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食品安全情報blog mixi支局コミュのうねやま研究室(日経 FOOD SCIENCE)

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こちらは、日経 「Food Science (食の機能と安全)」
http://biotech.nikkeibp.co.jp/fsn/index.jsp

で畝山先生が寄稿している記事です。(使用許可はいただきました)

■食品中の化学物質や食品の健康影響に関する話題は、 日本にとどまらず世界中にあふれています。 しかし、これらを理解するに足る科学リテラシーが十分でないため、 一般市民はもとより、食品関係者ですら、誤解し、 混乱に陥ることは多々あります。 そうした誤解と混乱の解消を目指し、畝山先生は科学者として、 易しく、詳しく、丁寧に解説してくれます。

◇ とても参考になるので、ぜひご覧ください。(^_^)
(コメント欄に行くほど、新しい記事になります)

2007-11-14
●科学が歪められているのに声を上げない科学者
 私たちは安全な食生活を求めて、科学的根拠をもとにいろいろな対応をします。例えば高温で食中毒菌を殺す、カビが生えないように保存条件を管理する、などのようなことです。偏食しない、というのも科学的根拠があるといえるリスク管理でしょう。ところが食品分野では、この「科学」がしばしば間違って報道され、実際とはかけ離れた形で一般の「常識」になっていることが、多々見られます。それは日本だけではなく、世界中どこでもそうです。そして、その誤解を解消しようといういろいろな活動もまた、世界中で見られます。私たちに必要なのは報道される内容の科学的根拠について理解する能力、科学リテラシーです。一般の人々に理解を求めると同時に、科学者にはきちんと説明する義務があります。今日から始めるこのFoodScienceの連載では、海外の事例を紹介しながら、その科学的背景について説明していきます。 

 2007年10月、英国の、一般向けに科学についての理解を広める活動をしている民間団体Sense about Scienceが、「駆け出し研究者が科学を支持するためのガイド」という小冊子を発行しました。この小冊子は、各分野の若い研究者が、自分が疑問をもった商品について、販売業者に問い合わせた経験談を集めたものです。
 例えば「我が社の食品に化学物質は使っていません」と宣伝している店に「すべての食品は化学物質からできている」と指摘して「化学物質というのは農薬のことで、我が社の製品は有機食品だから化学物質は使っていない」という返事をもらっています。そしてさらに「有機野菜でも使える農薬はありますけど?」と尋ねると答えられなかったことなどを紹介しています(店の名前も問い合わせた人も実名)。

 このガイドでは、そのような科学者の常識を怪しい宣伝をしている業者にぶつけることで世の中のいかがわしい商品を減らし、一般の消費者が騙されることを防ごうという主張をしています。例として挙げられたのは12の商品や業者ですが、そのうち8つが食品やサプリメントです。それだけ食品周辺では根拠の薄い宣伝が多いということでしょう。

 米国からは、民間団体である米国科学衛生審議会(ACSH)の設立者、Elizabeth M. Whelan代表の執筆した記事「なぜ、科学者は科学が歪められている時に声をあげないのか?」を紹介しましょう。この記事は、Whelan博士がCNNの取材に応じて「血中にごく微量の化学物質が検出されたからといって必ずしも健康リスクがあることを意味しない」というごく当たり前の主張をしたところ、視聴者から中傷の電話やメールを多数受け取ったという内容です。この記事には読者がコメントできるのですがそこでも批判は続いています。  
CNNのサイトに掲載された記事というのは、「子どもの体に高濃度の化学物質があることがわかった」というタイトルで、このサイト、Tests Reveal High Chemical Levels in Kids’ Bodiesに掲載されています。ある夫婦が、2人の子どもの体内にある化学物質を測定するという新しい研究に参加し、当初最先端の研究に参加しているのだとわくわくしていたのだけれど、両親より子どもたちのほうが難燃剤や可塑剤の濃度が高いことを知ってショックを受けた、というストーリーです。

 記事では、工業化学物質が子どもたちの病気や障害を増やしていると主張する、環境健康センターの研究者の主張を主に紹介しています。何倍という言い方や難燃剤がラットの甲状腺機能を障害する、可塑剤は不妊の原因かもしれない、という表現はありますが、実際の濃度については記載されていません。動物に高濃度に投与した場合に見られる「毒性」が、すぐにでも子どもたちに現れるかのように伝えています。

 実際、食品や空気中には多くの「汚染物質」が含まれ、感度の高い測定法を使えば何らかの数値が出て「検出」されることはよくあります。ここで報道されている難燃剤ですと、カーペットの上をはい回る子ども達のほうが大人より多く暴露されることがあることはよく知られていることです。

 ですから重要なのは大人より子どもの方が高濃度かどうかではなく、その量が毒性があると考えられる用量に比べてどれだけだったのか、です。Whelan博士はそのことを指摘しているのですが、工業化学物質が悪いに決まっている、と考える記者や読者には伝わりません。善意で研究に協力しただけなのに、不安にさいなまれる両親も被害者です。

 次はオーストラリア・ニュージーランドの例です。乳たんぱく質の一種であるβカゼインの、A2という型を多く作るウシの選別技術で特許を持つニュージーランドのA2社が、自社製品の販売促進のために他社が販売する通常のミルク(A1ミルク)が糖尿病、虚血性心疾患、統合失調症、自閉症の原因となるという中傷行為ともとれる宣伝を行ってきました。 
これに対しニュージーランド食品安全局(NZFSA)は、文献調査を行うなどして根拠のない主張であると否定し続けてきましたが、2007年9月、それを支持する本をLincoln大学でアグリビジネスが専門のKeith Woodford教授が出版。これによってメディア報道が増え、国民の不安が大きくなったため、外部評価を依頼することになりました。

 この本では、NZFSAがA1ミルクが有害であるという主張を否定してきたのは乳業関係者との癒着のせいだという主張もなされていたため、NZFSAの意志決定の経緯についても評価対象としています。評価結果についてはまだ発表されていませんが、安全局はこれらのネガティブキャンペーンにより、結果的に牛乳全体が忌避されて牛乳の消費量が落ち込むことを心配しています。このミルクの件が話題になっているのは現時点ではオーストラリアとニュージーランドだけで、主にA1ミルクを消費している世界のほかの国ではあまり話題になっていません。

 こうした自社製品の販売促進のために、特に何の問題もない同業他社製品をことさら貶めるという戦略はしばしばみられます。しかし、これは消費者を不安にさせ、行政当局に必要のない作業を強いて税金を無駄に使い、最終的には消費量の削減により宣伝を行った当事者にも負の影響が跳ね返ってくるという誰一人幸福にならないであろうやり方です。ビジネスのやり方としては邪道ではないでしょうか。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 

コメント(29)

2007-12-12
●「発がん」物質と「発がん性が疑われる」物質--マラカイトグリーンの例

 この夏、多くの方が「マラカイトグリーン」という物質名を何度も目にしたことと思います。公的機関からの発表では「発がん性が示唆される」または「発がん性の疑いがある」という修飾語がつくことが多いのですが、一部メディアでは「発がん物質」と断定しています。さて発がん物質とは何でしょうか? 一般の人がメディアに踊る「発がん物質」の文字を見て想定するのは「人間のがんの原因となる物質」という意味であろうと思います。もしそういう意味で使うのなら、マラカイトグリーンは「発がん物質」ではありません。その根拠を説明しましょう。

 マラカイトグリーンは、きちんとした手続きを経て使用が認められた動物用医薬品ではありませんので、基礎的な毒性データにいろいろ不足している部分があります。最も重要なデータは米国毒性プログラム(NTP)で行われたマウスとラットでの104週間(2年間)混餌投与試験の結果です。

 マラカイトグリーンについては雌ラットで0、100、300、600 ppm(mg/kg)(食べた餌の量から1日の体重当たりの摂取量に換算すると0、 7、21および43mg/kg)、雌マウスで0、100、225、450ppm(同様に0、15、33、および67mg/kg)を2年間餌に混ぜて与え、発がん性があるという証拠は得られませんでした。つまりラットでもマウスでも、がんの増加は見られなかったわけです。ここで雌動物だけを使っているのは、先に行われた短期間の試験で、雄より雌の方が毒性影響への感受性が高いことが分かっていたからです。

