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The Resentmentsコミュの訃報

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コメント(13)

 ステファンのギターはいつのまにかエイモスギャレットやローウェルジョージ
のような心に響く大好きなギターになっていました。

ボニーやジミーデイルギルモア等の仕事は客観的に知っていて好きなプレイでしたが決定的なのはジェフマルダーが18年ぶりにリリースしたシークレットハンドシェイクでの彼のギター。これぞ職人という素晴らしいギターの仕事。

偶然見つけたライトオンタイムのクラウンオヴクリエーションやウェーヴスアゲインストザサンド。

気づいたらいつも聴いてる宝もののようなアルバム。

一昨日偶然にも彼のCDを棚で見つけ心のなかでいいアルバムだよなぁ。
聴きたいと思ってた矢先の訃報。


今日は上等のバーボンと葉巻で彼を偲ぶことにします。

ステファンブルートン、北海道の小さな村にもあなたを心から敬愛している人間がいます。あなたの音楽は最高ですから。できれば一度お会いしたかった。

冥福を祈ります。

びっくりしました。
2年半の闘病生活ということは、2007年の来日時には既に病魔に侵されていたということですか。
終演後例によって淡々とステージで後片付けをしていたときの後ろ姿、更に女性ファンたちに囲まれ次々に記念写真を求められ、はにかんだような笑顔で対応していたことなどを思い出しています。
ギタリストとしての多くの好サポート、そして彼自身の歌も、本当に素晴らしいものでしたね。
たまたま最近ネットで彼が2005年にリトル・フィートの前座で行なったらしいライヴを見つけ、聴いていたところでした。
謹んでご冥福をお祈りします。
2007年の横浜サムズで会ったのが最後になっちゃったか。
再会を期待してたのに、残念!
昨年12月末、サクソンでのリゼントメンツ・ライブの際の一枚です。
いろいろな方のお話からすると、これが最後のライブだったのかもしれません。
合掌
リゼントメンツを観て、
あらためて音楽の楽しさを実感することができ感謝です。
2007年・京都で観た元気な姿、ギタープレイ、歌を
けっして忘れることはありません。 合掌
悲しいデス。
昨年も一昨年もライヴへいけず今度こそって思ってたのに・・。
どうしてこんなにいいミュージシャンばかり・・と音楽の神様を恨みます。
少し落ち着いたら事の経過等を書こうと思いますが、、、すみません、まだダメです。
彼の歌もまだ聴けません、、。
スティーヴンが亡くなって1週間、昨日土曜日に故郷フォートワースで葬儀が営まれたはずです。
ネットで情報を探すこともあえてしていないので、皆さんのほうがいろいろと詳細を知っていらっしゃるかもしれませんね。

自分にとってここまで身近な、そして愛し尊敬するミュージシャンが亡くなったのは初めてのことで、自身の心情はとても言葉では表現できませんが、あえて言うなら父親を亡くして以来の気分です。
オースティンのミュージシャンのコミュニティにも当然ながら大きな悲しみが襲っています。
彼以上にキャリア・実績や知名度のあるミュージシャンもいるでしょうが、その人柄も含め若いミュージシャン達からも、もっとも親しまれ尊敬されていたのではないかと想像します。
あのブルースが、ネットという誰の目にも触れる場所で、ここまで強い言葉でその悲しみを書いているのだから、その心痛は計り知れません。
http://blogs.myspace.com/brucehughesmusic
金曜日の晩、これを読んで私自身もどうしようもない状態になり、聴かなくてもこんな状態なら我慢するのはやめようと、店を早めに閉めて、先週以来はじめてスティーヴンの歌をひたすら聴きました。

これからも、彼の歌を聴いて、彼のことを思い出して涙することはあるだろうけど、
当然ながら、残された者は、亡くなった者のためにも、強い気持ちで前に進んでいかなくてはならないと、改めて感じている次第。
あるオースティンのミュージシャンは、葬儀当日の午後早くにオースティンで自分のライヴがあるので葬儀には行けないと。スティーヴンもそれを望んでいるだろうと。

