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F1初心者の会☆コミュのドライバー特集☆ミハエル・シューマッハ

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こんにちは☆管理人のケロックです☆

お正月もおわって、そろそろ成人式シーズン!このコミュに参加している方で、成人される方☆おめでとうございます☆☆

さてさて、今回は「赤い皇帝」ミハエル・シューマッハの特集をしたいと思います。

今年でデビューから16年目で通算232戦に参戦、ワールドチャンピオン7回、通算84勝、通算ポールポジション(予選1位)64回、通算獲得ポイント1248点、通算表彰台獲得回数142回。
数々の大記録を塗り替えてきた皇帝シューマッハ。05年は残念な結果に終わってしまいましたが、その存在感は今でも健在です。
しかし・・・みなさんはご存知でしょうか?そんなシューマッハも・・・デビュー当時は、相当な“ヤンチャ者”だったのです^^;

彼は10代の頃は、弟ラルフとともによくレーシングカートをやっていました。当時からその才能を発揮していたミハエルは、やがてメルセデスベンツ・ジュニアチーム(メルセデスの若手育成チーム、同期にフレンツェンやベンドリンガーがいる)のメンバーになり、WSPC(世界スポーツカープロトタイプ選手権)に参戦します。それと同時期の1990年、ドイツF3選手権でチャンピオンを獲得。その11月に開催されたマカオF3に参戦します。そう、そこで彼の最大のライバル、ミカ・ハッキネンと対決することになるのです。
レース前の予想は、9対1でハッキネン優勢。その年のイギリスF3を制し、“セナの再来”と期待はかなりのものでした。
しかし、レースが始まると、シューマッハが1位、ハッキネン2位で展開。そして、最終周。勝負にでたハッキネンはシューマッハに追突してしまいます。ハッキネンはリタイヤ、シューマッハはリアウイングを壊しながらも何とか1位ゴールします。この瞬間から彼への注目は大きなものへと変わります。

そして、1991年のベルギーGP。シューマッハは代役としてジョーダンからデビュー。当時は非力と言われていた若手チームのマシンで、予選7位を獲得!F1関係者全員を驚かせます。そのレースはリタイヤになってしまいましたが、その次のレースからベネトン(現ルノー)に移籍。翌92年のベルギーGPで初優勝します。しかし、この92年や93年の頃は若手らしくよく暴れてました^^;
特に92年のフランスGPのスタート直後、シューマッハはセナとクラッシュしてしまいます。その後、報道陣の前(カメラがまわってる前)でセナがシューマッハに長々説教をしたのは有名な話です^^;まるで、この前(05年ベルギーGP)の琢磨とシューマッハを見ているようでした☆
そして、セナが亡くなった94年に初のチャンピオンを獲得。翌95年も圧勝でした。この時から、チーム総出で他を驚かせるピット戦略を披露。当時からの彼の強みは、“チームが指定したペースに寸分の狂いもなく走れる”ことでした。
たとえば、チーム側が「10周で2位以下に10秒以上の差をつけなさい」といわれたら、しっかり10秒以上の貯金を作ってこれるドライバーなのです。あと、彼はタイムが出にくいタイヤ交換後の1周目がとてつもなく速い!(なぜ、交換後は遅くなるのかは別トピックで☆)
そして、人と物にはとことんこだわるドライバーなのです。現在、フェラーリの技術監督をしているロス・ブラウン、マシン設計のチーフデザイナーのロリー・バーンは、95年時にベネトンチームでシューマッハとともに戦っていた人たちなのです。96年にシューマッハがフェラーリに移籍した後、彼の要望だけで2人がフェラーリに移籍してきたのです^^;
・・・今考えれば、ものすごい話ですよね。

その後、98年にはハッキネンと最終戦鈴鹿までチャンピオン争いをし、破れてしまいますが、レース前と後に、二人が「フェアプレーで戦おう」と握手をしたのが印象的でした。翌99年はイギリスGPでクラッシュ。右足骨折の大怪我で戦線離脱します。
そして2000年、ついにフェラーリでチャンピオンを獲得。そこから04年まで5連覇を達成してしまう怪物です^^;

