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短歌点コミュの短歌点1187△お題「羊」

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ジョズエさんのお題「猫」からバトンを受け取りました、HOHAです。
ちょっとあんまりお題を思いつかなかったので、動物シリーズで続けてみます(笑)
この漢字で詠み込んでください。音読みでも訓読みでもそれはどっちでも大丈夫です。
ではどうぞ、よろしくお願いいたします!




ルール

1:出題者が、お題を出します。
2:お題は、何でもありで面白そうなもの。ただし、直近で既出のお題を避けてください。
3:トピック本文に「前回の出題者名」「前回のお題ワード」を明記してください(例:●●さんの「▲▲」というお題からバトンを受け取りました)。
4:出題者じゃない人はお題を詠み込んだ短歌を書き込みます。(1人1首のみ)
5:一週間以後、出題者が(独断で)もっとも素晴らしいと思った短歌を1つ選
び、その選出理由を書きこみます。
6:次のお題は、最優秀短歌をつくった人が出すことになります。
 (新トピックの番号は「自分が選ばれたトピック番号+5」)
7:その後は、みんなでワイワイ感想をかわします。


※2012年4月17日一部改定(基本ルールに「特定の単語・文字列を指定してください。」を加筆。   管理人:ツトム)
※2022年3月9日一部改定( ルールの3番として以下加筆。「トピック本文に『前回の出題者名』『前回のお題ワード』を明記してください(例:●●さんの『▲▲』というお題からバトンを受け取りました)」。3番を4番に移動し、以下同じく番号を移動。  管理人:とみいえひろこ)
※2023年6月9日一部改定( ルール2番、「50題以前に出されたものであれば、既出のお題でもOKです。」→「ただし、直近で既出のお題を避けてください。」に変更。  管理人:とみいえひろこ)

コメント(47)

「自己犠牲好きよ他人のならだけど」電子の羊たちが真顔で
出題者のHOHAです。
「羊」ちょっと作歌しにくいお題かなーと思ってたんですが、思いの外早めに投稿歌が集まってきていて嬉しいです。ありがとうございます。
こちらのトピックは5/6(GW最終日)の夜12時で〆切とさせて頂きます。
よろしくお願いいたします〜
呼び出しが多くて寝不足の羊 優しい人は優しいですか?
のりしろの季節のあはひはつなつの水羊羹は退院の午后
この恋を空へ還せば楽なのにストレイシープめく羊雲
>>[2]

羊から買う物語安くなく手に入れては忘れゆくばかりの


眠れない夜に羊を数える、という儀式(?)がありますよね。
それがこのお歌の下敷きになってるのかなぁ、と第一印象ではそう思いました。
夢の中で展開される物語を羊から買っている。
お値段は決して安くないのに、やっぱり夢だから、目が覚めたら忘れてしまう。
なんだか不思議で、ちょっと哀しくて、好きな世界観です。
……でも全然違うかもなぁ、この読み(笑)
羊が何かの比喩だったりするんでしょうか??
>>[3]

仔山羊かと思う歩き初めし子のプルプルしてるいっぽいっぽに


シンプルに可愛いお歌。
ハイハイしか出来なかった幼子が、つかまり立ちをして、そして初めて歩き出す。親御さん大歓喜の瞬間ですよね。でも作中主体の感想は「仔山羊みたい」とちょっと冷静、そしてクスッと笑ってる感じ。
この距離感は甥や姪を見守ってるところかなぁ。絵面が微笑ましい。
>>[4]

どんな人を愛してきたの?魚座から牡羊座までの距離で教えて


おっと、これは、占星術クラスタとしては放っておけないお歌だ。笑

魚座と牡羊座っていうのは隣同士の星座なので、単純な距離としてはすぐ近くなんですよね。でも占星術的に言うと、12星座は牡羊座からスタートして魚座で終わるという流れになっていて。
つまり、魚座から牡羊座へとゆくには「終わり」を越えて「始まり」へとジャンプするような形になる。

一般的には恋人の元カノや元カレの話ってあんまり聞きたくないものだと思うんですけど、この主体は恋人の過去の恋や愛について聞きたがっている。
「終わり」を越えて、私との恋の「始まり」へとジャンプしてきてね、という乙女心でしょうか。
>>[5]

首輪捨て規律の外で夜を這い狼を食う血染めの羊


最初サラッと読んでたんですけど、
……!?……羊が狼食ってんの!? と驚いて二度見しました。なんというワイルドなお歌。
個人的には「羊飼うときに首輪ってするっけ?」「羊ってリーダー役の山羊とか牧羊犬がいないと統率取れない動物じゃないっけ…そもそも規律のイメージないな」とか、ちょっと前提の部分に引っかかるポイントが多くて乗り切れなかったんですが。
でもこれ、いわゆる「社畜」と呼ばれるようなリーマンの、心の咆哮のお歌なのかもしれないですね。
>>[6]

目がさめて憶えてたら行こう窓の外 羊みたいな犬といっしょに


夜に見た夢は、朝目が覚めると大抵忘れてしまう。でも、もし憶えていたら。
羊みたいな犬といっしょに、窓の外へ出かけよう。主体はそう呼びかけます。
多分、他者ではなくて明日の自分に呼びかけている。
なんだか少年が主役の冒険映画の始まりみたいで、好きな絵です。

さらに深読みすると、これは明日の自分=自分の可能性への呼びかけなのかもしれないな、と思ったり。
不安の中で自分を信じる気持ち、もしその気持ちが少しでも消えずに残っていたら、ちょっと冒険してみようか。
決意とまでいかないこの柔らかい期待心のパートナーとして、「羊みたいな犬」っていうのはベストマッチだと思いました。
>>[7]

眠れない君と羊が集まった群集劇の夢を見ている


眠れない君が羊を数える、羊が増えていく。
その「君」と「羊たち」が構成する群集劇、の夢を主体が見ているのだという。
……ええい、ややこしい(笑)
構造がややこしいんですけど、でも群集劇ということは羊たちは「羊たち」と雑にくくられる存在なのではなくて、羊A、羊B、羊C…といった具合にそれぞれに固有の視点や個性を持った存在として、ある意味「君」と同等にドラマを構成しているわけですよね。
その捉え方は面白いと思いました。
>>[7]  (再)

眠れない君と羊が集まった群集劇の夢を見ている


今、ご飯食べながら急に気がつきました!
なんでこんなややこしい構造のお歌にされたんだろう?と思ってたんですが、そうか、漢字か!!
「君」と「羊」が「集」まったら「群集」になるんですね。…スッキリ!

……それで言うとあれですね、「群れる」っていうこの漢字は「君は羊のようだね」って言ってる/言われてるようなものなわけですね(?)。怖。
>>[11]

「自己犠牲好きよ他人のならだけど」電子の羊たちが真顔で


今回の投稿歌の中でいちばん難しいお歌でした。

「 」の中の台詞については、まぁそうだよね、と受け入れられたんですけど。
人間誰しも自己犠牲なんかしたくない。だからこそ、他者の自己犠牲に感動したりするわけだし、「自己犠牲は尊いものだ」と教え込むことで他者を利用しようとする人すらいます。そういう人間のエゴイスティックな本質を言っている。
……それはそうとして、電子の羊って何だ??

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という有名なSF小説がありますよね。読んだことないけど。
あんな感じの世界観が下敷きにあるなら、アンドロイド的な何か、、例えば今だったらチャットGPTとかそういう人間ぽくない存在が上記のような人間のエグい本質をサラッと語りかけてくる、そんな場面でしょうか。

……うーん、やっぱり難しい。
もっとシンプルに、映像の羊、ぐらいの意味なのかなぁ。
>>[13]

呼び出しが多くて寝不足の羊 優しい人は優しいですか?


眠れない人たちがこぞって羊を呼び出すせいで、当の本人(本人?)はすっかり寝不足になってしまっている羊さん。
……他人の相談に乗ったり慰めたりばかりで自分はうまく誰かに甘えたり頼ったりできない、そんな人の例えでもあるんでしょうか。

「優しい人は優しいですか?」
他者に対して優しい人は、大抵の場合その人自身に対して優しくなかったりするんですよね。
さらに言うと、そういう自己犠牲の上にある優しさはいつか疲れて破綻してしまう。だとしたら。

本当の優しさとは?とかそういう話を人間だけを描いて伝えようとすると説教ぽくなりがちですが、"羊"を登場させたことで「大人が読んでも沁みる絵本」みたいに仕上がっていると思いました。
>>[14]

のりしろの季節のあはひはつなつの水羊羹は退院の午后


僕の読みが間違ってなければですけど、初夏という季節の性質というか質感を伝えようとしているお歌なのかな?と感じています。

初夏(はつなつ)っていうのは、春と夏の間(あはひ)にあって、その二つの季節を接着するための糊代(のりしろ)のようなそんな時期だね、という。
そして(あはひ)は、"淡い"でもある。
光がどんどん強くなってきて、だけどまだ夏のような熱感はない。糊代の余白。
そんな初夏の白っぽく淡い風景に、たしかに水羊羹はピッタリです。

ただ、「退院の午後」まで入れてくるのはちょっと要素が多くて、欲張りすぎかもしれません。
せっかくこれだけたっぷり字数を使って、初夏の白っぽい光を描いたキャンバスですから、あまり意味を足さずに水羊羹というモチーフをすとんと置いたほうが生きる気がします。
>>[15]

この恋を空へ還せば楽なのにストレイシープめく羊雲


叶わない恋をしている主体。
「もう諦めたほうが楽なのにな」と自分でもわかっている、わかっているのにそう出来なくて空を見上げている。
自分でもどうして良いかわからない、まるで群れからはぐれて孤独にさ迷っている仔羊のような、そんな心細さが自分の見ている景色にも反映されているというそんなお歌の作りになっています。
この心象風景の描き方はもう、僕の大好物です(笑)

ただ、ちょっと喩が成立していないかなと思う部分があって。
"羊雲"っていうのは羊みたいなモコモコとした小さな雲がびっしりと空に並んでいる様を「羊の群れみたいだね」ってことで"羊雲"と呼ぶ言葉なので、ストレイシープと羊雲を直喩的にイコールで結ぶのはちょっと難しいのかなぁと思いました。
あらためて、ご投稿頂いた皆さんありがとうございます!
ちょっと詠みにくいお題かもなーと思っていましたが、皆さんそれぞれの持ち味が出たお歌ばかりで楽しかったです。
あんまり時間を取れなくて、駆け足でバタバタとした評の仕方になってしまいましたが、お許しくださいませ。


僕が選んだ最優秀は、

>>[6] おこげさん
目がさめて憶えてたら行こう窓の外 羊みたいな犬といっしょに


です!
僕の心の琴線のどの部分が反応したのか自分でもよくわからないんですけど、「羊みたいな犬といっしょに」っていう下句がなんか無性に好きでした。

こないだおこげさんからバトンもらったばっかりなのに忙しくて申し訳ないんですが、受け取って頂けると幸いです。
よろしくお願いいたします。


ではでは。皆さんありがとうございましたぴかぴか(新しい)
評への反論とかでも全然良いので好きなこと書いてもらえたら幸いです〜
>>[29]

選歌、歌評、ありがとうございました!
僕の歌にも優しくてピースフルな評をいただきありがとうございました晴れ

今回のお題は羊そのものにあまり思い入れや日頃触れるものでもない対象だったのと、どうしても牧歌的な既視感のある言葉になってしまう難しさがありました。
なんとなく「羊みたいな」という言葉を詠み込もうとだけ決めたふわっとした歌になったのですが、HOHAさんの評で、内容を注ぎ込んでもらったような心地です。ありがとうございました!