 マラカイトグリーンの代謝物であるロイコマラカイトグリーンについては、雌雄ラットで0、91、272、543 ppm(0、5、15、30mg/kg)、雌マウスで0、91、204、408ppm(0、6、17、35mg/kg)を与え、ラットにおいては明確な発がん性の根拠は得られず、雌のマウスで肝細胞腺腫(良性腫瘍)または肝細胞がん(悪性腫瘍)の合計発生頻度の増加が見られた、という結果になっています。 
実際にどういう結果かというと、雌のマウスの肝細胞腺腫と肝細胞がんの合計の発生頻度(腫瘍ができたマウスの割合)は、3/47、6/48、6/47、11/47ということです。つまり何も加えていない普通の餌を与えた対照群では47匹中3匹に腫瘍(自然発生)が見られるが、それがロイコマラカイトグリーン91ppm(5mg/kg)群では48匹中6匹、204ppm(17mg/kg)群では47匹中6匹、408ppm(35mg/kg)群では47匹中11匹に腫瘍ができていた、ということです。非常に小さい傾きですが、用量相関性があります。

 この雌のマウスの結果と、変異原性がある可能性があるというin vitro試験の結果から、「ロイコマラカイトグリーンに発がん性がある疑い」という結論が出されたのです。この肝臓での腫瘍数の増加がマウスにしか見られない現象である可能性もあり、動物実験での発がん性に明確な根拠があるとまでは言えないのですが、安全側に立って判断されています。マラカイトグリーンは代謝されてロイコマラカイトグリーンになるので、マラカイトグリーンにも遡ってこの「動物実験で発がん性がある疑いがある」という結論が適用されます。

 参考までに、ヒトに対して発がん性があり、公衆衛生上も重要なアフラトキシンB1の発がん性については、ラットに50μg/kgの投与量で19カ月時点で肝細胞がん(悪性腫瘍)が20匹中19匹に発生したと報告されています(Cancer Res. 1987 Apr 1;47(7):1913-7)。アフラトキシンの発がん性はラットでもマウスでも明確で、自然発生腫瘍とは明らかに違う悪性腫瘍がたくさんできますので、「明確な発がん性あり」と見なされています。

 数字がたくさんあって一度には理解し難いかもしれませんが、与えた量の違いと結果の量的・質的違いに注意してください。
 現在、遺伝子に傷をつけることにより発がん性を示す物質については、一律に使用禁止または可能な限り減らすべきという対応がとられています。しかし実際には、発がん性の強い物質もあれば弱い物質もあるのであり、そういうことも検討した上でリスク管理をする必要があるという時代になってきています。動物の発がん性試験で、複数の動物種で、雌雄どちらでも、低濃度で、短期間で、一匹当たりにたくさん、自然にはできない種類の悪性の、がんができた、というような物質は発がん性が強いであろうと考えます。マラカイトグリーンにはこうした性質はありません。そもそもロイコマラカイトグリーンの発がん性が確実で強いものであれば、マラカイトグリーンを与えた場合にも発がん性が観察されるはずです。 
 さてウナギに検出されたとして問題になっているマラカイトグリーンの量はどのくらいでしょうか。国内で数ppb(μg/kg)程度、これまでに私が気がついた最も高いもので香港が報告している16ppm(mg/kg)というものです。これだけの濃度だと色で分かると思いますが、仮にこの数値を使って、マウスの実験で使われたロイコマラカイトグリーンの最小濃度である5mg/kg体重/日を人間に当てはめてみましょう。

 マラカイトグリーンが100%ロイコマラカイトグリーンに代謝されると仮定して、体重50kgの人ですと250mg、ウナギで15.6kgを1日に食べることになります。日本で報告されている例えば0.04ppmという比較的高い方の数値ですと、なんと6250kgです。こういう量を毎日、生涯に渡って食べ続けて、自然発生する腫瘍が2倍になるかどうか、という程度のリスクがあるかもしれない、ということです。

 こうした事柄を考慮して、オーストラリア・ニュージーランド食品基準庁(FSANZ)のQ&Aでは、マラカイトグリーンにヒトでの発がんリスクがあるとは言えないと表現しています。カナダ食品検査庁CFIAでも、微量のマラカイトグリーンを含む魚を通常の範囲内で食べることによる健康被害はないとしています。そして米FDAも、中国からの輸入品の検査命令を出すに当たって、既に購入した水産物にマラカイトグリーンが含まれている可能性があったとしても食べても安全であるとし、店頭に出回っているものについても回収の必要はないと発表しています。

 このような背景情報があれば、「中国産ウナギに発がん性物質」というメディアの見出しに惑わされて不安になったりする必要はないのです。マラカイトグリーンは養殖に使用することが認められていない物質なので、検出されること自体は問題があります。しかし「もし知らないうちに食べてしまっていたらどうしよう」などと恐れるようなものではありません。消費者としては、ウナギの蒲焼きを食べるのでしたらむしろ焼き過ぎや食べ過ぎに注意した方がいいでしょう。詳細については食品安全委員会の「マラカイトグリーン及びロイコマラカイトグリーンの食品健康影響評価について」をご覧ください。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子)
2008-01-16
●日欧比較で分かる残留農薬基準値超えによる回収の愚行

 農産物の残留農薬が基準値を超過していたため回収される、という事例がよく報道されます。基準値を超えていることがすなわちリスクがあるということではないにもかかわらず、消費者には「危険な農産物が出回っている」という誤解が多いようです。そこで今回は、日本とは違う対応を行っている英国での事例を紹介してみようと思います。

食品と飼料に関する緊急警報システム
 EUでは食品や飼料の健康リスク関連情報を各国が共有するためのネットワーク、Rapid Alert System for Food and Feed (RASFF: http://ec.europa.eu/food/food/rapidalert/index_en.htm )があります。このシステムにより、市場に出回っているもので、消費者にリスクがあると判断されてリコール/回収が行われているものはアラート情報として通知されます。輸入時の検疫などで分かったため、市場に出回っていないなどの理由で特に緊急対応の必要がない製品については、インフォメーションとして通知されます。毎週多くの情報が掲載されますが、残留農薬が原因で回収されるものはそう多くはありません。

  2006年のまとめの報告書を見てみますと、アラート情報は934件、そのうち残留農薬が原因のものは15件でわずか2%に過ぎません。多いのは病原性微生物汚染(16%)、カビ毒(8%)、自然の重金属(8%)などです。これは残留農薬の基準値超過事例がヨーロッパで少ないということではありません。回収されるのは「健康リスクがあると判断されたもの」だけで、違反のあったものすべてを回収するわけではないからです。

 つまり残留農薬の検査を行った結果、残留農薬基準(MRL)を超過していることが分かった時、直ちに回収になるのではなく、その検出された量で、消費者の健康のリスクとなるかどうかを判断すること--リスク評価--が行われるのです。

1日許容摂取量ADIと急性参照用量ARfD
 最初に消費者にとってのリスク評価の基準となる2つの数値、一日許容摂取量ADIと急性参照用量ARfDについて説明します。

 1日許容摂取量ADIとは、「人が一生涯にわたって毎日摂取し続けても、健康に影響を及ぼさないと判断される量」として1日当たりの体重1kgに対するmg数(mg/体重kg/日)で表されます。この数値は通常動物での慢性毒性試験(1年以上から一生涯)における無毒性量(有害影響が観察されない濃度、NOAEL)に安全係数(通常種差について10、個人差について10の100を用いる)を用いて導いたものです。一方急性参照用量ARfDは急性毒性の指標であり、動物での急性毒性試験(短期試験、単回投与から概ね1カ月以内)のNOAELに安全係数を用いて導いたものです。この2つの値は同じ数値になることもありますが、通常違うものです。

