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街山荘・よしおの著作コミュの信州木島平村『街山荘記』 無謀な旅立ち

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  断続的に睡魔が襲ってきていた。
  一瞬クラッとくる。その度に頭を強く左右に振る。まるでそうでもした
 ら睡魔が振るい落とせるかのように前方を見つめ瞼を瞬かせる。

  中央道を中津川で降り、国道19号線の木曽福島辺りをいつ壊れてもお
 かしくない中古デリカで北上していた。
  
  睡魔とオンボロ車での移動が如何にも心細い。
  デリカは富田親分から10万円で払い下げてもらった。もらったと言う
 にはチトお粗末な代物だが、車検が一年近くもあるからその間騙し騙し慎
 重に乗ればエエやんと気楽に構えていた。

  更に頼りないのがオレの運転なのだ。

  昨年の88年3月にロサンゼルスで免許を取得して、日本国内では国際
 免 許と本末転倒な形で乗り始めたものの、運転歴も浅く40も後半に入
 って上達も鈍く、その上慣れないワゴン車で大阪から信州木島平村まで交
 代なしのドライブときた。

  横の助手席では功一が首を窓外に捻り口を半開きに無心な寝顔で居る
 のを恨めしく一瞥する。
  彼も免許はあるのだがこいつがペーパードライバーときた。

  この一年でこの道は5度目になる。
  高速を豊科まで走れば楽で早いのは自明ながら、高速料金をケチりずっ
 と手前の岐阜県の北の端、長野県との県境の中津川で降りるのだ。
  豊科までの距離約120km程を始末する。

  資金がない。資金は全て他人様からの援助で夢に走るオレにとって贅沢
 は禁物、カネは使わず体力と時間を使う。搾り出す知恵も駆使する。

  塩尻までの旧街道木曽路は右手に木曽山脈が連なり、左手も奥深い山肌
 が迫り山間を国道とは名ばかりの片側一車線の狭い道が続く。

  塩尻から更に北上して松本市を抜け長野市を尻目に北信の飯山市まで約
 170km。更にそこから15分の信州木島平村がある。

  信濃は広い大阪の5倍以上もあり、懐も深い。
  倹約して高速を中津川で降りて後は日田すら一般道路を北上すると大阪
 から信州木島平村まで普通で11時間程度だが、それも走る時間帯と季節で
 一定とは言えない。

  高速の終点豊科まで乗ったなら普通は8時間程度かな。
 
  コレまでは乗用車で一気に走り抜ける場面もあったが、オンボロのデリ
 カにはこれでもかと言う位資材と生活用品を詰め込んでいるので坂道では
 40km走行が関の山ときた。。

  睡魔の悪戯で心細いから甚だ緊張する。緊張するから肩に力が入る。
  その繰り返しは自らを軽い拷問にかけているようなものだ。


  昨夜、即ち1989年12月4日、11時ころ大阪の西長堀を出発した。
  不安いっぱいで哀しい面持を隠し切れないまま見送っていた妻の顔が愛
 おしく脳裏に浮かぶ。

  全てを畳み込んで46歳にして人生を出直し新世界へ向けての旅立ち。
  紆余屈折の末、自ら描いた夢に自分と妻子の未来を託した退路のない門
 出を鼓舞するオレの思いの中では、妻の泣き出しそうな顔さえも微笑ましく
 思い出される。

  眠気覚ましにもっと妻を思ってみる。
  少しふっくらとした頬が愛くるしい。38になるが白い肌とキラキラし
 した瞳、水泳で鍛えた体は実年齢よりも漲る若さを感じさせる。

  オレに対してはチョッと色々あるにせよ、少なくとも他人の前では笑顔
 が絶えない。ママさんの笑顔を見るのが楽しみと言うお客は結構多いのだ。

  額、俗に言うオデコが広い。
  コイツは遺伝で、彼女の母親は日本人だが父親は在日中国人。いわゆる
 華僑。戦前、若い頃に単身日本に来てそのまま定住したと言う。
  福建省出身とか。

