ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

史跡コミュの琴似屯田兵村兵屋跡

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 北海道札幌市西区琴似2条5丁目1番12号

 1982年05月07日指定。

 明治時代初期、本州からの屯田兵が北海道へ入植する際に居住できるよう建設された木造建築物を復元したもの。道路等の周辺の土地と共に残されたものであり、た屯田兵の兵村と住んでいた兵屋を理解する貴重な遺跡である。
 琴似屯田兵村は正式名称を「屯田兵第1大隊第1中隊」といい、全部で208戸の兵屋が北側に集中して建設された。現在の兵屋は、この208戸あった兵屋の内の一つを復元したもので、明治7(1874)年に建設された第133号兵屋である。
 これら建物の主な設計にあたっていたのは開拓使工業局営繕係の岩瀬隆弘と、市内中央区の豊平館を設計したことでも知られる安達喜幸である。当時開拓使の開拓顧問を務めていた米国人ホーレス=ケプロンは、天井や壁に白土壁を採用する事や、ストーヴを取り付ける事を提案していたものの却下となった。
 当初は兵屋を2軒の長屋にする事が開拓使により計画されていたが、ケプロンの指導により17.5坪の一戸建ての建築物へと変更された。この時建設された兵屋の造りは、屋根に石を置いて作られた当時の一般的な民家よりも遥かに優れたものであった。
 明治8(1875)年に屯田兵が入植した際、この133号兵屋は宮城県亘理郡小堤村出身の清野専次郎に与えられた。
 指揮官にとって便利になる事や、兵士を集合させるのに有利な事から、密集制の配置が採用された兵屋群には、1戸当たり150坪の住宅地が与えられた。これにより兵屋は農地からやや距離が離れる事となった。
 建物は昭和45(1970)年まで同位置に残されていたが、その後昭和47(1972)年に改築・建設当初のまま復元されて現在に至っている。兵屋後はこの復元された133号兵屋の他にも、建物北東側に畑や土地が当時のまま残っている。
 現在は、札幌市が管理・運営を行っており、北海道各地の「屯田兵村と兵屋」のうちの一つとして、平成16(2004)年に第2回選定分の北海道遺産に選定されている。
 建物の入館は無料で、0900時から1600時までが開館時間である。

コメント(1)

8月8日水曜日に行って来ましたが、既に閉館時間を過ぎていて中には入れませんでした。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

史跡 更新情報

史跡のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング