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史跡コミュの緒方洪庵旧宅および塾

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 大阪府大阪市中央区北浜三丁目3番8号

 1940年07月00日、大阪府が史跡に指定。
 1941年12月13日、文部省が史跡に指定。
 1964年05月26日、重要文化財に指定。

 適塾は蘭学者・蘭方医として知られる備中足守藩士緒方洪庵(1810〜63)が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。正式には適々斎塾という。また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来。
 洪庵は天保3(1838)年、瓦町で蘭学塾を開いたが、弘化2(1845)年に過書町の現在地の二階建て桟瓦葺商家を購入し移転した。
 洪庵は嘉永2(1849)年には古手町に「除痘館」を開き、牛痘種痘法による切痘も始めている。
 門下生からは、陸軍軍医総監石阪惟寛・幕府歩兵奉行大鳥圭介・兵部大輔大村益次郎・日本赤十字社初代総裁佐野常民・幕府奥医師高松凌雲・越前藩士橋本左内・慶応義塾創始者福沢諭吉等が輩出した。
 1862年(文久2年) 洪庵は文久2(1862)年、江戸幕府奥医師および西洋学問所頭取となって江戸に移住したため、塾生の教育には養子の緒方拙斎が当たった。
洪庵は文久3(1863)年江戸で客死し、明治元(1868)年に塾は閉鎖された。
 明治2(1869)年、後藤象二郎大阪府知事の命により、浪華仮病院及び仮医学校が設立され、洪庵の次男緒方惟準が院長に就任、半年後に鈴木町代官所跡に移転した後は緒方拙斎や洪庵の義弟緒方郁蔵等も参加し、その後、改組・改称を経て大阪帝國大学医学部となっった。
 現在の適塾も独立行政法人大阪大学の管理下にある。 

コメント(2)

26日金曜日に行って来ました。

左;緒方洪庵銅像
中;薬研
右;福沢諭吉書
左;『解体新書』
中;『ヅーフハルマ』
右;二階塾生大部屋

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