バトン、お受けします!トピ立て少々お待ちください。


>>[28]

ご講評と選歌お疲れさまでした。

拙歌への評と、
喩の不成立についてのご指摘
ありがとうございます。

おそらく仰られてるのは、

「ストレイシープ(迷える羊)」 = 一匹
に対して、
「羊雲」 = 群れ
なので、
そこにズレがあり喩として成立しないのでは、ということだと思います。

その点に関しては、
「ストレイシープ」という言葉の意味を額面通りに受け止めると、確かに上記のような齟齬が生じてしまいますね。
成る程、その作歌上の疵になりうる点には気が回りませんでした。

作意としては、
「ストレイシープ」は、聖書の一節にある喩え話そのものを指しているつもりでした。
つまり、一匹の迷える羊はもちろん、それを探しに行った羊飼い、残された九十九匹の羊を含め、全体の象徴的な景やこの喩え話の本質を「ストレイシープ」として、その様相を「羊雲」になぞらえたということです。

とは言え、このような解題なく上記の作意に読者を誘導させるスイッチを拵えられなかったのは、やはりまだこの歌に推敲の余地があった証左でしたね。
そもそも「羊雲」に「ストレイシープ」なんで、喩とするにはちょっとイメージが付き過ぎだという自覚はあったままの投稿でした。

長々と失礼しました。
最近、仕事一辺倒でなかなか短歌に時間を割けなくて少しムシャクシャしてたので、その反動で冗長に語り過ぎてしまいました。

他の投稿歌や最優秀歌についてまた時間とって感想書かせてもらいますね。

取り急ぎ(「取り急ぎ」とは…?)
>>[30]

バトン受けてくださってありがとうございます!
羊みたいな犬、っていう"不確かだけど何か良さそう"な存在に"可能性"っていう読みをしたくなったのかなぁと後から自分でそう思いました。
新トピック楽しみにしてます!ぴかぴか(新しい)
>>[31]

ありがとうございます!
コメントくださって良かったです。
実は「評への反論とかでも良いので」って書いたときにいちばん頭にあったのは@貴さんへの評だったので。
@貴さんにしては珍しい凡ミスなのか、それともやっぱりあえてなのか?ってけっこう悩んだんですよ。

実は僕、ちょっと聖書にハマってたというかかじった時期がありまして、なのでストレイシープって言葉が出てきたらやっぱりいったんはあの聖書の話を思い浮かべたんですけど。
でもあの話って「神の教えから外れた罪人(=迷える羊)のことでさえも神は決して見捨てたりしないのだ」っていう、神の愛の深さを説いた例え話だったはずで。
そうすると「この恋を空に〜」の独白にあのストレイシープの説話をくっつけちゃうと「不倫の恋をしている私のことも神は愛してくれるんだろうか」みたいな余計な意味が発生する気がして、それはなんかあんまり@貴さんぽくないかな?と勝手に判断して凡ミス説のほうに傾いてしまいました。
失礼しましたあせあせ(飛び散る汗)

と謝りつつも、そういう聖書に寄せた読みよりは心細い心象風景として読んだほうがこのお歌は僕は好きです(←頑固(笑))
とにかくコメントありがとうございました!
>>[34]

>「神の教えから外れた罪人(=迷える羊)のことでさえも(〜中略〜)「不倫の恋をしている私のことも神は愛してくれるんだろうか」みたいな余計な意味が発生する気がして

そういうことでしたか。
仰るように、ルカやマタイの福音書において、「迷える羊」は悔い改める罪人に対する神の憐み深さの譬として描かれているので、こちらの意図しない読みの可能性を与えてしまっている時点で、やはり詰めの甘い作歌だったと気付かせていただきました。ありがとうございますほっとした顔

ただ、何をもって「罪人」とするかということなんですが、
不倫のような不道徳な恋でなくとも(世間一般からはおよそ道徳の範疇とされる恋の中でも)、
この世には、自身を責めさいなむような寂しい恋や、哀しいかな、宗教上の罪(sin)とされてしまっているものもあります。
拙いなりにそれらの「恋」に光をあてたかったという作歌の背景はありつつも、
「この恋」と暈かして幅を持たせた言い方をしている以上、どうしても意図しない読みの介入を許してしまうきらいがあるのは致し方ないのかなと、半ば諦めモードに入っていたり(^_^;

