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ゴルフの歴史コミュのゴルフコース設計の歴史?

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 ハリー・コルトの助手であったチャールズ・アリソンは日本にも縁深き人物である。アリソンバンカーというゴルフ用語を聞いたことがあるだろう。無茶苦茶あごが高いバンカーの事だが、このアリソンはチャールズ・アリソンのアリソンの事だ。

 もっとも、このアリソンバンカーという言葉は明らかな和製ゴルフ用語で、本場にそんな言葉は無い。アリソンが日本に設計したコースにあったバンカーが、それまで日本にあったバンカーに比べて大きく難易度が高く、それにたまげた日本人ゴルファーが名付けたのだろう。

 日本最初のゴルフコースは神戸ゴルフ倶楽部だが、このコースは誰が設計したのか良く分かっていない様である。おそらく最初期のメンバーの誰かが考えたのだろう。ちなみにこのコース、ブルドーザーなど無い上に険しい山の上に造られたので、全て鍬や鋤など手作りで造られたのである。その後に続いたコースも外国人メンバーや、良くても外国人プロゴルファーなどが設計した。

 1929年のこと、本場の設計家によるコースを求めて「東京ゴルフクラブ」は当代随一の設計家ハリー・コルトを招聘した。しかし、当時既に60歳だったコルトは日本への船旅がきつすぎると言う理由でこれを断り、代わりに助手のアリソンを日本へ向かわせた。

 チャールズ・アリソンはコルトの大学の後輩で、ロングヒッターとして鳴らした一級のアマチュアゴルファーだった。コルトの元でコルト流の設計技法を学び、自らも多くのコースを自ら手がけている。親分だったコルトがイギリス国内でほとんどのコース設計を行ったのに対し、彼はアメリカ、南アフリカ、日本など国外での仕事が多かったようである。

 船に揺られて日本に到着したアリソンは、本来の目的であった東京ゴルフクラブ朝霞コース(現存しないが名コースとして知られた)を設計したほか、川奈ゴルフクラブ富士コース、廣野ゴルフクラブを設計、霞ヶ関ゴルフクラブの改修のアドバイスもした。以上に上げた全てのコース全てが現在でも名コースの誉れ高いことを考えると、アリソンの設計技術は非常に優れていたと言えるだろう。彼は来日時、京都に滞在、日本庭園から強いインスピレーションを受けたらしい。日本で設計したコースにはそのエッセンスが生かされている。今でも日本の古いコースには日本庭園的な曲線美を感じるものが多いが、それはこのアリソンから始まるのである。

 このアリソンから強い影響を受けたのが日本の設計家である井上 誠一と上田 治である。特に井上の曲線を多用した造形や戦略性からはアリソンの強い影響を感じ取ることが出来る。

 さて、ゴルフは1800年代末にアメリカに上陸。広い場所で思い切りボールをひっぱたくというようなところがアメリカ人のお気に召したらしく、一気に広まった。

 ところが、アメリカにはゴルフコースが無かった。無ければ造れば良いのだが、それ以前にゴルフコースというものがどんなものであるのか、誰も知らなかった。そこで登場するのがゴルフ史上希にみる大詐欺師、トム・ベンデローである。

 彼についてはスコットランド出身であったらしい、ということぐらいしか分かっていない。しかし、ゴルフの「G」の字くらいしか知らなかった事は疑いない。それでも彼はゴルフコース設計家として通用した。なんとなれば他のアメリカ人は「G」すら知らなかったからである。

 彼のコース設計はこうである。まず、ティの位置を決める。そして100ヤード歩く。そこに「砂山」を築く。もう100ヤード歩く。そこに大きな丸を描く。それがグリーン。時には丸が四角になることもあった。そしてその周囲に「砂山」を作る。これがバンカーだと、彼は主張した。

 グリーンは丸く芝を刈り込んだだけで、フェアウエイと同面。排水?何それ状態。時にはフェアウエイ真ん中に石垣を築いてハザードとしたり、馬術競技の障害の様なものを置いた事もあった。そうやってゴルフコースとも言えないようなコースをなんと600も造った挙句、彼は消えてしまった。話としては面白いが、実際に金を払った人々にとっては笑い話では済まない。話を伝え聞いたスコットランドのゴルファーが怒り狂ったのも当たり前である。

 ちなみに今ググッたら、アメリカの名門、メダイナ・カントリークラブの設計者が「トム・ベンデロー」だった。・・・やや時代が合わないので、このベンデロー氏があのベンデローなのかは分からない。

 ベンデローが去った後、スコットランドからチャールズ・マクドナルドが帰国、更にドナルド・ロスが移民して来て、ようやくアメリカにも本格的なゴルフコースが登場するようになる。アメリカにはリンクスが無いため、設計家は一からゴルフコースを設計しなければならなかった。しかしその事が逆に設計の自由度を生み、コース設計理論の発展に繋がることになる。

コメント(2)

井上誠一は、よく聞く名前ですね目

調べてみたら、有名なトコを設計してますね。大洗とか鷹之台とか東京よみうりとか…etc。


そんな感じで歴史的に繋がってるんですね電球ナルホド
 ターヘーさん>
 私は井上氏の設計コースは一回(烏山城カントリークラブ)しかプレーした事無いし、アリソン設計のコースは一回もプレーした事無いんですがね(笑)。Tvで見る限り良く似てると思います。

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