 例として、「斎藤くんの残留農薬分析」で取り上げられていたエンドスルファンについて見てみましょう。JMPR(FAO/WHO合同残留農薬専門家会議)の98年の評価によれば、エンドスルファンのADIは2年間のラット混餌投与試験のNOAEL 0.6 mg/kg体重/日に安全係数100を用いて0.006mg/kg 体重/日とされています。この時の最小毒性用量は(LOAEL)は2.9 mg/kg体重/日で、有害影響として観察されたのは体重増加の抑制と進行性糸球体腎炎と動脈瘤の発症頻度の増加などです 
 つまりエンドスルファンの慢性暴露により心配されるのは主に腎臓への影響です。一方ARfDはラット発生毒性試験におけるNOAEL2mg/kg体重/日に安全係数100を用いて0.02mg/kg 体重/日とされています。この時のLOAELは6 mg/kgで、有害影響として観察されたのは垂涎・痙攣・摂餌量減少などです。つまり急性毒性として心配なのは主に神経症状です。

 各農産物のMRLは、毎日一生涯にわたって食べても安全であることを確保するために、慢性毒性の指標であるADIを基準に標準的摂取量や農薬の使用状況などを加味して設定されます。ADIは一時的に超過しても問題はない値です。一方事故などで普通とは違う値が出た場合に問題となるのは急性毒性ですから、回収が必要かどうかを判断する基準はARfDを超過するかどうか、です。

 ここで少し脱線します。上述の「斎藤くんの残留農薬分析」の記事において日本でおこった自家製豆腐によるエンドスルファン中毒事故の件についてADIとの比較が行われていますが、これは厳密にはARfDと比較すべきです。この事件では、被害者は推定153mgのエンドスルファンを食べた可能性があるとのことで、これは2-3mg/kg体重ですから、動物実験で神経症状が観察されている濃度と同じ程度を食べたことになります。被害者の症状も神経症状で動物実験とほぼ同じです。これは貴重な症例で、動物実験による有害事象の予測が概ね成り立っているということができます。
 エンドスルファンの神経症状については、ヒトとネズミの種差はほとんどないと言えます。もう少し量が多くて適切な治療がなされなかったら死亡もあり得るという大変危険な事件でした。ARfD 0.02 mg/kg 体重/日は安全係数100を用いた数値ですから、十分安全側に立った値であるということができるでしょう。なおこの一度だけの中毒でしたら、慢性毒性の症状である腎障害については心配ないと言えるでしょう。

英国での残留農薬リスク評価
 さて英国では、野菜や果物の残留農薬について定期的に残留農薬委員会PRCが検査を行っています。その結果は定期的に報告書として発表されています。直近の07年第二四半期報告書によれば、1053検体を検査し、31検体からMRLを超過する残留農薬が検出されています。このうち、RASFFに通知されたものは2件のみで、そのうち1件はMRL超過ではありません。

 詳細を挙げてみますと、ブドウ9検体からMRLが0.02 mg/kgのキャプタン0.09-0.5mg/kgとMRLが0.5 mg/kgのクロルピリホス1.1 mg/kg。キウイからMRL0.02 mg/kgのジコホール0.07 mg/kg。レタスからMRL 0.01mg/kgのクロロタロニル0.9 mg/kg。ナシからMRL0.01mg/kgのフェニトロチオン0.02mg/kgとMRL 0.2 mg/kgのカルベンダジム0.4 mg/kg。柑橘類からMRL0.02 mg/kgのジメトエート0.05mg/kgとMRL0.05 mg/kgのジフェニルアミン0.1 mg/kg。ドラゴンフルーツからMRL 0.02mg/kgのイプロジオン0.05 mg/kg、パッションフルーツからMRL0.05 mg/kgのジチオカルバメートが0.06-0.1 mg/kg、MRL0.05 mg/kgのシペルメトリン0.06mg/kg、MRL0.02mg/kgのジメトエート0.03 mg/kg、トマトからMRL0.05mg/kgのクロルメコート0.7 mg/kg。

 さてこのうち回収対象となったのはどれでしょうか?答えはカルベンダジム0.4 mg/kgが検出されたナシです。ほかにオキサミル0.03mg/kgが検出されたトマトが回収対象となっています(トマトのオキサミルは07年12月30日以降に新しいMRL0.02mg/kgが発効すると超過になりますがこの時点では超過ではありません)。MRLの何倍か、などは全く関係ありません。

 これは残留農薬を検査したら、検出された残留農薬について個別のリスク評価を行ってから判断するためです。MRLを超過したということは、評価の対象になるというだけのことでリスクがあることを意味しないのです。逆にMRLは超過していないものの、リスク評価の対象になるものもあります。 
リスク評価には検出された農薬をどれだけ摂るかの推定が必要です。  摂取量評価は複雑なものですが、まず消費者集団を食品の摂取量や食習慣が異なる全部で10のグループに分けます。成人、乳児、幼児、4-6才、7-10才、11-14才、15-18才、ベジタリアン、老人ホームの高齢者、自宅の高齢者です。それぞれについて食品摂取量調査データがあり、それをもとにして、急性毒性の場合は一日で最も多く食べるヒトの食べる量と検出された農薬の最大濃度を使ってARfDを超過するかどうかを判断します。慢性毒性の方がふさわしい場合には長期の平均的摂取量と平均的残留農薬量を使ってADIを超過するかどうかを判断します。通常残留農薬モニタリングでMRL超過があった場合には急性毒性が問題になるのでARfDを超過するかどうかが検討されます。ここでARfDを超えるということが確認されて初めて回収措置などの対象となるわけです。

 MRLを超過したものについては、生産者などに対してその事実が文書で伝えられます。生産者は基準違反の原因を調査し、対応や報告を行います。MRL超過の原因は、基準値の変更が周知徹底されていなかった(MRLは頻繁に変更されます)、近傍農場からのドリフトなど、さまざまです。そうした生産者からの回答についても、PRCの報告書には掲載されています。

 これが農業国でもある英国での対応です。検査の後にリスク評価という手間がかかりますが、農産物を無駄にしないためには必要な対応ではないでしょうか。せめてMRLよりADIやARfDのほうが重要であるという認識を持ってもらえれば、と思います。新聞記事が「基準値の何倍の残留農薬が・・」というほとんど意味のない数字ではなく、「ARfD(ADI)の何%に相当する・・」というものになると、より一般への理解が進むと思います。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 
2008-02-13
●中国ギョーザ事件報道を巡る科学的な不正確

 中国産冷凍ギョーザ事件は、当初残留農薬の疑いも掛けられましたが、どうやらそうではなくて、犯罪性の色合いが強まってきました。全容解明までもうあと少しというところでしょうか。とはいえ、一連の報道において、特に薬剤に関する説明では、いくつか誤解を招くようなものもあり、見逃しておけません。今回は、メタミドホスやジクロルボスについて、作用機所や毒性などをまとめてみます。

メタミドホスはどう作用するのか
 まずメタミドホスの性質については、食品安全委員会が「メタミドホスのハザード情報シート」を作成していますので、こちらを参照してください。少し説明が必要な部分について、次に加えてみます。


 コリンエステラーゼは、副交感神経の神経伝達物質であるアセチルコリンをコリンと酢酸に分解する酵素です。アセチルコリンは神経末端のシナプスで細胞の間に放出されて次の神経細胞に信号を伝え、役割を終えると速やかに分解されます。有機リン系コリンエステラーゼ阻害薬は、コリンエステラーゼに結合することによって酵素活性を阻害します。結果としてアセチルコリンが分解されずに、コリン作動性ニューロン(副交感神経)を過剰に活性化することにより作用を発現します。

 中毒症状を引き起こしているのは、もともと自分のからだの中で作られているアセチルコリンです。アセチルコリンの受容体にはムスカリン型とニコチン型があり、前者を活性化した結果現れるのがムスカリン様作用、後者がニコチン様作用です。メタミドホスで不活性化されたコリンエステラーゼは時間が経過すれば酵素活性を回復します。口から摂った場合、吸収されやすいので症状が出るのは摂取後数分から数時間後で、速やかに尿中に排泄され、組織に残留することはありません。尿中に検出されるのはメタミドホスそのものと、O,S-ジメチルチオリン酸などです。生体内で比較的分解されにくく神経での作用が強いので、毒性が高いのではないかと考えられています。

気になる中毒症状が出る摂取量
 どれだけの量を摂取すると中毒症状が出るのか、という問題ですが、実際信頼できるヒトでのデータはありません。そこでいろいろなデータから推定する、ということになります。幸いにしてメタミドホスのin vitroでのコリンエステラーゼ活性阻害作用はラットやマウスとヒトの間にほとんど種差はないとされているので、動物実験のデータからある程度は推測できるだろうと考えられます。