ともあれ、作歌していると陥りがちな、自分ひとりの目線でしか作品を捉えられない視野の狭さを、
HOHAさんのご指摘によって、もっと多角的に読む・読み直すことで視野を広く持つ、その大切さに気付かせていただきました。
あらためて、ありがとうございました!(^_^)/
>>[35]

なるほど、そんな意図があったお歌だったんですね。
そうですよね、@貴さんから不倫の歌ってあんまりイメージないし。
(…ってこうやって作者バイアスのかかった予想するのは良くないってわかってるんですけどねあせあせ(飛び散る汗))

僕わりと内面は反抗的なタイプなんで、それこそ神学部のある大学行って聖書に興味持ったりもしたけどその「宗教上の罪」って概念に「ケッ」ってなって興味なくしたので(笑)
(信者の方いらっしゃったらすみません)
@貴さんのお歌の主体にも「んなもん気にすんな、内面は自由だろ」って言ってやりたい気分になりますね。笑

まぁそれはともかく(ともかくすぎる笑)、コメントありがとうございました〜!
>>[23]
正直「君」と「羊」と「集」で群集になるという部分は他者からわかってもらえないだろうなぁと思っていました。
なので、ここに気づいてもらえたことは非常に嬉しいです。
この部分は自分のオリジナルではなく、RADWIMPSの曲『君と羊と青』から着想を得ています。
こちらの曲のタイトルは漢字が組み合わさると『群青』にになるというギミックです。
今回はこの漢字の組み合わせの発想を使って自分なりに短歌を詠んでみるという試みをさせてもらいました。
『羊』は普段全く短歌で使わない漢字だったので、自分の中では新しい取り組みになって楽しかったです。
良い機会をつくっていただきありがとうございます。
>>[36]


自分語りというか、自歌の問わず語りが過ぎましたねあせあせ(飛び散る汗)
「バイアス」と云うなら、こうして作者が読み幅を限定して読みを誘導するのは、あまり良くないことだったなあと反省してます(._.)

神学部のある大学に通われてたんですか。
一時期聖書に興味を持たれてたというのは、そうしたルーツがあったからなんですね

> @貴さんのお歌の主体にも「んなもん気にすんな、内面は自由だろ」って言ってやりたい気分になりますね。笑

拙歌にそこまで入り込んで読んでくださり、ありがとうございます。
作者冥利に尽きるとともに、何だかこちらまで背中を押されたような心強さがありました顔(笑)
>>[37]

コメントありがとうございます。
「群集」気づけて良かった〜!

最初に読んだときに「より一般的な"群像劇"って言い方じゃなく"群集劇"って言い方をしてるのは何かこだわりなのかな?」って一瞬思って、そのかすかな違和感みたいなのを振り返ったときに「漢字かぁーーー!!」ってなりました。脳汁出ましたね(笑)
RADWIMPS聴いてみます!
遅ればせながら。

HOHAさん
あらためまして
ご講評と選歌、お疲れさまでした。

読み手としての誠実さと柔らかなユーモア、そして作品への敬意が通底していて、拝読していてとても心地好かったです。
全体とおして読者目線で温かくて、なおかつ言葉と比喩への感受性が鋭いんですよね。こういう評を自分も書きたいと思わせられました。

「羊」という兼題のチョイスも面白かったです。可愛らしくて柔らかいイメージだけじゃない、宗教や神話、夢、不安など、様々な象徴性を背負った動物で。詠み手の個性が露わになる題材だから、色んな “羊観” を垣間見れて、楽しかったです。

拙歌への評も、ありがとうございました。
その節は面倒くさい絡みで手を煩わせてしまってすみませんでした冷や汗
でも、意義のある話ができたんじゃないかなぁと思ってます


