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Visionary ArtコミュのArt of Imagination

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アート オブ イマジネーションhttp://www.artofimagination.org/はファンタスティック、ヴィジョナリー シュールレアリスムの領域における芸術家による芸術家のためのソサエティーです。ジョン ベイナートの活動がインターネットによって短期間で展開されてきたことと比較すると、その発端は60年代の初頭にまで遡り、当初 イギリスにおいてInscapeというグループ名で出発した活動の主要な軸の一つは設立者である画家のBrigid Marlinとウィーン幻想派のErnst Fuchsとの交流のようです。Brigid Marlinの 動画で、その芸術家同士の交流の雰囲気を垣間みることができます。
アート オブ イマジネーションのサイトでは、その主張を説明する一貫として「想像力の芸術」に関する西洋美術史の要約と、ソサエティそのものの略歴を載せています。


 管理人として印象的だったのは Mische Techniqueと呼ばれる、テンペラと油彩による混合技法が彼らの活動の中でいかに重要な位置を占めているかということで、まるで世にも珍しい魔法のテクニックであるように思えてきます。しかし今では日本の画材屋さんでもテンペラ絵の具セットを目にするようになり、比較的容易に誰もが混合技法を知ることができるようになっています。


設立者の Brigid Marlinに関する2003年の記録がありました。

2018年における最新のブリジット・マーリンによる肉声が公開されました。内容はこのページにおけるAOIの歴史と同じものであり、聞き取りが難しい場合でも文章によって彼女の声明を確認できます。



http://www.artofimagination.org/Pages/Hist.html

1.西洋美術史における想像力の芸術

アート オブ イマジネーション=想像力の芸術とは、二つの面を持ちます。
一つは何世紀にもわたって追求されてきた技量や技法としての「アート」であり、もう一つのイマジネーションとは、芸術作品に命を吹き込み非凡な領域へと高めようとする芸術家のヴィジョンです。このアートとヴィジョンとのコンビネーションによる創造力は時代を超えており、芸術史において一貫してあらゆる時代に様々な注目すべき形を開花させてきました。

14世紀から15世紀 初期フランドル絵画はJan van Eyck(1385〜1441)とその弟のHubertによる油彩技法の発明とその幻想的な絵画によって高度な地点に到達しました。Hieronymus Bosch(c1450~1516)は闇や超現実的な魅力に満ちたヴィジョンを描きました。

15世紀、 イタリア ルネサンスはSandoro Botticelli(c1444~1510)という詩的な画家を生み出しました。そしてPiero della Francesca (1415~1492)の神秘的な美やLeonardo da Vinci による力強く謎に満ちた仕事が現われました。


16〜17世紀 フランドル派とオランダ派はPieter Breughel the Elder(1525~1569)の芸術が生まれる元になりました。彼は寓意的な意味を広範な仕方で風景画に持ち込みました。そしてRembrandt van Rijin(1606~1669)は強い宗教的感情による偉大な絵画を生み出しました。

18世紀、イギリスの神秘主義的な芸術達はWilliam Blake(1757~1827)やSamuel Palmer(1805〜1881)らでした。Wiilliam Blakeは詩的で幻視的な画家であり人生の後半小さなサークルの中のみだけで理解されていました。そして彼に従った理解者の一人であるSamuel PalmerはBlakeに基づきThe Ancientsとよばれる芸術家の集まりを作りました。

19世紀、ラファエロ前派が形成されました。彼らはラフェエロが「立派」な様式を発展させる以前のより誠実な初期ルネサンスへと回帰しようとしました。代表的な三人のメンバーはSir John Everett Millais(1829~1896)、William Holman Hunt(1827~1910)そしてDante Gabriel Rossetti(1828~1892)でした。