動物における半数致死量(LD50)が毒物の毒性の強さとしてよく引用されますが、ラットでの13-23 mg/kg体重をそのまま50kgのヒトに当てはめれば650-1150mgとなります。しかし症状が出るのはもっと低い濃度です。メタミドホスの毒性として最も感受性の高い指標は血漿や赤血球などのコリンエステラーゼ活性の低下で、ラットでの単回経口投与により20%以上のコリンエステラーゼ活性抑制が見られた用量は体重1kg当たり0.7 mgで、体重1kg当たり0.3 mg/kgでは影響は無かったと報告されています(JMPR)。

 このデータから急性毒性の無影響量NOAELは、0.3 mg/kgとなります。ここで知りたいのは影響が出る量ですから、0.7 mg/kgをそのまま50kgのヒトに当てはめれば35 mgとなります。コリンエステラーゼ活性の抑制は中毒症状より低い濃度で観察できますから動物実験から類推される中毒量は数十mg以上1g以下の範囲、ということになります。

 このほかヒトのデータとしては、1日に体重1kg当たり0.03 mgを21日間経口投与してもコリンエステラーゼ活性の低下は見られなかったというものがあります。

ADIやARfDとの比較
 農薬の安全管理のために設定されているこれらの値は、以前にも説明し通り、安全係数を用いて実質的にはリスクはないレベルに設定されています。従ってこれらの値を超えたからといって中毒症状がでることはほぼ考えられません。メタミドホスのARfDは0.01 mg/kg体重/日とされていますが、上述のようにNOAELは0.3 mg/kgです。通常動物実験データからARfDを導き出すには種差について10、個人差について10の合計100を使うことが多いのですが、この場合安全係数として用いられたのは25です 

毒性のエンドポイントが明確な病変ではなく「酵素活性の低下」だったからです。通常毒性評価では、神経細胞の変成といったような病理組織学的変化をエンドポイントとします。酵素活性の低下は、症状は無く、投与後回復するので「病変」と言うには少し大げさなものです。また例えば肝臓の代謝酵素などはアルコールや薬物、グレープフルーツなどいろいろなものの影響を受けて、常にある程度変動します。ですからFAO/WHO合同残留農薬専門家会議(JMPR)の場合は100ではなく25を用いたのです。
↓ 

 一方カナダ有害生物管理規制局(PMRA)は2007年案でメタミドホスのARfDを 0.001 mg/kg bwとしています。根拠にした実験動物のデータは同じで、NOAELは0.3 mg/kgです。PMRAの評価案では種差に10、個人差に10、遅発性神経傷害を考慮した追加の安全性係数3で300を用いています。その結果JMPRより1けた低い数字になっています。遅発性神経傷害は、重症の急性中毒になった場合、一部の患者に見られるとされています。

 このように農薬の安全管理のための参照値は、設定根拠などを詳しく見ないと、中毒などの事例を解釈するにはあまり役に立たないものです。さらに付け加えますと、NOAELは、多数のデータの中から最も感受性の高いもの、つまり一番低い濃度で影響が見られたものを選ぶので、最も確からしい値というわけではありません。

 例えばラットで10、ウサギで10、イヌで1というようなデータがあったとして、イヌが特別でヒトはラットの方に近いだろうと予想されたとしても、NOAELとしてはイヌのデータが採用されるという場合があります。これはできるだけ安全側に立って管理しようという意図によるものです。ARfDやADIはあくまで残留農薬のリスク管理を行うための値である、ということです。

ジクロルボスは毒性弱いが規制値は厳しめ
 ジクロルボスについても食品安全委員会からハザード情報シートが発表されていますので物性については省略します。毒性はメタミドホスより弱く、酵素活性の阻害作用も速やかに回復し、遅発性神経傷害はほとんどおこらないとされています。注記すべきこととして、国際がん研究機関(IARC)がジクロルボスをグループ2B(ヒトに対して発がん性がある可能性がある)に分類していることが挙げられます。これはマウスの強制経口投与試験で、腫瘍発生の増加が認められたということを根拠にしています。

 しかしこの試験におけるジクロルボスのマウス前胃(ヒトにはありません、組織学的には食道と同等)の腫瘍発生は、繰り返し強制経口投与(胃内に直接管で流し込む)による前胃付近での高濃度ジクロルボスによる細胞傷害によるものであろうと考えられます。ヒトの胃に相当する腺胃は粘膜で覆われていますが、前胃はそうではなく、かつ食道より物質の滞留時間は長いため、刺激による細胞傷害を受けやすいと考えられます。従ってヒトでは普通は起こらないと考えていいと思われます。

 ジクロルボスについては質の高い経口での動物実験データがあまりなく、安全性が高い割には規制上の数値が厳しめになっています。これはジクロルボスの殺虫剤としての使用用途(揮発性で心配されるのが主に経皮や吸入暴露であって経口暴露ではない)にもよるのですが、もともと揮発性が高く分解しやすい物質の動物での試験は難しいということもあります。前述した、強制経口投与による発がん性試験も、普通に餌で与えられる物質であれば、する必要のない試験です。

有機リン系殺虫剤は毒ガスと同じ?
 有機リン系殺虫剤について、コリンエステラーゼ阻害作用があるというだけの理由で毒ガスの「サリンと同じ」と言う人がいます。有機リン系殺虫剤にもいろいろあり、メタミドホスのin vitroでのコリンエステラーゼ活性阻害作用はパラオキソン(パラチオンの活性体)の約1000分の1、アセフェートの約1000倍と報告されています。しかし毒性が単純に1000倍違うかというと必ずしもそうではありません。

 酵素活性阻害作用という作用メカニズムは、その物質の毒性を決めるたくさんの条件のうちの1つでしかありません。サリンの凶暴性はその揮発性やコリンエステラーゼとの結合が強固で不可逆的であるなど、サリン特有の性質によるものと考えられますが、農薬成分のようにきちんとした安全性データが揃っているわけではなく、比較のしようがありません(実験するヒトの身の安全を考えるとデータが必要だとも思いません)。例えばジクロルボスは動物では致死量に暴露された場合でも、死にさえしなければ24時間後にはほぼ完全に回復するとされていますが、サリンは違うのではないでしょうか。通常の毒性試験データのないものを比較対象として持ちだして「同じ」であると主張するのは普通にはあまりしないことだと思います。

 メタミドホスと類似の急性症状を誘発し、動物実験での中毒用量や致死量も比較的近い身近な有害物質としてはタバコに含まれる成分であるニコチンがあります。ニコチンはニコチン様アセチルコリン受容体を直接活性化して作用を示します。アトロピンはムスカリン様作用を抑えるのには有効ですがニコチン様作用には効果はありません。危険な毒物は私たちの身の回りにたくさんあって、農薬や合成化学物質だけが有害なのではありません。タバコの煙を吹きかけられたからといって心配で心配で眠れない、というような人はあまりいないと思います。今回問題となっている商品を食べた人でも、中毒症状が出ていない場合は、サリンなどという単語に惑わされて心配する必要はないと思います。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 
2008-03-12
●米国で安全性が確認されたクローン動物、日本での受容はどうなる?