しかし、この5年間もいろいろエピソードがありました。2000年イタリアGPでは、彼の憧れであったセナの41勝に並び、記者会見で号泣・・・。03年サンマリノGPでは、予選終了後に母が死去。母にささげるすばらしい勝利を挙げました。
究極の負けず嫌いで、究極の仲間思いなシューマッハは、ともに戦う戦友のためにいろんなレースで最高の結果を出してきました。イタリアではフェラーリチームと熱狂的なフェラーリファンのために。母国ドイツでは自分自身とファンのために。そして日本GP、鈴鹿では99年からのパートナーであるブリヂストンタイヤの母国勝利のために・・・。
そんなシューマッハも1月3日で37歳になりました。今年の彼の目標は、もちろん王座奪還!しかし、注目すべき点はそれだけじゃありません☆
数ある大記録の中で唯一まだ塗り替えていないもの。歴代最多ポールポジション記録です。現在シューマッハの記録は64回。セナの記録、65回まであと1回です!

今シーズン、その記録を更新できるか?・・・91年のデビュー戦、92年の初優勝、94年モナコGPの初ポールポジションから彼を見ているケロックとしては、引退するまでにセナの記録を塗り替えてほしいなぁと思っています☆

ミハエル・シューマッハ公式サイト(英語)
http://sport.rtl.de/formel-1/com/mscom.php

コメント(24)

おはようございます!ケロックさん朝はやいですね☆
シューマッハはもう皇帝以外の何者でもないとは思っていましたが・・・・。全てを塗り替えるまで後一つですかΣ(`△´!!さすがです。ポールポジション最多記録ぜひ破って欲しいですね。
ここ数年フェラーリ・ミハエルの時代でしたが、こう振り返ると色々と思い出しますね。2000年のイタリア、セナの優勝回数と並んで記者会見での号泣…。私はミハエルの隣で彼をなだめるハッキネンが忘れられません。感動です。
ご無沙汰してます。今年もよろしくです!
今年のミハエルは期待していいんじゃないですかね。異例の年明け前からテストを開始したうえに、今年からタイヤ交換復活。おととしまでのフェラーリ・マジックができれば、タイトルを取れるような気がします。ルノーはアロンソがあんなことしてしまえば、チームの士気も下がってしまうような気もしますし、マクラーレンはニューエイ離脱で戦力ダウンの感が・・・。でも、来年のシートに向けてライコネンvsモントーヤは熱くなるから、ルノーよりはマクラーレンの方がやっぱりライバルになるんでは・・・。
話はミハエルに戻しますが、ミハエルの記者会見での涙は衝撃でしたね。どちらかというと、ターミネーターと呼ばれ、あまり感情を見せない人なので、「ミハエルも人間なんだ」と感じた瞬間でしたね(失礼)。でも、右足骨折してから復帰したレースでPP。決勝はアーバインのNO.2ドライバーとしてすごかったです。あの時は格の違いを見せ付けられました。
そんなミハエルも、もう232戦ですか。鉄人パトレーゼ(古館さんいわく、「F1界の衣笠」)の256戦の背中が見えてきましたね。今年で引退しなければ抜いちゃいますね。あと、予選のシステムがあのように変わると、多分セナのPP記録は抜かれますね。セナファンの僕にとってはちょっと残念ですが・・・。
初めまして☆10年ぶりにF1ファンをやってみようと思って、こちらのコミュに参加させていただきました。
コレだけの時間離れているとサッパリ話しについていけない上、ミーハーです。これからどうぞよろしくご教授くださいませ。

シューマッハのやめちゃうかも発言に落ち込み気味です。まだまだ続けてくれることを期待してます。
だって、唯一覚えていた現役ドライバーなんだもん。…忘れられなかったドライバーとも言うかなぁ。
>ななやなさん
「ミハエル」はドイツ語発音。「マイケル」は英語発音。これだけの違いです(^^;)英語主体の現場では、マイケルと呼ばれることが多いみたいですね☆
この他にも、バリチェロは「バラケッロ」と発音されることもあります☆
>F1 loveさん
その記事、私も見つけました。(でも、中身は真剣によんでません・・・)
まぁ、彼の引退は・・・仕方ないかなぁと思います。最強といわれた皇帝も、ハンドルを置く瞬間が、すぐそこまで来たということでしょうね・・・

