ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

F1初心者の会☆コミュの再現!セナプロ対決!!

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
こんにちは☆管理人のケロックです☆

みなさん、お元気でしょうか?今回は久しぶりの特集ですね^^;
さて、今回は「セナプロ対決特集」です☆
もちろん、今のF1の話ではなく、さかのぼること・・・約20年前。現在のシューマッハvsアロンソのように、アイルトン・セナとアラン・プロストという、当時を代表するドライバーによって繰り広げられたバトルです☆
最近F1を見始めた人でも、「セナプロ対決」という言葉をよく耳にすると思います。でも耳にするだけで、実際はどういうこと?という方がほとんどだと思います。そこで!セナプロ対決とはどんなものだったのか?特集にして紹介したいと思います☆



【“セナプロ”とは?】
まず、この名前の由来、気になったと思います☆
1980年代後半〜1990年代初頭にかけて、最も活躍したF1ドライバーが2人いました。
・ブラジル人ドライバーのアイルトン・セナ
・フランス人ドライバーのアラン・プロスト
この2人です。彼らの名前の一部を使って「セナプロ」というふうに彼らのバトルを表現されるようになりました☆

セナに関しては以前に特集もしましたが↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5978121&comm_id=461146
プロストに関しては行ってないので、軽くご紹介☆
1980年代後半から1990年初頭に最も活躍したF1ドライバーのひとりが、このアラン・プロスト。F1の現役時代には、通算51勝(歴代2位)、ワールドチャンピオン4回(歴代3位)という輝かしい成績を残しています☆
レース中のペースコントロールが群を抜いて上手だったことから、「プロフェッサー(教授)」と呼ばれ、ライバルからは恐れられる存在でした。それまで1970年代のF1をひっぱっていたニキ・ラウダなどの名ドライバーに引導を渡したのも、彼かもしれません☆

今から約20年前のF1は、この2人による「チャンピオン争い」が毎年のように繰り広げられていたのです。



【1988年、世界最強コンビの誕生】
1985、1986年と2度のチャンピオンを獲得していたプロスト。その影で着実に力をつけてきたセナ。その2人が1988年に、なんと同じチームで走ることになるのです☆
そのチームは、現在でも名門と言われている「マクラーレン」。チーム代表は今でも同じロン・デニス氏です。そして、エンジンはなんと1987年のチャンピオンエンジンであるホンダ!!
当時、プロストがエースとして君臨していたマクラーレンチームにセナが加入、さらにホンダエンジンともパートナーを組むことになり、「世界最強軍団」が誕生したのです☆
いざシーズンが始まると、毎回この2人のどちらかが勝つレース。全16戦中15勝を、この2人でとってしまったのです!
この一進一退の攻防は、シーズン終盤の日本GPまでもつれ、セナが初のチャンピオン獲得ということで、2人の初対決は幕を閉じました。



【1989年、世界最強の“確執”が発覚!】
世界最強コンビも2年目に突入。しかし、この頃から、二人の関係に亀裂が・・・。
事の発端は、1988年のポルトガルGPのスタートでのこと。セナが、自分のポジションを優先したいがために、プロストに危険な幅寄せを強引に行い、それにプロストが腹をたてたことでした。
ところがこの年、修復不可能な確執を生む事件が起きてしまうのです!
1989年サンマリノGPでのこと。スタート直後に大クラッシュがあり、最初かスタートやり直しになったとき、セナはプロストに対して「スタート直後は事故も起きやすいから、最初の1周はお互いに無理なバトルはしないようにしよう」という“紳士協定”を結んだのでした。
しかし、いざフタを開けてスタートすると・・・1コーナーで先行したプロストを次のコーナーで追い抜いて、そのレース優勝。完璧な協定違反です。

これにプロストは激怒。以降は話すことも目を合わせることもなくなりました。それどころか、2人が近距離にいるときは、その辺の空気が重苦しいものに変わるくらい^^;