  その親父が額から後頭部にかけて見事に禿げ上がっている。
  晩年の毛沢東を少し若くした顔立ちを妻は遺伝として受け継いでいる。

  ところがオレはその親父の姿形は見知ってはいたものの、話を交わすコ
 トなく彼は数年前他界した。

  オレ達夫婦の始まりは、オレが妻子持ち、彼女は19歳と言うまだまだ
 世間知らずの娘時代に結ばれた。
  それまでの妻と幼い二人の息子達と離れ、若い美しい娘に走ったオレへ
  何よりも妻方の両親はじめ親族は大切な娘を妻子持ちの日本人に奪われ
 たことが許しがたく、屈辱も交えた激しい怒りを露にしたのだった。



  息子二人が生まれ、孫可愛いさに娘と孫は許しても、日本人であるオレ
 は死ぬまで拒絶されていた。一方、オレの方でも片意地張っていたのも否
 めない。

  一緒に店で働き、20年近い夫婦生活はいつも連れ添う夫婦であった。
  それが、年末を控え来年の子供たちの学年終了の春先まで大阪と信州木
 島平村とに別れて暮らす。
  妻の不安は痛いほど理解できる。
  それ故に愛おしさが募るオレであって。
   


  夜明け前の暮色が徐々に溶けていき淡い水色の中に明るさが増してきた。
  風景が風景として輪郭を現してきた。
  木曽路は旧街道の面影を随所に残している。古い民家や歴史を感じさせ
 るかつての旅籠屋が保存されているかのような宿や民宿が目に楽しく異郷
 の情緒を与えてくれる。

  迫る山は植林された杉の重い濃い緑が圧倒的ながらも、その合間合間に
 は冬の枯れ満ちた雑木がか細い科(しな)を見せている。少し開けた平地に
 は申し訳程度の田園が稲を刈り終えた後の灰色の地肌を見せている。
  それらが次々と視野に展開しそして後ろへ消えていく。。

  雲がわずかに浮遊する冬の晴れた空が眩しさを露にしてくると、風景の
 背後に聳え立つ峰々の稜線が空との境目を見せてきた。
  塩尻を越えた辺りで左手前方に更に高い山が連なり、その稜線のやや下
 を斑な帯状に冠雪が朝日を眩しく照り返していた。

  あれは北アルプス。


  「すいません。グッスリ寝てしまいました」
  「目がさめたか」
  「はい。ええっ、うわー、やっぱり長野ですね。山に雪が積もってます
 やん、メチャ奇麗ですねぇ」
  「功一、タバコ点けてくれや」
  「はい。それにしても長野ですね。大阪は未だ未だ暖かかったのに、へ
 ぇ雪ですか。僕、初めて見ますわ」

  運転中にタバコの火を点けるのは高等な技術と認識するオレは、それ程
 の初心者なのだ。眠気覚ましにも、動揺する思考へにもタバコのいがらっ
 ぽさと紫煙が少しは役立つのだ。

  雪国に来るのは初めての功一の感動を交えた長閑な言葉にもオレの意識
 は醒めきっていた。北アルプスの冠雪がオレの思考に雪よりも冷たい過酷
 な現実を浮かびあがらせていたのだ。

  懸念していたありがたくない現象。無表情を装った顔とは裏腹に、それ
 は消沈さえ伴った動揺となりオレの胸の中に冷たい風を送り込んできた。


  どう考えても誰もが思うのは時期として無謀な旅立ちなのだ。

  冬の雪国へ雪が降ろうとする正にその時期に400坪の土地の整地と6
 0坪のログハウスの基礎工事に向かっているのだ。

  暖冬と言う味方が一方的につくと希望的楽観を拠り所に手早く着工し竣
 工さそうとは、神風を頼んだ特攻と変わりのない愚行。無謀。

  敢てそんな時期を選んだ訳ではない。
  あらん限りの知力と粘りと執着で追い詰め追い込まれ辿りついた結果こ
 うなったのだ。

  北アルプスの稜線が延々と続くその向こうの更にその向こうの信州の北、
 野沢温泉の手前の木島平村。
  
  標高1351mの高杜山(こうしゃさんとも、たかやしろやまとも呼ぶ)がそそ
 り立つ山麓の400坪の畑地が待っている。

  高所の峰々に冠雪があるのはこの時期は当たり前やんけ、冬はまだまだ
 温暖や、やれるだけのコトはやったるやんけと、意図的に自らを激しく鼓
 舞させながら、北信の山麓の冬の過酷さを知らない若い功一が果たしてど
 こまで耐えられるかなと、よそ事のように思いながらハンドルを握ってい
 た。


 ウマつづく


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