確かに、ミハエルは昨年、“訳あり”の1勝だけでしたね。

彼がシーズン1勝におわるのは、彼がまだ若手でヤンチャだった、1993年以来です^^;

>みなさん
あと・・・上の書き込みで訂正です。英語発音のとこで「バラケッロ」となってますが、正確には「バリケッロ」です^^;
入力ミスでした。すいません・・・
ミハエルファンの皆さんおめでとうございます.
とうとう並ばれちゃいましたね.
セナファンとしては,気持ちは複雑ですが,まあ素直に事実を認めないとねー.それに,今年中に新記録出すのは間違いないでしょう.あー,ほんまに残念です.この記録だけは抜かれないと思っていたので….
でも,これでミハエルが1位じゃない記録って何かありましたかねー?出走回数くらいかなー?それを抜いたらミハエルは何を目的にして走るのでしょうか?
F1ファンになって今年11年目、最初はフェラーリ、M・シューマッハの手段を選ばないような戦略がキライだったのですが気が付いたら“伝統を持つチームの意地”みたいな必死さ、プロ根性に目が離せなくなってハマってしまいました。
これまでにF1観戦は6回あるんですが、全てシューマッハが優勝する場面に遭遇しました。
2000年のオーストラリアGP、イタリアGP
2002年のオーストラリアGP、イギリスGP
2003年のカナダGP
2004年のオーストラリアGP
ある意味シューマッハからしたら私は“勝利の女神”w
と、自負しておりましたが、知人に「たまたまシューマッハがチャンピオンになった絶好調の時期に遭遇しただけ!」と言われ調べましたwww
結果、
2000年は17戦開催中9回の優勝
2002年は17戦開催中11回の優勝
2003年は16戦開催中6回の優勝
2004年は18戦開催中13回の優勝
確かにこの時期の優勝確率は高かった・・・Orz

で、明日からまたオーストラリアに行って参りますw
引退をかけた今シーズン、しっかりと応援し私のジンクスを更新したいと思います^^
>せさみさん
羨ましい・・・。海外観戦、そんなに行ってるなんて!
ゼヒゼヒ勝利の女神になってください!
ミハエルのポディウムでのジャンプ&ガッツポーズを
心待ちにしています☆(^▽^)ノシ
>せさみさん
ほんと羨ましい!
私たちの分までミハエルに熱いエールを送ってください!
頑張れミハエル!!
ミハエルが引退なんて…して欲しくないですね。

気になるんですけど、やっぱり年齢とかでも引退しなくちゃいけないと時もあるのでしょうか…?

初心者の質問って感じですみません…。
比較的最近の最年長優勝記録ですが、94年最終豪州GPでN.マンセルが41歳3ヶ月で優勝(P2ウィン)しています。
ttp://www.f1-data.jp/script/top/index.php
ミハエルはまだ37です(1969.1.3誕生日)。まだまだやれます。
せさみさん本当に本当に宜しくお願い致します!!!
引退かけての勝負をしてる彼に、勝利を!!!
>ハリーさん、Gukkuさん、Galaxyさん、はむさん
ごめんなさい・・・・・・

シューマッハのコースアウト・・・しかも私の目の前でw
もう立ちながら失神状態でしたw
もう頭から「引退」の文字が拭い去れません・・・・・・
“顔だけファン”(?)のバトンも目の前で火ダルマになってしまうし・・・・

今朝の1便で成田に到着してそのまま午後から職場に入ったのですが PC立ち上げて ここに来てびっくりです。
「こんなに期待されていたんだ・・・」って^^;
あ〜また あの悪夢がよみがえる〜〜〜ww
今夜、自宅に帰って録画映像を見るのが怖いです・・・・
明日発売の「F1速報」も凝視出来るかどうか・・・

みなさん、本当にごめんなさい・・・・・・
>せさみさん

おかえりなさい!
シューマッハは残念な結果になってしまいましたね。
目の前だなんてショックですね。。。

でもこれも現実ですし
いちファンとして、こういう場面も
力強く見守っていきましょうよ!

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