文字数制限があるようなので続きは次に。
ここからは、特に記録等を残しているわけでもないので、時期や詳細等が曖昧な部分もありますが、私の知る範囲の経緯を。

最初に発病したのが2007年春、その後しばらくは音楽活動を休み治療に専念していました。
その年の5月に『Road to Austin』と題した、“Capital of Live Music”と呼ばれるオースティンという街の存在を改めてアピールする数万人規模の野外フリー・コンサートが企画されていて、そのミュージック・ディレクターに指名されていたのがスティーヴンで、発病時にはすでにコンサートはアナウンスされていて、それに間に合わせて復帰するためにというのもあったのではないいかと想像します。
実際、まだ声は出せないながら、そのコンサートで現場復帰し、彼を中心としたホスト・バンドを率い長時間ステージに立ち、彼の人脈で集まった錚々たるミュージシャン達(ボニー・レイット、クリス・クリストファーソン、デルバート・マクリントン、ボビー・ウィットロック、ボブ・シュナイダーなどなど)がかわるがわる登場するという、素晴らしいコンサートでした。
バックステージではかなり辛そうな状態で、無理をおしての出演だったようですが、そのコンサートの日(5/19)はその年以後、オースティン市では「スティーヴン・ブルトンの日」となっています。
この時期に2007年秋の来日についてはすでに話が進んでいたのですが、スティーヴンの完治を待ってのツアー・アナウンスとなった次第です。
なので、この年の来日時はまさに“cancer free”の状態だったということです。
健康状態に気を使いながらも、とても元気でした。
そして1度目の再発が2008年2月頃(だったはず)。
このときは抗がん剤での治療をおこない、髪が抜け常に帽子を被っていましたが、音楽活動を休むことはせず(声も出せていました)、3月のSXSW期間中にも彼のステージを何本か見ました。
そして6月、ブルースがMatt The Electricianと一緒に来日しているとき、ツアー最終日に、「医師から完治の通告があった」とブルースのところにメールが。
ということで同年秋の来日も決定したわけですが、皆さんも知っての通り、ツアーが近くなってのスティーヴンの急遽来日中止。
このときの理由は、お知らせしたとおり、生前最後まで取り組んでいたTボーンとの映画のサントラの仕事(ジェフ・ブリッジズ主演の『Crazy Heart』)のスケジュールの都合で、体調の問題ではなかったのです。
ですが、このツアー終了後のオフ日、またしても日本にいるブルースのところにスティーヴンからメールが。「違和感が。再発かも。」と。
その後、治療しつつも前述のサントラの仕事も引き続きおこない、また、演奏活動もおこなっていて、joaoさんが書かれている通り年末まではステージにも立っていたわけです。
そして1月下旬−2月頭ごろに肺炎を併発して本格的に調子が悪くなり、これは最期ということで遠方からも含め多くの人達が彼に会いにきたのだけれど、そこは乗り越えたそうです。
そして2月のある日、古くからの友人であるTボーンがジェット機で迎えに来て、LAの彼の邸宅へ連れて行ったそうです。
そこで、最高の医療チームのもと治療に取り組みつつ、上記サントラの仕事も続けていたそうです。
その後、オースティンのミュージシャン達も彼に会う機会はなかったわけですが、3月から4月にかけてのスクラッピーからのメールによると、「状態は一時期よりも良くなり、気分的にも良くなった。体重も増えてきた。」などの連絡があったとのことだったので、希望を持っていたのですが、、、。
先日お墓参りしてきました。

オースティンではStephenBruton追悼ライブなんかもあって、いろんな人に愛された人だったんだなと改めて思いました。
クリス・クリストファスン、ジェフ・マルダー、それぞれの新作が発売されましたが、どちらもスティーヴンが全面参加しています。Tボーンとのサントラ仕事を除くと、これらが最後のレコーディングなのでしょう。もちろんどちらのアルバムも彼に捧げられています。ジェフのアルバムには観光地にあるような記念撮影用のビリー・ザ・キッドの看板から顔を出したスティーヴンの写真があり、フォートワース時代からの生涯の友だったTボーンが短い追悼文を寄せています。
Stephenに捧げたアルバムでは他に、アリゲーターレコードから出たTommy CastroのHard Believerもありました。このアルバムでは、Stephen作のIT IS WHAt IT ISもカヴァーしています。

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