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史跡コミュの大内義隆主従の墓所

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 山口県長門市深川湯本205の16大寧寺

 1967年07月04日、山口県が史跡に指定。

 周防・長門・ 豊前・筑前・石見・安芸・備後七ヶ国の守護を務めた大内義隆(1507〜51)は山口を本拠として巨大な版図を支配したのみならず、大内文化と呼ばれる京都を凌ぐ地方文化を生みだした戦国武将としては他に類例を見ない文化人であった。
 このため、多くの公卿が彼を頼って山口に滞在し、義隆自身も官位は従二位侍従・大宰大弐に達して公卿に列するに至った。
 しかし、天文20(1551)年8月29日、周防守護代陶隆房(晴賢)の反乱に遭い、山口を脱出して青海島から石見(九州?)へ出帆したが、折からの強風に妨げられて引き返し、9月1日、大寧寺において異雪慶珠和尚の授戒を得て自刃した。
 墓地は大寧寺境内の遊仙窟と呼ばれる山腹の谷間にあり、嫡男義尊(ヨシタカ)以下、最後まで従った冷泉隆豊・黒川隆像・岡部隆景・天野隆良・太田隆通・岡屋隆秀・祢宜民部右延・小幡義実等の家人の外、乱の巻き添えを食って殺戮された前関白二条尹房(タダフサ)・前左大臣三条公頼(キンヨリ)・前権中納言持明院基規・前左近衛中将二条良豊等の公卿も含めて33柱の宝篋印塔の墓石が建てられている。
 これらの墓の前には、明冶21年12月、旧長州藩主毛利元徳公爵建立の墓標が建てられ、また、付近に古い墓標が横たわっているが、その施主名の年代から推定すると、旧墓標は義隆没後二百五十年忌の寛政12(1800)年の建立と考えられる。

+大寧寺境内
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33796784&comm_id=398257

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