【1989年、2人にとっては因縁の鈴鹿】
二人の確執は、チャンピオン争いそのものにも影響を与えるようになりました。
シリーズ第15戦日本GP、この年はプロストが世界一に王手をかけてのレースとなりました。一方のセナは鈴鹿で勝たないと、逆転王座の可能性が絶たれます。
そんな中、土曜日の予選でセナが全神経を集中させて、1位(ポールポジション)を獲得!プロストは2位になりました☆
そして、日曜日の決勝。スタートではプロストがセナを上回るダッシュを見せ、プロスト1位、セナ2位でレースは進んでいきます。そしてレース終盤の47周目のシケインで事件は起きます。何としても優勝したいセナは、プロストを追い抜きにかかります。一方のプロストも前に行かれたくないために、セナの飛び込むスペースを消しにかかります。結果、2台のマシンはシケインで接触。プロストはマシンを降りましたが、セナはチャンピオン奪還のために、諦めませんでした。マーシャル(コース係員)の手も借りて、なんとかコースに復帰、ラスト2周で1位になってゴールしました☆
ところが、ここから事態は一変します・・・。
レース審議委員会は、セナとプロストの接触の後、セナがシケインをショートカットしてコースに復帰したことが、ルール違反ではないか?と審議を始めました。
結果、セナは有罪となり、レースは失格。優勝もはく奪され、プロストが1989年のワールドチャンピオンを勝ち取るのでした。



【1990年、たった8秒で決着した“鈴鹿決戦”】
1989年にチャンピオンになったプロストは、まるでセナから離れるかのように、フェラーリチームに移籍。セナはマクラーレンチームに残留して、90年の王座奪還に集中します☆
そして、またしても2人の王座争いは、日本GPまでもつれてきます。ただ今回は、セナが王手をかけ。プロストにとって後がない状況でした。
土曜日の予選では、2人が連なってピットを離れタイム計測を行うという白熱した場面もあり、セナ1位、プロスト2位という結果に☆
迎えた日曜日の決勝。またしても2人の因縁がぶつかる結果に。スタートで一歩リードしたプロスト、セナは隙があると見て、1コーナーで追い返しにかかりました。結果、また接触・・・。2台のマシンはもつれるように砂煙のなかに消えていきました。今回は2台ともリタイヤです。
結果セナがチャンピオンになったのですが、ガレージまで歩いて帰ってくる2人は目を合わすことも、話すこともなく帰ってきました。





いかがだったでしょうか?
その後、プロストは93年に引退。セナは94年のレース中の事故で帰らぬ人になりました。
結局2人は和解したのか?これは、いろいろな意見が飛び交っていると思います^^;
ただ自分が聞いたことのあるエピソードとして、94年のセナが亡くなる前のレースのフリー走行(練習走行)で、フランスのテレビの企画で、走行中のセナと会話ができるという企画がありました。
当時同テレビ局の解説をしていたプロストに対して、セナが「アラン(プロスト)、僕が今走っているこのコースに君がF1マシンに乗っていないこと、アランと一緒に走れないことが、とても寂しく感じるよ」と言ったそうです。

2人は最大のライバルであり、因縁の仲でもあり、お互いを誰よりも理解し合っていた存在だったのではないでしょうか?

ということで、今回はセナプロ対決ということで、1980年代後半〜1990年代前半のF1を振り返ってみました☆

また、質問等ありましたら、遠慮なくどんどん書き込んでください☆
あと、みなさんがお持ちの「セナプロエピソード」も書き込んでいただけると幸いです☆

コメント(4)

あ〜、懐かしいですね。
私は、ちょうどその辺りからのF1ファンです。
表彰台でセナとプロストの間にいるベルガーが、不憫に感じたのが、印象的でした(笑)。(ベルガーファンでした(^-^;)
だってー、全部網羅されてますもの・・・。
セナプロといわれれば、黙っていられなくて出てきてしまいました。もう20年になるんですね・・・。
当時、職場でも人気が二分して険悪な雰囲気になったものでした。平和でしたね。
そういえば、昔々何かのF1雑誌のオチャラケコーナーで、アラン・プロストの紹介欄に『世界一タイヤに優しく、ミッションに優しく、サスペンションに優しく、マシンに優しく、セナには厳しい男』と書かれていました(笑)
私は当時まだF1ファンではなくセナファンの友達の話も上の空で聞いていました。
セナの人気は絶大だったし、英雄に見えていたのでこんなダークな部分があったのはとってもビックリしました。

でも私はM.シューマッハも好きだし、セナへの印象も変わりません。やっぱりすごい人であることに変わりはないです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

F1初心者の会☆ 更新情報

F1初心者の会☆のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング