きました。しかもその全てが鈴鹿でチャンピオン決定というもの!
鈴鹿でも名シーンの連続でした・・・

・鈴鹿のコース図
http://www.formula1.com/race/circuitmap/768.html

初タイトルがかかった1988年は、ポールからスタートするもなんとエンスト!20位ぐらいまで順位を落とします。しかし、脅威的な速さで1台ずつ追い抜いていき、ついにレースの半分くらい27周目のメインストレートでライバルであったアラン・プロストを追い抜きトップに浮上。初のタイトルを獲得しました。
このレース後の記者会見で「僕はプロストを抜く時の1コーナーの先に神を見た」というコメントは有名なものです。
そのプロストとの世界一対決第2弾となった1989年。プロストとの確執が話題になっていたシーズンはセナ不利な展開で鈴鹿決戦となりました。もう負けられないセナはトップを走るプロストをシケインで追い抜きにかかります。抜かれたくないプロストをセナの進路を塞ぎ、接触。セナはコースに復帰して優勝しますが、後に接触時にシケインをショートカットしてコース復帰したことが審議となり、失格。チャンピオンも獲り損ねる結果となりました。プロストがフェラーリに移籍しての1990年。この年も「セナプロ対決」で舞台は鈴鹿。予選から0,001秒単位での白熱したバトルはセナに軍配。そして決勝、なんとスタート直後の1コーナーで両者が接触して両方リタイア、結果的にセナのチャンピオンが確定するというまた後味悪い結果となりました。
1991年は、相手がナイジェル・マンセルに変わっての頂上決戦。「マンセルを抑えきればいい」と冷静だったセナがマンセルのミスを誘い、3度目のチャンピオンを手にしました。

また、マンセルとの対決では、歴史に残る名バトルがあります。1992年モナコGP、ラスト9周になってトップ独走のマンセルが緊急タイヤ交換。これによりセナがトップに立ちます。そこから、最新ハイテクパーツを搭載したマンセルの乗るウイリアムズのマシンが、当時失敗作になっていたセナのマクラーレンのマシンを猛追!1周2秒以上速いペースでセナを追い回します。しかしコースはセナの大得意なモナコ。残り6周で両者の差は1秒を切りますが、セナは意地でマンセルの猛追をブロック。モナコGP史上、最高のバトルはセナに軍配があがりました。セナはこれを含めモナコGP通算6勝。あの難攻不落と有名なモナコで6勝したセナは「モナコマイスター」と呼ばれるようになりました。

こうして数々の名バトルを展開し、記録を作り続けてきたセナにも、どうしても破れない壁がありました。母国ブラジルGPでの勝利です。
セナの母国GPでの成績は1986年に2位になった後、リタイアやトラブルの連続でした。しかし、1991年のブラジルGPは違いました。いつもどおりポールからスタートしたセナは、ライバルの脱落にも助けられ、レース前半で大量リードを得ます。しかしレース後半、セナのマシンに異変が・・・なんとギアトラブルで、3,4,5速のギアが壊れ、セナは実質6速のみでの走行を余儀なくされます。これで一気にペースはがた落ち。2位の選手もすぐ背後まで迫ってきました・・・しかし、ここで雨が降り始め、後続のペースが落ち、なんとかセナはトップを譲ることなくゴール!!その直後セナは、まるで赤ちゃんかのようにマシンの中で号泣していました。
表彰式でのセナは、体力が消耗し、立つのが精一杯という状況。それでも、トロフィーを掲げ、シャンパンファイトでは自分自身で頭からシャンパンをかけていました(写真右)。
※ 現在、バリチェロ(ホンダ所属)が優勝した際にも同じことをしていますが、これが由来だったのです☆

通算41勝(歴代3位)、ポールポジション65回(歴代1位)という記録を作り、セナは間違いなくF1の一時代を築いてきました。
そして・・・1994年、これまでセナのライバルであった、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセルといったドライバーは引退し、当時の現役ドライバーでチャンピオン経験者はセナだけというシーズンが始まりました。
この時から、現在は皇帝にまで上り詰めたミハエル・シューマッハが開幕2連勝と「セナの新しいライバル」として台頭してきたのです。一方のセナはミス連発で開幕2戦ともリタイア。(まるで、2003年のシューマッハのようでした)完璧にセナは追われる立場になっていました。

迎えた第3戦サンマリノGP。
コース図(図は現在のものです)
http://www.formula1.com/race/circuitmap/754.html

金曜日のフリー走行で、若手のバリチェロがクラッシュで重症。土曜の予選ではローランド・ラッツレンバーガーがクラッシュ。病院に搬送後、死亡が確認されました。なにかに呪われたような・・・そんな週末になっていたイモラサーキット。この時セナは知人に「もう走りたくない」と言っていたそうです。
そして、日曜日の決勝。我々は最悪の光景を目にすることになりました。
当時はゆるい左に曲がる高速コーナーだったタンブレロコーナー(図の2〜4)通過スピードは時速260kmです。ここでコーナーどおり曲がっていくはずのセナのマシンが、7周目だけ、なぜか曲がらずに直進。時速200kmの状態でコンクリート壁に激突・・・
それから、セナの笑顔を見ることはできなくなりました。
事故原因は今でも謎に包まれたままですが、有力説としてはハンドルのシャフトが壊れてハンドル操作ができない状態だったとのことです。

この瞬間から、F1はシューマッハに託され・・・現在のF1へと進化していったのです。このセナの事故により、F1は「安全基準の見直し」を特に意識するようになりました。マシンも含め、コースの安全基準も年々厳しくなり「二度と悲劇を繰り返さないように」F1関係者が一丸となって、レース運営を行っています。
セナの事故当時は、安全性というものが軽視されつつあった時でもあり、皮肉にも時代を引っ張っていたセナが、その命と引き換えに安全性を強化というメッセージを残すことになりました。


まさに、現在のF1の基盤がアイルトン・セナによって作られた・・・ことになるかもしれません。

こうして、12年の歳月が流れましたが、今のF1ドライバー全員が幼少時にセナの走りに魅了され、セナの闘争心溢れる走りに憧れ、F1ドライバーになった人ばかりです。
今年も白熱したバトルがよく展開されていますが、そのほとんどがセナのDNAが受け継がれて、今のバトルという形で繁栄されているのかもしれません。




また、長くなってしまいましたが・・・セナの魅力、分かりましたでしょうか?
みなさんもセナに関するエピソードをお持ちでしたら、どんどん書き込んでください☆

コメント(12)

ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!
なんだか、事故当時を思い出しました。
小学生だったのであまり覚えてないですが、私の父が観戦途中で一度テレビを消した事(ショックで)が今でも忘れられません。昔はただただセナはすごいなぁとしか思っていませんでしたが、今回いろんな事知れてうれしいです。いつもながらケロックさんわかりやすいトピックありがとうございますです!!
今後はセナのような事故が起きないでいて欲しいですね。
クラッシュしたときのマシンからは、前日事故死したR・ラッツェンバーガーの母国オーストリア国旗が出てきたそうです。
ちょっといろいろ思い出させていただきました。
僕の中では91年鈴鹿と93年ヨーロッパGPが印象に残ってますね。

91年鈴鹿は、序盤にマンセル自滅でチャンピオンが決まり、その後チームメートのベルガーを抜いてトップ独走。そして、最終ラップの最終コーナーでベルガーを先に行かせて優勝をプレゼント。この光景に、今宮さんと森脇さんも涙で言葉を詰まらせてたのが、すごい印象的でした。
93年ヨーロッパは、雨のセナのためのレース。非力なマシンで4位スタート。スタートで1台に抜かれるも、その1周でシューマッハー・ヴェンドリンガー・ヒル・プロストをぶち抜いて、トップで戻ってきましたから。その後、雨が降ったり止んだりで、タイヤ交換を5〜7回した結果、プロストを周回遅れにして圧勝。あの1周目は今のシューマッハでも無理でしょう。

やっぱり、セナは最速のドライバーだと改めて感じますね。
>ハリーさん・・・全く同じですw
私もセナの亡くなった年の確かチャンピオンが決まった後に特集番組でセナの偉大さを知った一人です。
セナから見たF1感、セナの周囲の人の話、セナをこよなく愛するファン・・・・あらゆる角度からセナの魅力を取り上げてて、それまでモータースポーツは暴走族上がり(失礼^^;)のちょっと運転に自信のある人がやる野蛮なモノっていう感覚なんでしたが、翌シーズンの開幕戦を見て考えが変わりました。
ピットインのタイミングひとつで順位が変動するし、天候を先読みしてタイヤのチョイスを考えたり・・・・
まさに計算で行うれっきとしたスポーツだったんですねw

それから毎回欠かさず“F1速報”を購入してるのですが、「くるま」のコーナーにある在庫を密かに「スポーツ」のコーナーに移動してます^^;
当時を思い出しました。
セナからF1好きになった私ですから、
読んでいる間に泣きそうです。
私も、つい思い出してしまいました。当時、実況は、古舘さんがメインで、あの名調子で、フジの一代イベントを盛り上げていました。が、あの事故の翌日の特集のとき、関係者皆さんが
絶句して、あんなにことばのない特集も珍しかったけど、殆どことばを発するどころか、無表情のままの古舘さんが印象的でした。そこで古舘さんは、番組降板されてしまったと記憶しています。私の婚約者は、セナを崇拝しておりましたが、この前年に交通事故で帰らぬ人となり。天国で一緒に遊んでくれるよう、セナの追悼式のときは祈りました。
しばらくはエンジンの音さえ辛くて、それきり、番組はみていませんが、日本人選手の活躍は気になっています。
M・シューマッハがPP記録更新と聞きました。(Yahooニュースです)あのイモラで。複雑な気持ちですが、同時に「12年もかかったのかー」と驚いています。改めてセナの偉大さを知りました。
勉強になりました!!セナの名前は聞いたことがあるんですが
ほとんど何も知らなかったので、12年前じゃ10歳ですし俺・・。
凄いですねセナ、雨に強いとゆうことは誰よりアクセルワークがうまかったてことでしょうか!?

俺の知ってることと言えば、本田総一郎(漢字あってるかな?)
の見てる前でセナが優勝したことぐらいですね!!

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