 2008年1月15日、米国食品医薬品局(FDA)がクローン動物由来食品の安全性について最終リスク評価報告書を発表しました。06年12月に案として発表し、パブリックコメントを募集してまとめたものです。クローン技術を用いて作成したウシ・ブタ・ヤギ、あるいは伝統的に食用とされている動物のクローンの子孫は、普通の家畜同様、食用として安全であるというものです。 

また欧州では、欧州食品安全機関のEFSAが08年1月11日にクローン動物についての意見案を発表し、08年2月25日までの予定でパブリックコメント募集を始めました。こちらも基本的にクローン動物由来食品は、通常の交配で生まれた動物から得られる食品と特に違いはないという意見になっています。

 クローンは遺伝的コピーを意味します。この場合、体細胞核移植(SCNT)という方法により、望ましい性質を持つ家畜のクローンを作ることが実用化段階に入ったので、この技術について評価しています。簡単に説明すると、目的の動物の体細胞から取った核(遺伝子を含む)を、別の動物の卵子から核を取り除いたものに入れて、試験管内で胚(初期の発生段階、通常は受精卵が何回か分裂を繰り返したもの)になるまで培養し、それを代理母の子宮に移植して育てさせて産ませるという方法です。

 理屈の上では、生まれた子どもの遺伝子はもとの動物とほぼ同じですから、肉質などの性質もまた同じであることが期待されます。ただし完全に同一ではなく、遺伝子配列以外の要素(エピジェネティックと言う。例えばDNAのメチル化の程度やテロメアと呼ばれる遺伝子の末端の短い繰り返し構造)が違うこともあります。最初のクローン動物として注目されたクローンヒツジのドリーは、このテロメアの長さが短いことが話題になり、クローン動物は生まれつき寿命が短いのではないかと言われましたが、その後各種クローン動物が作られるに従ってそのような一般的傾向はないことがわかってきました。

 クローン動物そのものには、誕生までに生殖補助技術に伴う死亡例の多さや、発育上の問題などいくつかの困難があることが知られています。ただし健康に生まれてしまえばその後は普通の動物と特に変わらないようです。健康なクローン動物から生まれた子どもでは、クローンで見られたような若干の差もなく、さらに普通の動物と違わないことが示されています。そのためFDAはヒツジのクローンについてはデータが不足しているとしながら、ヒツジクローンの子孫については食べても安全であると判断しています。 
FDAやEFSAが食品としての安全性を評価した基準は、クローン動物の肉や乳が、クローンではない動物の肉や乳と違うかどうか、です。栄養素の組成などの物理化学的性質については、正常のばらつきの範囲内におさまり、クローン動物に特有の何かがあるという証拠はありませんでした。遺伝子については、もともと遺伝的親動物と同じですから違いはありません。遺伝子組み換えとは違って、特に新しい何かを導入したわけではないので当然のことです。

 安全性評価と言っているのは、通常の食品と比べてどうか、という相対的評価のことです。農薬や食品添加物の場合のように、数値を出してどの程度安全であるかというような評価はできません。科学的にはこれ以上のことは言いようがありませんので、安全性については問題になるようなことは、特に無いと言っていいでしょう。

 クローン動物由来食品については、遺伝的にも物理化学的にも通常のものと同じであるので、表示は必要ないとFDAは結論しています。必要ない、というよりできない、と言った方がいいのかもしれません。物理化学的に、つまり「モノ」として同じであるならば、違いを見分ける方法はないということです。違いのないものに違いがあると表示し、一方を高値で販売する、というようなことがあればそれは偽装の温床でしかありません。もちろんトレーサビリティーや知る権利などを主張して表示を求める意見もあります。しかしそれは任意で信用に基づいて行う以外に方法はなく、安全性などを根拠にして規制できるようなものではありません。

 米国では遠くない将来に、クローン動物の子ども由来食品が市販されるようになるであろうと考えられています。食の安全問題に意見を出すことの多い市民団体の1つである公益科学センターCSPIはクローン動物が安全であるというFDAの評価に満足しているというプレスリリースを発表しています。

 しかしながらクローン動物由来食品に対する反発があることも事実です。食品の安全性という話題からは離れますが、その背景について少し考察してみます。

 クローン動物由来食品への反発の一つは、「人の手が加わったものは良くない、天然や自然に近い方が良い」、という近年の先進国共通の流行があります。例えば、米国で顕著に問題化しているものの1つが、未殺菌牛乳の流行です。牛乳は安全性確保のため、殺菌しないで売ってはいけないのですが、それが消費者の「生の(ナチュラルな)牛乳を飲む権利」の侵害だと大きな運動になっていて、規制機関は対応に苦慮しています。科学的根拠から言えることは全く逆で、「自然は危険、危険を管理するために人の手が加わっている」なのですが。このような理由での反対はGM食品やそのほかの高度に加工された食品に対しても常にあります。

 クローン動物に特徴的な問題は「クローン技術」の倫理問題にあるようです。偶然ですが、FDAのクローン動物由来食品の安全性に関する報告が発表されたと報道された時期とほぼ同時に、日本の文部科学省科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会で1月22日、ヒトクローン胚研究を容認する方針が決まったというニュースがありました。また米国では民間企業がヒトクローン胚の作成に成功したことも伝えられました。04年には韓国のファン・ウソク教授が、ヒトクローン胚からES細胞(胚性幹細胞)を作り出したと発表したことが後に捏造であり、共同研究者の卵子を使っていたなどの倫理的問題があるとされた事件がありました。 

ヒトのクローンと動物のクローンとは倫理的・社会的意味が違います。しかし食品に放射線を照射して殺菌する技術が、原子爆弾の負のイメージとともに語られることがあるのと同様に、クローン動物にはヒトクローンの影がついて回ります。実際問題として、クローン動物の作成には純粋に畜産での応用を目指している場合のほかに、ヒトで実験する前の段階として動物を使うという側面もあります。ファン・ウソク教授は獣医でした。

 ヒトクローンやヒトの生殖補助技術についての倫理的問題は非常に大きなものですが、病気が治るかもしれないという希望を持っている患者や、不妊に悩む患者の前で徹底的に語られることはありません。韓国の事例でも明らかなように、再生医療への期待やノーベル賞確実などという明るい話題の中で、倫理の問題はあまり気が進まない話題であることは確かです。しかし臓器移植や生殖補助医療の進歩により救われた命もあれば逆に収奪される命もあるのが現実です。金持ちの病人のために貧しい人が臓器を売るということは現実に行われています。

 クローン胚からヒトを作って臓器を使った方が、万能細胞から必要な臓器だけを作るより技術的には簡単であろうという「おぞましい現実」があります。たとえ世界中でクローン人間を作ることを公式には否定していても、技術的に可能であればいつかどこかで行われるのではないかという疑念は否定できません。本来そういう問題はヒトの再生医療推進上の問題点として議論されるべきことですが、必ずしも十分ではないのでしょう。その影の部分が、クローン動物の倫理問題として、表に出ない形で忌避感情の基盤の1つとなっているようです。

もう1つ米国の事例を紹介しましょう。01年12月に米国で、初めてのクローンネコCC(carbon copy)が生まれました。この子は商業目的でペットのクローニングを行うことを目的としたっ企業Genetic Savings & Cloneが作ったことで注目を集めました。死んでしまったペットを「生き返らせたい」という飼い主の願いをかなえると思われたのです。しかしCCはもとのネコとは模様が違っていて性格も異なるネコでした。

 毛の模様は遺伝子だけでは決まらないのです。性格も育てられた環境にもよります。クローンは決して生まれ変わりでも再生でもないのです。当初ペットを亡くした飼い主から多数の引き合いがあったというGenetic Savings & Clone社は、数匹のネコのクローンを5万ドルで作っただけで商業的には失敗し、06年に会社を閉じます。CCは健康で普通に赤ちゃんを産んで立派な母ネコになっています。この会社についても動物愛護団体などから批判が寄せられ議論を巻き起こしました。

 ちなみに、ネコのクローン技術はもともとイヌのクローンを目的として研究されていたものでした。そのイヌのクローンについては今年2月、韓国バイオベンチャーのRNL Bio社が、米国人女性からクローンイヌの注文を受けたと報じられました。クローン技術を用いたイヌが商業利用されるのは世界で初めてだといいます。とはいえクローンは死んだ動物の「生き返り」ではないという現実は同じでしょう。 

 さて最後に日本について考えてみましょう。実は世界で最も多くクローンウシを保有しているのは日本だとされています。07年末時点でウシが1242頭と欧州倫理グループの報告書に記載されています(ただしこれは農林水産省の発表から考えると体細胞クローンと受精卵クローンの合計ではないかと思われます。体細胞クローンだけの数ではそう多くはないですが、畜産の規模から考えると多いと言っても良いかもしれません)。