おこげさん
最優秀おめでとうございます。


■目がさめて憶えてたら行こう窓の外 羊みたいな犬といっしょに

夢と現実のあわいにいるような、曖昧でやさしい時間が印象的な歌です。

「目がさめて憶えてたら行こう」
「行こう」という未来志向の言葉で誘うのに、その前提条件が「憶えてたら」と不確かなのが詩的です。
夢の中で何かを決意したけれど、それを現実に持ち込めるかは「憶えていられるか」に掛かっている。
夢から目覚めた朝の、ぼんやりした時間。まどろみの中で決めた小さな約束がもし記憶に残っていたら、それはもうちょっとだけ信じてみたくなる。そんな心情が込められているようです。

「窓の外 羊みたいな犬といっしょに」
「羊みたいな犬」という、いかにも夢に出てきそうな、曖昧でもこもこふわふわした存在。それは現実の犬かもしれないし、夢の中の象徴や、心の中の安心感のメタファーかもしれません。
そんな「犬」と一緒に、「窓の外」の世界へ行こうと云う作中主体。一体どこまでが夢で、どこからが現実なのか。『夢十夜』の十一夜目にそっと挿し込まれたような、夢現の浮遊感にただ身を委ねてしまう感覚になります。
それというのも、「窓」という語が、内と外・自己と世界・夢と現実といった二項対立の接点として働いていて、歌の構造的なバランスが良いからなんでしょう。

語り掛けるような柔らかい口調が歌全体を優しく包んでいて、命令形や断定がなく、あくまで「そうだったら、行こうかな」という、ゆるやかな意思表示が心地好い。とても静かで優しいのに、心の奥深くをノックしてくるような読後感の歌だと思いました。
>>[25]
すっごくすっごく遅くなりましたが、講評と選歌、お疲れ様でした。
HOHAさんの講評はなんていうか、語りかけられているようで、すぐ隣で話を聞いているような心持ちになって午後3時くらいの気持ちになれます。笑
それでいて鋭い!
クンタさんの短歌の歌評なんか、うわ!そうか!そうだよねー、ってちょっとわくわくしました。

私への歌評もありがとうございました。
なんか羊を呼び出すような優しい人って、優しく見られたいだけな人なじゃない?みたいな気がするんですよねー。
相変わらずの斜め人間です。笑

>おこげさん
遅くなりましたが、最優秀おめでとうございます。
目が覚めて覚えていたら、のその事はどんなことなんだろ?ってずっと考えしまう短歌でした。
これは「夢」を覚えていたら、ではなくて、眠る前に迷いつつ忘れようと決心した現実のなにか、それでも起きてみて同じ熱量で忘れられなかったなら羊みたいな犬を連れて決行しよう、という事かなーと。
羊は神の使いみたいなイメージもあるので、羊に似ている犬はなにか大事な事を大切に思っている人に伝えに行く勇気の使者として連れて行くのかも?
ずっと窓からみていたその人に。
1人じゃなく、羊でもなくそれっぽい犬と、というのがほんとは忘れる気なんかないんだよね?って、クスッと微笑んでしまう歌だなーと思いました。
自分の背中を押す、みたいな。笑
青空なんて書いてないけれど、青空って思いました。
>>[14]の

のりしろの季節のあはひはつなつの水羊羹は退院の午后

でした。
私事ですが、つい先日、肺炎でもうダメかと思っていた母が復活を遂げて退院しました。
とはいえ問題は山積みで、若い人の退院と高齢者の退院とはかくも違うものかと痛感しています。
なので、この水羊羹は束の間の凪だなーと沁み入りました。

介護をしていると、毎日が生と死のあはいというか、特に認知症の母を見てると日々そのものが正にのりしろだと感じるのです。

ひでさんのこの短歌の「水羊羹」には言葉では表しきれない心情が載せられていると感じ入りました。
薄い甘さの安堵や、安堵だけでは着地できない現実や。
退院されてすぐの体には、きっとしっかりした食べ物よりも、水羊羹のような喉越しのやさしい、淡い甘さのものがスッと入っていってくれるのでしょう。
はつなつ、そしてこれからの暑さにどのくらい耐えられるかわからない体を抱えて生きていく。
それを側で支えていく事の、退院だからと手放しでは喜びきれない気持ちにもあはいがある。

