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糸島魂コミュの伊都国

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伊都国歴史博物館もずいぶんりっぱなものができましたね。
内行花紋鏡が国宝になる日も近いかも知れない。

http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/city/files/itokoku/siryokan/museum1.htm

この博物館があるのは昔の怡土中校庭跡なので感慨深いです。
30年前は今の伊都文化会館の所に小さな資料館があるだけで、こんなに町興しに使われようとは思ってもみませんでした。
 
高校の先生が平原遺跡発掘を手伝った話をしていました。
発掘責任者の原田大六氏の著作は、今でも購入可能ですのでお薦めします。

コメント(18)

怡土中学校のグラウンドは水捌けがよくて、雨の後小学校はまだ乾いていないのに、中学校は乾いていた事が良くありました。いいグラウンドなので、ちょっともったいない気はします。

「実在した神話」をAmazonで注文しました。楽しみです。
この写真の真ん中にある銅剣は三雲出土で、今は上野の東京国立博物館にて常設展示されています。
意外と小さいのですが草薙の剣の原型とも言われており、日本画家・安田靫彦の「草薙の剣」と言う作品に描かれています。
東京に出て来たばかりの頃、思いがけずこの銅剣を見ることができてとても感激しました。
http://www.ne.jp/asahi/sasatuushin/tkd/chikushi-02/chikushi-02.html
すごい!
ちょっとびっくりです。

いつの間にか立派な建物ができていたんですね。


はじめまして。実家が前原のものです。
伊都は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 愛しうるはし
 
発掘最新ニュース。
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news01.asp?kiji=7824
http://www.asahi.com/culture/update/0218/001.html

波多江君のうちの近くやね。
まだまだ出そうです。
お、井原ですね。鑓溝って井原と三雲の境あたりでしたっけ。
大字井原字鑓溝は今は三雲みたいですね。
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=130/14/40.421&scl=25000&size=954,768&uc=1&grp=MapionBB&nl=33/31/57.475
 
大門にも字で県庄や大霜と言った古名が残っています。
父親に聞いたら古地名をいろいろ知ってました。
 
末永はスエ(鉄器)・ナ(の)・ガ(斑鳩のガと同じ集落の意)と言う説もあります。
大丸には古代のたたら跡もあるそうです。
神宮皇后関連の史跡です。
左:鎮懐石神社(深江)
中:染井神社(怡土・染井)
右:雉琴神社(雷山)
 
http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/gingu15.htm
こんにちは。

今日、ぶらりと博物館に行ってきました。先日新聞で「糸島の古地図が発見され、・・・5月8日まで博物館で展示される」とかいう記事を読んだ記憶で。行ってみると「古地図」ではなく「領地境界絵図」でした。今の多久あたりの境界をきちっと測量して描かれたものでした。番地のような数字ばかりで、見てもあまり面白いものではありませんでした。

それよりビックリしたのは、4階の図書資料コーナーで見つけた「雷山地震記録」!!!!
だれかこんな地震があったこと、知ってましたか。昭和4年と5年に起きた地震ですから、今80歳くらいの方なら覚えていらっしゃるでしょう。

・昭和8年8月8日午後10時半ごろ。震度M5くらい(?)
 震源は何と三瀬あたり!!「・・・日の出館の映画客が驚い
 て外に飛び出した・・・」というような新聞記事のコピーも
 あります。

・昭和5年2月5日午前10時ごろ。M5.震源は糸島の海中
 とか。「曲渕貯水池の水が白く変色・・・・」とかの新聞記 事があり。

 曲渕周辺に住んでいる私としてはビックリするやら、内心心 配しつつも興味深く目を通しましたよ。

 明治31年の「糸島大地震」の資料もありました。
 ・明治31年8月10日と12日 震度6.6!!
  震源は芥屋、小富士あたり、とか。

糸島の皆さん、一度行って読まれたら。(かえって不安になりますかなぁ)

 ・5月14日(土)14時から2時間くらい
  「平成16年度発掘調査報告」の講演会が
  博物館で開催されます。申込みが必要です。
  博物館のHPに詳しくでています。
日本最古のガラス玉が出土しましたね。
http://www.asahi.com/culture/update/0514/013.html
小学生の頃にのぼっていたのがなつかしくなって、可也山に行っ
てみたけど、登れるのかわからなくて断念しました。隣の山に
動物たちはいるとききましたけど、登った方おられますか??