 FDAはクローンウシは高価であるためにそのまま食用にすることはなく繁殖用に使うことが想定されている、と述べています。クローンウシ1頭作るのにかかるコストが約1万5000-2万ドルとのことです。しかし仮に200万円のコストで、和牛のチャンピオン牛のクローン仔ウシが手に入るとしたらどうでしょうか?高級和牛の場合はクローンの子孫ではなくクローンそのものを食用にしてやっていける状況にあります。

 FDAの発表に、クローンウシの子孫が日本に輸出されるかもしれない、心配だなどという報道もありましたが、クローン技術の受容によって最も恩恵があるのは日本の畜産農家だろうと考えられます。遺伝子組み換え作物については事実上日本での栽培が不可能になっている状況ですが、クローンについても同じ轍を踏むのか、消費者の立場であってもメリットとデメリットを冷静に判断することが求められます。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 
2008-04-09
●子どもの多動と食用着色料の関連を示唆する研究をEFSAが評価

 2008年3月14日、欧州食品安全機関(EFSA)が、食用色素と安息香酸ナトリウムによる子どもの行動への影響に関する論文についての評価を終了し、プレスリリースを行いました(EFSAは食品添加物と子どもの行動に関するサウサンプトン研究を評価する、McCann らのある種の色素と安息香酸ナトリウムの子どもの行動に与える影響に関する研究の評価結果−AFCパネルの意見)。内容についての日本語での概要はこれを参照して下さい。結論としては「この研究の知見は食用色素や安息香酸ナトリウムのADIを変更する理由としては使えない」というものです。つまり科学的根拠としては弱いということです。この研究については2007年9月12日に松永和紀さんがFoodScienceで速報として伝えていますのでそちらもご覧下さい。

 以上を踏まえた上で、この研究の背景について少し説明したいと思います。食用色素や保存料などの食品添加物が子どもの行動に悪影響があるのではないかという説を一般に広めたのはBenjamin Feingold博士(1900年生まれ、82年死亡)です。彼は75年に出版した本「なぜあなたの子どもは多動なのか(Why Your Child Is Hyperactive)」で、合成香料や着色料を食事から除くことで多動の子どもの30%から50%が治療できると主張しています。これはファインゴールドダイエットと呼ばれ、多くの人が実践したとされます。

 ただし効果は科学的には実証されていません。読者が思い思いに実行して効いたという人もいれば効果はなかったと言う人もいる、というようなものです。母親がこの食事療法を信じてしまったため、それまで効果があった薬物療法 を中止されて、悪い状態で過ごさねばならず大変辛い思いをした、という犠牲者もいるようです。

 もともとFeingold博士は天然の食品にも含まれるサリチル酸塩を問題にしていて、その関連で野菜や果物以外に解熱剤のアスピリン(体内でサリチル酸に代謝される)やフェノール性水酸基を持つ抗酸化剤であるBHA、BHT、TBHQなどを避けることを推奨していました。安息香酸はサリチル酸から水酸基(OH)がとれた構造のものです。実際にサリチル酸塩不耐の人がいることは知られていて、キュウリやトマト、モモなどに反応してアレルギー症状を起こすことがあります。その概念がいろいろな改変を経て、「合成添加物」により多動になる、日本の現代風に言えば「合成添加物で子どもがキレる」という風に変形して流布されているようです。今でも米国にはファインゴールド協会という団体がファインゴールドダイエットを推進しています。ただし、ADHDの治療法としては認められていません。 
 そして今回の研究を行ったのはUniversity of SouthamptonのJim Stevenson心理学教授らのグループです(http://www.psychology.soton.ac.uk/people/ShowProfile.php?username=jsteven&source=acres)。彼らは発達心理学や児童心理学の専門家で、これまでの論文リストを見てみると、虐待経験や未熟児で生まれたこと、母親との関係、喘息やアトピー、遺伝的要因などあらゆる子どもの発育に影響しそうな要因を対象に研究しているようです。食品関係については04年の食用色素と多動に関する論文が最初のもので今回評価対象になった07年のものが2報目です。

 この04年の報告(ワイト島研究、B Bateman et al., Archives of Disease in Childhood 2004;89:506-511 The effects of a double blind, placebo controlled, artificial food colourings and benzoate preservative challenge on hyperactivity in a general population sample of preschool children)が今回の実験のもとになったものですのでそれについて少し説明します。

 この研究ではワイト島在住2878人の3才の子どもに手紙を送り、最終的に277人を被検者に色素投与実験を行いました。まず最初の1週間は食用色素と添加物としての安息香酸ナトリウムを避けた食生活をしてもらいます。次の1週間はサンセットイエロー(E110、食用黄色5号)、タートラジン(E102、食用黄色4号)、アゾルビン(E122)、ポンソー4R (E124、食用赤色102号)各5mgの合計20mgと、安息香酸ナトリウム45mgを入れたジュース300mLを毎日飲みます。次の1週間は添加物を避けた生活をします。そして最後の1週間は添加物の入っていないジュースを毎日飲みます。この4週間で1セットで、ジュースに添加物が入っているものを先にする場合と後にする場合があり、当事者には何が入っているかは知らされません。

 実験開始前と投与各期間の終了時の合計5回、子どもの行動について専門家と保護者が評価しました。専門家による評価では、実験開始前から4週間後まで、子どもの様子に全く影響は見られませんでした。一方保護者(主に母親)による評価では、実験開始前のベースラインに比べて食品添加物を避けた食生活をすると多動が減ったと評価され、ジュースを飲むと添加物の有無にかかわらず多動が増えたと評価しています。リンク先の論文の図2と図3をご覧下さい。 
この結果から、著者らは添加物の入っていないジュースでの多動の増加がプラセボのジュースでの場合より大きいというところに注目して、添加物が多動を増やすことが示唆されたと考察しました。この考察について英国COTが妥当ではないとしたためhttp://www.food.gov.uk/multimedia/pdfs/tox200511.pdf、実験計画を変更して行ったのが今回問題になっているLancetの論文です。

 この保護者の評価で興味深いことは、専門家の評価に比べてばらつきが大きいことと、実際には入っていなくとも「添加物が入っているかもしれないジュース」を飲ませることや「添加物を除いた食生活をしている」ことで大きく評価が変動することです。特に「添加物をとらない食生活」というのは、実際には安息香酸などは食べ物そのものに含まれているわけですから化学的には内容はあまり変わらないものです。しかしこれで大きく評価が変動しています。これが実際に子どもの変化を反映している可能性も無いわけではないですが、専門家の評価では子どもの行動への影響はないので、どちらかといえば保護者への影響のほうが大きいと考えられます。

 さらにこの論文では色素の入ったジュースと入っていないジュースを中身の見えない容器に入れて目の前で飲んでもらって区別できなかったから盲検が成立している、と記述してありますが、実際には色素の入っているジュースは一目見てわかるほど色が違います。ニュージーランドの科学技術コントラクトであるESRのPeter Cressey博士から色素を入れたオレンジジュースの写真を日本の読者の皆様に紹介する許可を頂きましたのでご覧下さい。左から無着色、タートラジン、サンセットイエロー、ポンソー、アゾルビン5 mgを入れた300mLのオレンジジュースです。そして実験に使ったのはその全部を入れた右端のジュースです。

 
 実験ではジュースを飲んでいるのは家庭で、3歳児に300mLのジュースは少し量が多いようで、飲み残しもあります。子どものことですから、こぼしたり遊んだりもするでしょう。保護者や児童が色の違いに全く気がつかないと考える方が不思議です。

 新しい実験ではこの問題点を改善するために、ジュースの中身を変えています。つまりトロピカルジュース150mL、赤ブドウジュース80mL、プルーンジュース10mL、黒スグリジュース140mL、ビートルート(火炎菜、深紅)のジュース10mL、ナシジュース20mL、オレンジジュース160mL、水55mLです。8-9才児にはこの割合で混ぜた625mLを、3歳児には同じ割合の300mLを1日の量として与えています。
 これですと相当濃い色のジュースになりますので色素の影響は小さいでしょう。その代わりに味も濃くきつくなりますので甘味料としてアスパルテームを加えています。Stevenson博士らによれば砂糖よりアスパルテームの方が多動には影響がないという文献情報があるそうです。そしてさらに重要なことは保存料として加えた安息香酸ナトリウムがマスクされてしまう可能性のある量の抗酸化物質が豊富に含まれるカクテルになっています。

