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史跡コミュの堺県庁跡

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 大阪府堺市堺区神明東2丁目

 1970年02月20日、大阪府が史跡に指定。

 堺県とは、明治元(1868)年06月22日に、旧幕府直轄領だった堺に与えられた名称だったが、その後、どんどんエリアが拡大し、廃藩置県が断行された明治4(1871)年には、和泉・河内両国を統合する県になり、さらに明治9(1876)年には奈良県を吸収合併して、旧大和国まで統合する事となったが、明治14(1881)年に大阪府に統合されて消滅した。なお、奈良県は明治20(1887)年に再独立している。
 県庁は本願寺堺別院に置かれた。
 この寺院は鎌倉時代に三河守護足利義氏(1189〜1255)の四男道祐(ドウユウ)が開山したもので、本願寺8世蓮如上人(1415〜1499)が居住した事もある。寛文3(1663)年、土地を西本願寺に寄進して別院となり、「北の御坊」とも呼ばれるようになった。寛政10(1798)年に火災で全焼するが、文政8(1825)年に至り、京都の西本願寺と全く同じ設計で本堂が再建された。
 本願寺堺別院は、明治4年に境内・建築物を県庁に献上して宿院に移転し、以後10年間に亙って堺県庁がここに置かれた。この間、河内狭山藩陣屋門が西門として移築され、明治10(1877)年には明治天皇の行幸地ともなったが、堺県廃止と共に、本願寺堺別院が元の場所に復帰した。
 なお、歌人与謝野鉄幹の父が西本願寺の僧侶だった関係で、与謝野晶子の「劫初より 作リいとなむ殿堂に われも黄金の釘 ひとつ打つ」という歌碑が境内に建てられている。
 この寺院は、大東亜戦争時の戦災を奇跡的に免れたため、本堂は堺市内最大の木造建築として威容を誇っている。
 また、境内の大銀杏は樹齢300年に及ぶとされており、堺市指定保存樹となっている。

コメント(1)

昨日、行って来ました。

左;山門
中;大銀杏
右;本堂

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