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F1初心者の会☆コミュのシューマッハが皇帝になった16年(2001〜2004)

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こんにちは☆管理人のケロックです☆

たいへんお待たせしました^^;
さて、今回は「ミハエル・シューマッハの軌跡」第3弾。
シューマッハとフェラーリによる黄金時代についてです。

【2001年】
久しぶりに「カーナンバー1」がついたフェラーリのマシン。この年も開幕2連勝と絶好調!・・・かと思いきや、シューマッハを追う1台のマシンが。
それは、昨年までのミカ・ハッキネンではなく、シューマッハ自身の弟、ラルフ・シューマッハだったのです!この年、BMWエンジンとミシュランを手にした名門ウイリアムズ。そのエースが弟ラルフです☆特にBMWが得意とする直線重視のコースでは、兄ミハエルが劣勢になる場面もありました。そして、シューマッハの存在を脅かしたのは、ラルフのチームメイトのモントーヤ!現在はF1を離れアメリカに行ったモントーヤですが、この年がデビューでした。そのモントーヤもシューマッハを追い回す1年でした。
では、ハッキネンは?
この年、ハッキネン絶不調。シーズン前半は優勝どころか表彰台もない状況でした。これが原因となり、ハッキネンは引退を決意。2001年を最後にF1マシンを降りました。
そして、もう一人、シューマッハの親友がF1を去ることになります。シューマッハがフェラーリに来る前のエースだった「闘将」ジャン・アレジ。彼も「若いものに道を譲る」と言って去っていきました。そんな中シューマッハは2年連続でチャンピオンに☆
しかし、この他に9.11同時多発テロで悲しみにくれてレースで精彩を欠いてしまうなど、「別れ」が多かったシーズンでもありました。


【2002年】
この年、フェラーリは全く新しい方法でシーズンに挑みました。それは「昨年仕様のマシンを少し改良して、開幕2戦をそれで戦う」ということ。普通、進化が激しいF1の世界で、1年遅れのマシンを使うのは負けも同然。しかし、2001年に圧勝したフェラーリは「信頼性」のある旧型のマシンを採用。その間に全く新しいシステムを導入したマシンを開発。第3戦から登場した「F2002」というマシンは、現代F1の流行モデルである、エンジン後方部分のボディを絞り込んだ形状を導入。この年も圧勝したのです☆
しかし、今では「過去の話」になった大事件が第6戦オーストリアGPで起こってしまうのです。

レース終盤、チームメイトのバリチェロが1位でシューマッハが1秒後方の2位で続いていました。 ラスト2周、フェラーリの作戦参謀ロス・ブラウンからバリチェロに無線が入ります。
「ゴール手前で、ミハエルを先に行かせろ!ミハエルをチャンピオンにさせるためにポイントを稼がせるんだ!」 この時点で、ミハエルはランク2位のモントーヤに対し、20ポイント以上リードしていました。一方バリチェロはシーズン序盤はリタイヤ続きでシーズン初優勝が目前です。こうやって、チャンピオン獲得のためにチーム間の順位を入れ替えることを「チームオーダー」といいます。 バリチェロは最終周に入っても、その最終コーナーまで何度も何度もロス・ブラウンに確認し続けました。
「Necessarily?(本当にチームオーダーが必要なのか!?)」
それに対し、ロス・ブラウンはバリチェロに・・・
「Yes necessarilay.(必要だ。ミハエルを前に行かせろ。)」
結局、彼はこれに従い、シューマッハをゴール100m手前で先に行かせます。しかし、この結末にお客さんは大激怒。表彰式の間中ブーイングを受け続けました。
〜バリチェロ特集より一部抜粋〜

勝つためには、手段を選ばない。徹底的に勝つために必要な要素、情報は手に入れる。そういった地道な努力があったからこそ、フェラーリは最強でした。
しかし、この1件は、フェラーリのみならず、シューマッハにも非難が集中したのでした。



【2003年】
この年、F1を統括するFIAは、「フェラーリの一人勝ちを防ぐ」ために、予選方式、ポイントシステム、その他の競技ルールを大幅に変更。この時から「分かりにくいF1」が始まったのです^^;
これにより3年連続チャンピオンを狙うシューマッハに黄色信号が点灯します。なんと開幕3戦で表彰台なし、この年のライバルであるライコネンは優勝1回2位1回と、大きな差を開けられてしまいます。
そんな中迎えたのが、セナが眠るサンマリノGP。予選でポールポジションを取った直後でした。シューマッハの元に「母が危篤」という連絡が入ります。シューマッハと弟ラルフは、そのままヘリでドイツの病院へ。
病気を患っていた母は、その日の深夜にシューマッハたちの見守る前で息を引き取りました。
普通なら、このままサンマリノに戻ってレースが出来る状態ではありません。でも、シューマッハ兄弟はサーキットに姿を現しました。そして、二人とも喪章をつけてレースに参戦。兄ミハエルは、見事優勝したのです。
レース後、シューマッハは記者会見に出席せず、こういってサーキットを後にしました。
「母は、僕たち兄弟がレースで勝つこと、レースをすることを一番楽しんでいたから」

この後のシューマッハは、波にのるライコネンに対し、全開で攻めていきます!給油時に少々火が出ようとも、あきらめずに1位を目指し、雨の中、素晴らしい走りを見せたり。
そして最終戦鈴鹿で、史上最多6度目のワールドチャンピオンを手にしたのです。



【2004年】
この年のフェラーリは、まさに「本気」モードになります!
昨年のマシンの良くなかったところを徹底的に改良。また、2003年で苦しんだ「タイヤ」もブリヂストンとの連携を深め、最高の準備を整えて、シーズン開幕に臨みました☆
これにより、2004年も連勝を重ね、ドライバー、チームの2冠を獲得します☆
しかし、この年のシューマッハは少し違っていました。
しーずん終盤に行われる日本GP。シューマッハはいつも以上に「勝ちたい」と意気込んでいたのです。レースでも勝ちにこだわるかのように、手を抜かない走り、安全圏のさらに安全圏までリードを作って逃げまくったのです。
なぜ、そこまでしたのか?それは、日本が「ブリヂストン」の母国だからです。一緒に苦楽をともにしてきた浜島さんの「ふるさと」だからです。
2003年、ライバルのミシュランタイヤの台頭により、チャンピオン争いは苦しいものになりました。そこで、徹底的にブリヂストンはタイヤの悪かった部分を改善、時にはフェラーリから厳しい要求があったでしょう。でも、ブリヂストンは要求に応えて、素晴らしいタイヤを用意してくれて、チャンピオンを獲得できました。シューマッハは、その「恩返し」がしたかったのです。だから、日本GPなのに、フェラーリチームは母国イタリアで戦うかのような熱の入れようでした。見事に、完全勝利を収めて、シーズンは終了しました。




いかがだったでしょうか?
黄金時代のシューマッハにも、色々な苦労や想いがあったのです。

そして、2005年。その黄金時代が崩れます・・・。
そのお話は、また今度☆(緊急で、第4弾を作ることになりました☆)

コメント(2)

待望の黄金時代だ(>v<)
個人的に2000年代から見始めたのもあって大感激です。
モントーヤいいライバルだった。復活して欲しいよ〜。
チームオーダーは哀しかったなあ。表彰台のミハエルもバリチェロも辛そうに見えたよ。
確か火が出たとき、「僕があまりにクールだから、クルーが火をつけてくれた」とかなんとかキザなセリフを言ってたんじゃなかったけ?

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