19世紀から20世紀初頭にかけてエキゾチックな夢の世界を探求したのはフランスの象徴主義です。Gustave Moreau(1826~1898)が発端となったムーブメントはOdilon Redon(1840~1916)やPaul Gauguin(1848~1903)を含みます。その他の象徴主義の芸術家はノルウェーのEdvard Munch(1863~1944)そしてオーストリアのGustav Klimt(1862~1918)でした。

1924〜1945 シュールレアリスト達の運動が第一次世界大戦の後に生まれました。彼ら画家、作家達は戦争の恐怖やSigmund Freud の著作から影響を受けました。彼らは内省的であり、無意識の探求に関心を持ちました。もっとも特筆すべき存在はダダを始めたMax Ernst(1904〜1989、Giorgio de Chirico(1888~1989)そしてRene Magritte(1898~1967)、夢の暗部を描きアメリカで最も有名になったSalvador Dali(1904~1989)です。またアメリカではGeorgia O' Keeffe(1887~1986)が神秘的な芸術を創造し、アメリカの若い画家達に影響を与えることとなりました。


1945年 若い芸術家達によってウィーン幻想派が第二次世界大戦後に結成されました。彼らはErich Brauer, Ernst Fuchs, Rudlf Hausner,Wolfgang Hutter、そして Anton Lehmdenでした。彼らは皆、先の戦争の恐怖を共通として担っています。


グループの結成者であったErnst Fuchs(1930~)は軍隊生活における酷い体験が作品に反映しています。 戦後Ernstは ウィーン芸術アカデミーに従事しますが、技術というものがもはやそこでは教えられていないということに気付きます。

彼はパリへ旅行し、そこで調査と実験を始め、結果的にルネッサンスの秘密であった混合技法を再発見しました。それは卵テンペラとオイルの皮膜によって絵画を永く保つ方法でした。1954年、この技法による彼の展覧会がパリで開かれた後、Ernst Fuchsの名声は世界的に広がりました。そして世界中から若い芸術家がこの技法を学びにやってきました。彼は学ぼうとする全ての人々と惜しみなくこの技法を分かち合おうとしました。

 数年後、アメリカから多くの芸術家がFuchsのもとで学ぼうとしました。彼らはBob Venosa, Mati Klarwein, Phil Jacobson, Joseph Askew, Brigid Marlin, Herbert Ossberger, Linda Gardner, Clayton Campbell, Hanna Kay, Sandra Reamer, Olga Speigel,といった芸術家でした。またさらに遠く日本やイスラエルからの芸術家達とも彼らは合流し、新たな世界規模のムーブメントが形成されました。

  2. モダニスムとその予期せざる結果 1910〜1990

20世紀初め、芸術としてそれまで認識されてきたものが変化し始めました。写真技術の絶え間ない改良が写実主義を完全に時代遅れのものとしました。印象主義者達が新鮮な世界の見方によって素晴らしく新たな芸術形態を創ろうとしました。しかしその独特のヴィジョンがその後続くことはありませんでした。そしてそれに替わって、キュビスムと抽象主義が後を引き継いでいくことになったのです。

戦争に対する不満と心理学への興味の拡大という二つの要因に影響を受けた芸術家達は内なる世界を見ようとするようになり、自身の世界を探求しつつも社会からの隔絶を経験するようになりました。

個人における教義が最重要となったのです。新たな才能を育てる母体であるところの流派に替わって、単独の天才によるコンセプトが通用するものとなりました。

このような傾向の先鋭化は、ナチ ドイツ、イタリアファシズム、共産主義といった国家主義による荘重なポスター的芸術へのリアクションとして30年代40年代にヨーロッパの芸術家達の間で起こりました。

そして現在、新しい二千年紀において個人主義があまりに広がりすぎたのではないかという疑問が大きくなっています。絶対的な自由に対する性急さの中で何かが失われたのではないか?

