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史跡コミュの毛越寺(モウツウジ)境内  附;鎮守社跡

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 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢

 1922年10月12日、史跡に指定。
 1952年11月22日、特別史跡に指定。
 1957年11月12日、庭園が名勝に指定。
 1959年05月23日、庭園が特別名勝に指定。
 2005年07月14日、鎮守社跡を附(ツケタリ)として特別史跡に追加指定。
 2011年06月25日、UNESCO世界文化遺産に指定。

 寺伝によると、850年に慈覚大師円仁が中尊寺と同時に開山したとされ、根本中堂たる嘉祥寺に大師自作の医王善逝霊像が祀られ、常行堂も創建されたとある。山号は医王山。869年には清和天皇の勅願も得たが、その後、荒廃していたのを、1105年に奥州藤原氏第二代元衡が鳥羽天皇の勅願で再興、金堂円隆寺・常行堂以下の伽藍を造営したとされる。
 さらに第三代秀衡が嘉祥寺も再建、『吾妻鏡』によれば、堂塔四十余宇禅房五百余宇があったとされる。
 だが、1189年の藤原泰衡滅亡後は保護者を失って衰微し、1226年には大半の伽藍が焼失してしまった。続いて、1573年に葛西氏と大崎氏の合戦で常行堂・法華堂以外の堂塔が焼失、1597年に至り常行堂・法華堂も焼失してしまった。
 1728年に仙台藩によって常行堂のみが再建され、1989年には本堂が建立された。
 遺跡は良く旧規をとどめ、土塁・南大門跡苑池・金堂跡その他の堂跡を存し、保存状態良好である。殊に金堂跡は桁行7間梁間6間に復原せられる礎石ほぼ完好に存し、土壇の四周には基壇地覆石がめぐらされ、雨落溝の構造も存する。左右に翼廊跡があり前方に折れてその両端に各々楼の跡が遺存する。その他の堂宇の礎石もよく残り、苑池も亦橋脚を存し中島・庭石の旧規も見るべく、平安時代の伽藍形式を示すものとして学術上の価値がきわめて高い。
 また、旧暦1月に行われる二十日夜祭に際しては、国の重要無形文化財の延年の舞が奉納される。
 http://www.nponia.com/page3-ennennomai-do.htm

 庭園に関しては以下を参照。
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9420840&comm_id=360748

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