 天然の野菜や果物にはもともとフェノール性の抗酸化物質が含まれますが、色が濃いものほど量が多い傾向があることが知られています(一部世間ではそれを健康によいなどと謳っているわけですが、Feingold博士によれば悪者になります)。天然の色素も大量に含まれます。基本となるこの混合ジュースの化学成分分析は行われていませんので詳細なデータは分かりません。これを毎日6週間にわたって飲み続けるというのは大変なことだと思います。

 そして新しい研究データでも、投与物質ごとに一貫してはいないものの僅かな差がついた原因は保護者の評価によるものがほとんどだったのです。この差について、可能性が高いのはごく一部にある種の色素に対して過敏症の子どもがいる、という仮説で、Stevenson博士らは遺伝子型を検討したりしていますが、よく分かっていません。いずれにせよ学校の先生や第三者から見れば全く影響がないレベルのことですので「気にしない」で済むのではないでしょうか。もともと多動スコアは個人差があり、今回報告されている「添加物の影響」より個人差のほうが大きいわけです。おとなしい子どもの方が大人にとっては扱いやすいのでしょうが、多動スコアが少ないほど良いというわけでもないでしょう。

 こうした背景を考えると、この研究の知見が根拠としては弱い、という結論が納得できると思います。この程度の「根拠」で食用色素を禁止すべきだと主張するのは無理があります。むしろはっきりしているのは保護者の気持ちが大きく影響するということです。つまり「悪いかもしれない」という情報そのものが保護者の主観に悪影響を及ぼす可能性が高いわけです。

 完璧な子育てをしようと孤軍奮闘している経験の少ない母親たちに不安情報を与えれば「子どもの状態が悪くなったような気がする」と感じさせるのは簡単です。そういうネガティブ情報を使ったマーケティングは人々を幸福にはしません。真に子どもたちの幸福を願っている人なら、根拠の乏しいネガティブ情報を広める行為はしないはずだと思います。

 
また「疑わしいものを排除する予防原則」を採用すべきだと主張する人たちもいますが、今回の着色料の実験に関しては最も重く見ている人たちですら、着色料を排除することで病的な多動が改善されることを期待すべきではない、としています。ADHDの治療に役立つとはとても思えないものを、「予防原則」により排除しても症状の改善は見込めないわけですから、たとえ着色料が排除できても次には別のものが疑わしいとされるだけでしょう。根拠の乏しい疑いによりあらゆるものを無限に排除していくことはできません。「感情まかせの予防原則」では何も解決しないのです。

 最後に、今回の論文が権威ある医学雑誌「Lancet」に掲載されたことを重要視する人もいるようですが、社会的に注目されていたり重要だったりする問題を、学術論文としてのレベルとは別の理由で積極的に取り上げるのは珍しいことではありません。科学的根拠というものは、権威ある雑誌に論文が1つ発表されたから信用できるというような単純なものではありません。有名な雑誌に掲載されれば多くの人の目に触れるので、それだけ厳しく評価されるという側面もあります。

 前述のように、添加物と子どもの多動との関連についての仮説は既に30年以上の歴史があり、未だに明確な関連を示す根拠は示されていないのです。そのような背景がある研究の、過去最大規模のものが今回の論文ですので話題性は十分だったと思われます。著者らのこれで証明できたという主張とは違って、「証明されたとは言い難い」とEFSAは判断したわけです。私は食用色素の影響というものが一般の集団に対してはたとえあったとしても極めて小さい、ということを明確に示した論文だと思います。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 

2008-05-14
●「環境ホルモン」問題はどうなった?ビスフェノールAの評価を巡る世界の動向「その1」
 日本では今のところあまり話題になっていませんが、カナダが哺乳瓶へのポリカーボネートの使用禁止を提案し、米国とカナダで報道が過熱しているビスフェノールAの安全性評価について、これまでの経緯をまとめてみようと思います。「その1」としたのは、米国とカナダでは現在パブリックコメント募集中でまだ結論が出ていないことと、これまでの経緯を紹介するだけで相当な分量になってしまうためです。

 ビスフェノールAは日本でも10年ほど前にいわゆる「環境ホルモン」問題として騒がれたことがあるので、記憶している人も多いのではないでしょうか。当時の報道が理由で、ラップやポリカーボネートの食器や哺乳瓶の使用を止めたという人もいるかもしれません。あれだけの騒動の後、続報があまりないのはどうしたことだろうと思っている人は多いのではないでしょうか。

 報道の世界と違って科学の世界では、問題提起だけしてあとは知らんぷりというわけにはいきませんので、当然その後も研究は続いています。そしてまず2007年1月に欧州食品安全機関(EFSA)が評価文書を発表しました。

○プレスリリース
29 January 2007 EFSA re-evaluates safety of bisphenol A and sets Tolerable Daily Intake
その要約 

○科学的意見
29 January 2007 Opinion of the Scientific Panel AFC related to 2,2-BIS(4-HYDROXYPHENYL)PROPANE
その要約

○FAQ
29 January 2007 AQ on Bisphenol A
その要約

 この評価意見は、内分泌攪乱化学物質への懸念が浮上していた最中に行われた02年の評価を更新したものです。02年の時点では実験動物でごく微量のビスフェノールAが生殖器官に影響を与える可能性があるという主張(いわゆる低用量影響)があることから、念のために通常用いられる安全係数100を500に割り増しして暫定耐容一日摂取量(TDI)を設定していました。

 それがその後の研究の結果、いわゆる低用量影響はヒトで起こる可能性はほとんど否定できるという結論に達し、安全係数500を100に戻して暫定TDIを完全TDIとし0.05 mg/kg体重としました。これはビスフェノールAが特別な物質ではなく、通常の毒性評価ができる物質と認めた、ということです。

 このEFSAの評価は英国やドイツの国の機関も承認し、ヨーロッパでの内分泌攪乱物質としてのビスフェノールAにまつわる騒動はこの時点でいったん終息を迎えます。

 一方、米国では国家毒性プログラム(NTP)のヒト生殖リスク評価センター(CERHR)によるヒト生殖影響評価が行われていました。CERHRがビスフェノールAを評価対象物質にしたのが05年で、評価を行う外部専門家委員会が最初の報告書案を発表したのが06年12月、その後何度かのパブリックコメント募集と改定を経て、報告書(November 26, 2007、Expert Panel Report on Bisphenol A、その要約)が提出されたのが07年11月です。

 この外部専門家委員会の報告書を元にNTPが作成したビスフェノールAの評価案(April 14, 2008、DRAFT NTP BRIEF ON BISPHENOL A、その要約)が発表されたのが08年4月18日です。 

ここで問題になったのは、外部専門家委員会が出した報告書ではいわゆる内分泌攪乱化学物質の生殖器系への低用量影響についてはほぼ完全に否定的評価だったのに対して、NTPの評価案では若干低用量影響に検討の余地を与えた、ということです。また外部専門家委員会の報告書では、これまであまり問題とされてこなかったビスフェノールAの神経や行動への影響について動物実験で可能性が示唆されたことを取り上げたということがあります。

 評価対象として選定してから報告書が完成し、評価が出るまで(まだ最終評価は出ていません)ずいぶんと長い時間がかかっています。これまでに出された報告書案やパブリックコメントなどはこのサイト(NTP CERHR、Bisphenol A)に掲載されています。現在募集中の意見についても順次掲載されています。

 このNTPの発表を受けて、規制担当機関である米国FDAは独自に専門委員会を立ち上げて評価を開始しました。5月上旬の時点でのFDAの見解は、EFSAの先の評価と同様、健康への悪影響は想定されず、哺乳瓶やプラスチック製品を使い続けて問題はないというものです。

 またカナダでは08年4月18日に政府がビスフェノールAの評価の概要とその規制案(April 18, 2008、Government of Canada Takes Action on Another Chemical of Concern: Bisphenol A)について同時に発表しました(その概要)