今日、新しい芸術家達はメディアの関心を得るために知的なイノベーションを用いています。既製品のオブジェ、あるいは動物の死体、汚れた家具など、あらゆるものを作品として設置しています。 おそらく今ではそのような芸術家による展示が本物とされているのでしょう。かつての芸術への偉大な情熱に替わって、人間のエゴの説明書きが幅を利かせるようになったのです。

まだもっと理想主義的な時代にJohn Ruskin(1819~1900)はこう書いていました。「私達が芸術に望むことは儚く束の間のものを定着させることである。そして不可解であったものに光を当て、測りがたいものを具体化することである。あるいはもう存続しえないものを不滅にすることである。」

モダニズムがもたらした予期しない結果とは霊的で普遍的な芸術本質の喪失でした。

共通目的の欠落とともに職業芸術家どうしの友情の感覚は消えてしまいました。おそらく個々の芸術家はそれぞれに「芸術とは何か?」ということに関して答えを出そうとしているのでしょう。まさにモダニズムの黎明期にLeo Tolstoy(1828~1910)はこう書いています。「我々は芸術と模造品を区別しなくてはならない。真の芸術とは芸術家当人と芸術作品との分裂を消し去るものであり、さらに芸術家と彼の芸術を理解する他の人々全ての間にある分裂とさえも無縁である。しかし、今や、霊性をもたらす芸術に替わって、空虚な、しばしば悪徳としての芸術が準備された。それは真の芸術に対する我々の要求を覆い隠すものである。そして我々の時代における真の芸術は例外なく全ての人々の連帯を要求するものである。あらゆる美徳の上にそれは全ての人間に同胞愛を確立させるのである。」

もう一つのモダニズムがもたらした予期せざる結果は、職人芸術の衰退を尊重するという事態です。

多くの美術学校がもはやデッサンも絵画、彫刻の工芸技術も教えることはありません。才能ある若い芸術家達はなんら本当の訓練が与えられないがために絶望を見出すことになるでしょう。そして時代を超えて発展してきたあらゆる技術が尊重されることは無いのです。

もし行動を起こさなければ、数世紀かかって生み出されてきた技術がやがていつか完全に消滅してしまいます!

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3. アート オブ イマジネーションの起源と歴史


 1961年、芸術界の成り行きについて不満をもつイギリスからの芸術家のグループが一緒に仕事を開始し、彼らは自らをインスケイプ(Inscape)呼びました。彼らはDiana Hesketh(1931~), Peter Holland. Brigid Marlin(1936~) Jack Ray,そしてSteve Snell(1946~)でした。彼らは異なるアイディアとテクニックによってともに実験作業をしたのです。 彼らの作業過程は次のように要約することができるでしょう。
1966年、インスケイプのメンバーの一人であるBrigid MarlinはErnst Fuchsとともに研究するためにウィーンへ向かい、そこで彼女は混合技法を学ぶことができた。それは作業をともに始めた他のメンバー達によって熱狂的に受け入れられた技法であった。そしてイギリス、あるいはヨーロッパとアメリカでその技法が伝えられた。

 1968年、インスケイプのメンバーはエルンスト フックスから招待を受け、彼の夏のセミナーを受けるためにWartholz 城を訪れた。そこは芸術家達がアイディア交換のために世界中からやってくるところであり、彼らは新旧のテクニックに関してともに実験作業をしていた。夏のセミナーはWolfgang Mannerの指揮によって7年続いた。そして素晴らしい芸術作品と友情が生まれた。

1972年 異なる国からの芸術家達が互いにプロモートし合う中で、あるいは芸術目的を推進していくうちに、ワールド ワイド エキジヴィションが様々な国々で開催され、それはインスケイプをインスケイプ インターナショナルとして知らしめるようになった。
1973〜1992 インスケイプ インターナショナルの展覧会は、パリ、アイルランド、オランダ、スウェーデン、東京、アメリカ、カナダ、へと続いていった。混合技法に関する講演や講座がヨーロッパ、アメリカ、カナダで開かれた。