 で、あきらめて、雷山方面に行って、雷山房でお昼を食べました。
 http://raizanbo.com/sabo/sabo.htm
 
 おいしかったです。
八坂神社は八坂の勾玉と関係あるのだろうか。
近いし、今度行ってみよう。
この度「伊都国コミュニティ」を立ち上げました。
皆様のご参加お待ちしております。
伊都国時代だけでなく、糸島の歴史を語り合いましょう。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=295543
>里美さん

糸島新聞社発行の「戦国糸島史」に:

史跡:舞岳城 今の前原笹山公園につづく城の尾茶臼山といわれるところにあった。・・・・

と書いてあります。インターネットでも次のような資料があります。

http://www.ne.jp/asahi/kokura/mcqueen/new_page_100.htm

参考にしてみてください。
>里見様
手元にある文献で調べてみました。


■舞岳城(まいだけじょう)
 前原市前原 高祖山城の出城

筑肥線筑前前原駅のすぐ裏(南200メートル)にある笹山公園と、公園に続く城の尾、茶臼山(標高76メートル)の頂上が城跡である。
茶臼山山頂は、100平方メートルばかりの平地で、ここに居館が建てられていたと考えられる。他に遺構は残っていない。
高祖山城原田氏の属城で、永禄年間(一五五九−七〇年)、波多江鎮種が住み、その後、原田氏の家老笠次郎繁種がいた。
笠氏はのち、僧籍に入り、今の舞岳山法林寺を開いたといわれる。


■繋城(つなぎじょう)
 前原市篠原 舞岳城と高祖山城の連絡の砦

筑肥線筑前前原駅の東約1キロの所にある篠原の地の小高い丘、糸島高校の校地が城跡である。
糸島高校は、かつて延命寺という寺院のあった所にあり、瓦の破片が出土するが、城の遺構は全く残っていない。
『波多江旧記』によると、この地に初めて城を築いたのは波多江種貞だといわれる。
永禄年間(一五五八−七〇年)には、波多江上総守鎮種が居城としていた。
なお、繋城の名は、笹山公園の舞岳城に連なるところからきており、舞岳城の支城であった。俗に“つなぎの城”といった。


「福岡県の城」(廣崎篤夫・1995・海鳥社)より転載

柑子岳城(草場城)[福岡市西区今津 大友氏の筑前の拠点、大規模な山城]
曲淵城      [福岡市早良区曲淵 高祖山城主原田氏の支城、曲淵氏助の居城]
安楽平城(荒平城)[福岡市早良区東入部 大友の旗下小田部紹叱戦死の地]
飯盛山城     [福岡市西区飯盛 高祖山城主原田了栄の端城]
高祖山城(原田城)[前原市前原 古代山城を利用した筑前の名族原田氏の本城]
怡土城      [前原市高祖 奈良朝に築かれた本土防衛の朝鮮式山城]
泊城       [前原市泊 新羅三郎の末裔泊氏の居城]
波多江城     [前原市波多江 高祖山城主原田氏一族波多江氏の居館]
筒城       [前原市雷山 雷山神籠石を利用した山城]
旗振嶺城     [前原市雷山 筒城の物見の砦、西鎮兼終焉の地]
舞岳城      [前原市前原 高祖山城の出城]
繋城       [前原市篠原 舞岳城と高祖山城の連絡の砦]
加布里城     [前原市加布里 高祖山城防衛の出城]
親山城(可也城) [糸島郡志摩町御床 大友の筑前の拠点の柑子岳城の端城]
宝珠岳城     [糸島郡二丈町長石 主家原田氏に叛いて滅びた西鎮兼の城]
波呂城      [糸島郡二丈町波呂 宝珠岳城の前衛の砦]
高祖崎城(石崎城)[糸島郡二丈町石崎 唐津藩主寺沢志摩の支城]
深江岳城(二丈岳城)[糸島郡二丈町深江 大内盛見憤死の山岳城]
吉井岳城     [糸島郡二丈町吉井 俵藤太秀郷の後裔吉井左京亮の居城]
十防山城     [糸島郡二丈町吉井 吉井岳城の詰城]


この他にも小金丸館や浦志城などの小さな城もあったそうです。
戦国時代原田氏についてはこちらにコミュニティがありますのでどうぞ。
「大蔵朝臣原田一族」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=155950

怡土(二丈含む)は原田氏、志摩は大友氏に属し、数百年にわたって争いに明け暮れていました。
それで今も仲が悪いのかなあ・・・(笑)

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