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史跡コミュの大寧寺境内

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 山口県長門市深川湯本門前1074−1

 1979年02月06日、山口県が史跡に指定。

現在の長門市深川地域は、毛利氏が萩を城下町とする17世紀初期まで北浦一帯の政治・文化の中心として栄えた地であった。
 長門湯本温泉の西にある瑞雲山大寧寺は、長門国内では最初の曹洞宗の寺で、応永17(1410)年、守護大内氏の支族である長門守護代鷲頭弘忠(ワシヅヒロタダ)が創建し、能登国の曹洞宗大本山総持寺から石屋真梁を開山として招聘した名刹である。
 鷲頭弘忠は文安5(1448)年に主君大内教弘と不和になって攻め殺され、この寺に葬られている。
 また、足利学校や金沢文庫を再興した事で知られる関東管領上杉憲実(1410〜66)は、息子憲忠が鎌倉公方足利成氏に暗殺された享徳の乱(1454年)の後は流浪の旅に出て大内教弘の保護を受け、当寺山中に草庵を結んで居住、この地で死去したため、彼の墓も境内にある。
 周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前六箇国の守護を務めた大内義隆(0507〜51)は周防守護代陶隆房の謀反で山口から脱出し、青海島から石見に逃れようとしたものの、風雨が強くて断念、この寺で自刃した。嫡男義尊(ヨシタカ)や前関白二条尹房(タダフサ)・前左大臣三条公頼(キンヨリ)も一緒に殺害され、この地に葬られている。
 この際、当寺は兵火にかかって全焼したが、その後、再建され、江戸時代には毛利氏の保護の下に栄え、中国・北九州各地に51もの末寺を持つに至った。
 境内地前の大寧寺川には盤石橋と呼ばれる石橋がかかるり、防長三大奇橋の一つと言われている。長州特有の刎橋形式で、橋桁部分には18世紀半ばに再建された事を示す銘が刻まれている。
 境内の墓地には、毛利氏重臣の分骨墓約250基もあり、中世以降の北浦文化の面影を伝える遺跡として価値がある。
 本堂は山口県指定文化財、梵鐘は長門市指定文化財である。
 なお、寺の前を流れる大寧寺川はゲンジボタル発生地として天然記念物に指定されている。境内は桜や紅葉の名所としても知られる。

*木屋川・音信川ゲンジボタル発生地
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33638978&comm_id=320240
+大内義隆主従の墓所
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33805258&comm_id=398257

コメント(2)

2日土曜日に行って来ました。

左;磐石橋
中;本堂〔山口県指定文化財〕
右;梵鐘〔長門市指定文化財〕
左;鷲頭弘忠墓
中;上杉憲実墓
右;大寧寺川

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