1993年、インスケイプの幾人かの芸術家達をErnst Fuchs 教授が召還し、ウィーン近郊のGrafenegg城にてアート オブ イマジネーションをどのような方法でこれから推進させていくかを話し合った。彼はそれぞれのアーティストにこの目的に向かって活動してくれることを求めた。彼はそのときまでにエルンスト フックス ミュージアムを設立させており、それはOtto Wagnerによって邸宅の中に建設されたものであった。そしてファンタスティック アートの国際的なミュージアムの建設も計画されていた。
1994年 Maurizio Albareli が重要な展覧会「Du Fantastique au Visionnaire」をベニスのZitelle カルチャー センターで立ち上げた。それはこの種のものとして計画されたうちで最も大規模なものであり、インスケイプ インターナショナルの多くのメンバーの作品が含まれていた。

1996年 Rosemary Bassiがドイツのボンにおける自らのギャラリー Rolandseckにて最初のファンタスティックな絵画、彫刻の展覧会のいくつかをオーガナイズした。それはインスケイプ インターナショナルのメンバーが含まれていた。
1997 インスケイプ インターナショナルは想像力の芸術を世界中で促進するためにメンバーシップを拡大することを決めた。このことを容易にするために名称をThe Society for Art of Imaginationに変更した。Ernst Fuchsは名誉会長になることを同意してくれた。

1998年 アート オブ イマジネーションは最初のワールド プレミエ-まさに最初の封切り展覧会を行なった。それはMall Galleries Londonで行なわれた。 Virginia Rogersはこのヴィジョンのパトロンであり、ソサエティに対して$10,000,00を毎年賞金として提供することを約束してくれた。
1999 ドイツ ニュルンベルグの近くにあるThe Erlangen Museum がDr.Christine Ivanovicによって計画された大規模な展覧会「Phantastik am Ende der Zeit」を構成した。この展覧会は歴史的な順列によって構成されており、1481年のSchongauerと1511年のAltdorfercによる木版画や彫刻に始まって、BoschとBreughelの絵画まで至り、それに続く形になっていたのはEnsorやMunch、Max Ernst、Dali,Paul Wunderlichらであった。ウィーン幻想派も良い形で選出されており、そしてこの展覧会はアート オブ イマジネーションの多くのメンバーの作品を展示していた。展覧会はその一部としてファンタスティック アートに関するシンポジウムを設け、1万人以上の観客を惹きつけた。

1999年から2000年にかけて Mall Galleriesでのアート オブ イマジネーションの展覧会は、その第一回展以後も続けられていた。この展覧会は今では非常にポピュラーな恒例行事となっており、想像力の芸術家にフォーラムを用意し、貴重な賞を得る機会を与えている。多くの芸術家がそこで発表することによって発見され、訪れたディーラー達に見出されることとなった。賞金は生活の困難さを実感しつつある芸術家達を助けた。

「インスケイプ」という名の雑誌がソサエティから年二回発行されることになった。
講演や講座が優れた絵画、彫刻技術の知識の普及のために開催された。
2001年 HR Giger が名誉パトロンになることを了承する。そしてアート オブ イマジネーションで2000年における最高賞をとったVonn Stroppと他のメンバーをスイスの彼の家に招待する。そしてHR Giger ミュージアムへ向かって彼とともに旅をする。メンバーの作品による展覧会についてミュージアムにて議論する。

 2001年 アート オブ イマジネーションのメンバーであり、賞賛すべき雑誌、「Art Visionary」の編集者であるオーストラリアのDamian Michaelsが持つインターナショナル ファンタスティック ヴィジョナリー アート コレクションの展覧会がオーストラリアのOrange ミュージアムで開催される。それはアート オブ イマジネーションのディレクターによるものであった。展覧会は熱狂的に受け入れられ、その質の高さによって賞賛された。混合技法における特別なワークショップがメルボルンにて開催された。

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