のりしろの季節。
水羊羹。
すべての言葉選びが秀逸で、同じような体感をしている人なら染み入る情景。
感情的な表現はひとつもないのに、言葉にしてしまう事もできない心中さえ伝わるようでした。

万人に百が伝わらなくても、ただただ素直なこの短歌は、ある特定の誰かには共感として慰めになるように思い、こういう短歌はあるべきだなーと感じました。

あと何回、一緒に水羊羹を食べられるんだろうか。
けれど、あはいに居ることで実感できる事はある意味幸せかもしれないとも思います。
それは悲観ではなくて、残された時間を感じられる分、それは決して穏やかな事ではないだけに、時折こうして水羊羹にはまだ少し早い季節だろうがおかまいなしに、おそらく好物と思われるものを一緒に食べる時間を持とうと流さず思える事だから。
日常のこうしたあはいに自身も救われるんですよね。

>あはいはつなつの
ひらがなの羅列が、掴めないまま過ごすしかない日々に相応しい表記だと思いました。

ひでさん、この短歌を詠んでくださってありがとうございました。


どうしてもひでさんのこの短歌の事に触れさせていただきたくて、遅ればせながらのこのこやってきました。



>>[29]

今更ですが選歌・講評、お疲れ様でした&ありがとうございました!
投稿歌への様々な味わい方が提示されて、読みの一つ一つが短歌の鑑賞へのとても深い学びになりました。また語りのライトさと投稿歌への読みの深さのバランスがとても心地よかったです。
拙歌へのとても深い歌評もありがとうございました。

おこげさん、
最優秀おめでとうございました!

目がさめて憶えてたら行こう窓の外 羊みたいな犬といっしょに

おこげさんの歌はその世界観・空気ごと大好きでした。それは上の句「目がさめて憶えてたら行こう窓の外」が表出する空気、春の匂いの中ののどかさ。その世界はそっくりそのまま下の句をふわりとくるんでいるようです。
>>[42]

感想ありがとうございます。
とても深いふかい読み解きを寄せてくださって、ほんとうに嬉しいです。
いろんな出来事はその時、その場所、その季節の中で日光写真のように沈着するのかも知れません。明るい色も暗い色も。
これからもその時々に現れた心象風景をていねいに写生したいと思います。
>>[40]

コメントありがとうございます!
今週バタバタしてて返信遅くなりました。

おこげさんのお歌の、「窓という語が二項対立の接点になっている」っていう読み、なるほど!となりました。
"羊みたいな犬"っていうフワフワして曖昧な存在は、曖昧だからこそ二つの異なる世界の橋渡し役としてまさにぴったりなんでしょうね。

評文への感想も嬉しかったです!ありがとうございました。
>>[41]

コメントありがとうございます!
返信遅くなりました。

午後3時の感じ、良いですねコーヒー(笑)
クンタ・キンテさんの"群集"気づいたの気持ち良かったです!
蜜柑さんや何人かの方がすぐその評にイイネくれたのも嬉しかった!

そしてそして、ひでさんのお歌の感想、ありがとうございました。
僕は"退院の午后"を要素が多いと受け取ったけれど、でもその語がなければこのお歌が蜜柑さんの心にそんなに深く刺さったかはわからないわけで、つくづく短歌に明確な正解ってないなーと思いますね。
蜜柑さんのこの感想をひでさんが読めて良かったなぁと思うし、僕も読めて良かったです。
ありがとうございました!
>>[43]

コメントありがとうございます!
ひでさんと蜜柑さんのやり取りを眺めていて僕もなんだかハッピーでしたぴかぴか(新しい)


ワイガヤで色んなお歌の読みが深まったり感想の交流があるのが短歌点の良いとこですよね。
皆さんありがとうございます…!

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