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史跡コミュの勝胤寺中世石塔群

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 千葉県佐倉市大佐倉1467−1

 1975年09月17日、佐倉市が史跡に指定。

 https://www.google.com/maps/place/%E6%9B%B9%E6%B4%9E%E5%AE%97+%E5%B8%B8%E6%AD%B3%E5%B1%B1+%E5%8B%9D%E8%83%A4%E5%AF%BA/@35.7314934,140.2507857,17z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x60228eb36ecc029b:0x78a9f578e84e07e3!2z5aSn5L2Q5YCJ6aeF!8m2!3d35.7299414!4d140.2507508!3m4!1s0x60228eb2c9702d4f:0x1c84578c9f791b3b!8m2!3d35.7324001!4d140.2539923

 曹洞宗常歳山勝胤寺にあります。
 勝胤寺は亨禄5(1532)年に本佐倉城主千葉勝胤(チバカツタネ)が華翁祖芳(カオウソホウ)を開山として招き創建した寺院で、勝胤の名が寺名となりました。伝千葉勝胤像など千葉氏に関する寺宝を有し、千葉氏の祈願所となっていました。本尊は釈迦如来です。千葉氏滅亡後の天正19(1591)年に権大納言徳川家康より寺領20石を与えられましたが、当時は山門・客殿・祖師堂・方丈・庫裡(クリ)・衆寮・江湖寮・鐘楼・回廊・地蔵堂・鎮守社・秋葉権現社等の伽藍(ガラン)が並ぶ大寺院でした。明治元(1868)年の廃仏毀釈で零落し、現在では堂宇は僅少となりましたが、境内地は広大な面積を保っています。
 中世石塔群は戦国時代に造立された五輪塔と宝篋印塔(ホウキョウイントウ)で、19基あり、その石材には何れも銚子砂岩が使用されています。天正7(1557)年5月4日に死去した本佐倉城主千葉胤冨(チバタネトム)の供養塔を中心とし、その子邦胤(クニタネ)夫妻・邦胤の子重胤(シゲタネ)等の供養塔が並びます。

コメント(1)

 1月4日火曜日に訪れました。一番奥が千葉胤冨供養塔です。

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