 カナダの評価案は米国NTPの外部専門会委員会の報告書とほぼ同じような内容となっており、生殖器系への低用量影響については否定的です。そしてヒトに対して現在の暴露量で健康被害が出るおそれはないとしています(強調しておきますが、世界中でビスフェノールAのヒトに対する有害影響が確認された、あるいは確からしいとしている機関は一つもありません)。 
 それにもかかわらず、予防的措置として(いうなれば「安心」のために)哺乳瓶へのポリカーボネート使用禁止などを提案しています。このような規制は世界で初めてのことだとカナダ政府は自慢しています。現在この案は意見募集中で最終決定はされていませんが、カナダのメーカーの中には自主的にポリカーボネート製の哺乳瓶を回収したりするところが出てきています。

 こうした動きに対してオーストラリアとニュージーランドでは極めて簡潔にファクトシートやQ&Aを発表し、安全性について心配する必要はないと消費者に情報提供しています。

オーストラリア・FSANZ
April 2008 Bisphenol A (BPA) and food packaging ファクトシート
その概要

ニュージーランド・NZFSA
29 April 2008 Bisphenol A (BPA) in baby bottles Q & A
その概要

 米国とカナダでの発表を受けて、EFSAは必要であれば先の意見を更新すると声明を発表していますが、特に決定的な新しい情報が出たわけではないので先の意見が変更される可能性は低いと思われます。

 最後に、オーストラリアや米国FDAが日本で行われたビスフェノールAの評価として引用しているのが、独立行政法人産業技術総合研究所化学物質リスク管理研究センターの発表した「ビスフェノールA 詳細リスク評価書」(中西準子プロジェクトリーダー)です。このサイトから日本語で読めます。

 もちろん海外の規制担当機関が参照したのはこの英語版だと思われます。この詳細リスク評価書については中西先生がご自身のホームページで内容について説明しておられますので、ご一読下さい。

○330-2006.1.16ビスフェノールAの詳細リスク評価書−生態リスク評価算出手法が新しい−
○378-2007.2.20「速報!欧州連合が、ビスフェノールAの耐用一日許容摂取量の値を変更」

 さて、ここまでとりあえず基礎となる資料を紹介しました。ビスフェノールAの規制がどうなるかは現時点ではまだ決定されたものはありません。各国が結論を出すまで、もうしばらく時間がかかると思います。その後の状況については、またご報告いたします。現時点で言えることは、「世界で最も安全側に軸足を置いて世界で一番厳しい規制を提案した」カナダで、危険だという報道の量が多く、消費者の不安が最も強いようだ、ということです。

 ある北米の母親のコミュニティサイトに、「私は今まで自分の子どもに煮豆の缶詰めばかり食べさせてきて、健康的な食事だと自慢していた。でも缶詰めの内側の塗装にビスフェノールAが使われていると聞いて、私は子どもに毒物を与えていたのだと絶望的な気分になった」という書き込みがありました。そもそもマメの缶詰ばかり食べるのが健康的だというのもおかしいのですが、一般の人たちがどう受け取っているのかは想像できるのではないでしょうか。安心のための対策がかえって不安を誘発している、という皮肉な状況になっているように見えます。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 

2008-06-11
●食品由来のリスクを定量評価する
 食品のリスクというと真っ先に思い浮かぶのは食中毒でしょう。一般の消費者には残留農薬や加工食品の添加物が危険だと思っている人が多いかもしれません。今回はそうした食品由来リスクを定量化して評価しようという試みについて紹介してみようと思います。

 なぜ定量化が必要なのかといいますと、食品には限りませんが想定されるあらゆるリスクに対応するというのは現実的に不可能なので、リスクの大きいものや費用対効果の高いものから優先的に処理していくことで、限られたリソースで最大の利益をあげることができるからです。日本ではあまり聞いたことがないかもしれませんが、国の政策決定過程に導入されている規制インパクト評価(Regulatory Impact Assessment、ここでは詳細は説明しませんが興味のある方は国土交通省国土技術政策総合研究所のサイトなどを参照)にとっても重要な指標となります  

オランダ国立公衆衛生環境研究所(RIVM)が2006年に「我々の食品、我々の健康:オランダにおける健康的な食事と安全な食品 Our Food, Our Health: Healthy diet and safe food in The Netherlands」という報告書を発表しています。364ページの全文はここからダウンロードできます。

 この報告書では食品由来の疾患負荷の指標として障害調整余命年数 (Disability Adjusted Life Years、DALYs )というものを使用しています。これは疾病や障害による時間の損失を単位として、早い死や身体障害について、年齢による損失の重み付けや標準平均余命を考慮して計算される数値で、1 DALYは完全に健康な一年の寿命損失を意味します。DALYsはYLL(Years of Life Lost;早世による生命損失年数)とYLD(Years Lived with Disability;障害を抱えて生きる年数)の和です。

 例えば、平均寿命80才として交通事故で75才で死亡した場合は5 DALY、病気で4年不自由な生活をして75才で死亡した場合には5+4*0.5=7 DALY。食中毒で1日トイレから離れられなかったというような場合は 1/365 DALYというように計算するというような具合です。実際には重み付け係数が多数あり、そう単純な計算ではありませんが概念としてはそういうことです。

 オランダは人口1620万人、国土の面積は九州とほぼ同じ、ヨーロッパでも北部に位置する国ですが、海洋性気候のため比較的温暖です。東京などと比べると夏は涼しく、積雪は少ないが冬の寒さはやや厳しいという気候です。平均寿命は2004年のデータで男性76.9才、女性81.4才です。ちなみに日本の05年のデータは男性78.5才、女性85.5才となっています。

 オランダの成人の約10%が肥満(この場合肥満の定義はBMI30以上)で、食事内容はトランス脂肪と飽和脂肪の摂取量が多く、野菜や果物は不足気味です。死因としては心血管系疾患が最も多く、次いでがん、呼吸器系疾患、外傷や中毒といった順番になっています。時代とともに心血管系疾患とがんが増加しています。日本人より心血管系疾患が多いのが特徴です。 

 RIVMは5つの食事要因(飽和脂肪・トランス脂肪・魚・果物・野菜)・過体重・喫煙・アレルギー・適量を超えるアルコール・カビ毒や天然毒・硝酸/亜硝酸塩・多環芳香族炭化水素やアクリルアミドなどの汚染物質・微生物汚染などによる疾患負荷を検討しました。そのうち食事要因としては、飽和脂肪は全エネルギーの10%未満が望ましいが、98年の平均摂取量は14.5%と摂り過ぎであること、野菜や果物や魚については推奨摂取量より少ないことなどから、望ましい食生活により防げたであろう心疾患系疾患患者数を推定しています。

 食中毒については、どこの国でも正確な患者数は不明ですので、届け出られた患者数から実際の患者数を推定して計算しています。オランダの食中毒では最も多いのが黄色ブドウ球菌やボツリヌス菌などの細菌毒素によるもので、次いでカンピロバクターやサルモネラなどの細菌感染によるものと推定されています。

 その結果として、失われるDALYが最も大きく30万DALY以上にランクされたのは「全体としての不健康な食事」および「喫煙+運動不足+アルコール過剰摂取」の2つでした。以下に表を示します。
○健康の損失ランキング(失われるDALY)
・30万以上:全体として不健康な食事、喫煙プラス運動不足プラスアルコール過剰摂取
・10万-30万:食事要因5つ・運動不足
・3万-10万:トランス脂肪の摂り過ぎ・魚や野菜の不足・アルコール、交通事故
・1万-3万:飽和脂肪の摂り過ぎ・大気中微粒子・インフルエンザ
・3000-1万:微生物による胃腸炎・受動喫煙
・1000-3000:室内ラドン
・300-1000:食品中カンピロバクター、アレルギー物質、アクリルアミド
・300以下:O157・PAH・各種環境汚染物質  

この値はあくまでオランダ人の場合についてのもので、日本人の場合はまた違った結果になるでしょう。日本人の場合は肥満率と心血管系疾患が少なく、魚の摂取量は多く飽和脂肪は少ないため、食生活全般についての相対的負荷は少なくなる可能性があります。一方食中毒などの負荷は大きくなるかもしれません。

 ここで注目すべきことの1つは、食品中に残留する農薬や食品添加物により失われるDALYはほぼゼロであるということです。これはオランダでも日本でも、先進国であれば一様にほぼゼロです。事件や事故がなければ、規制に従って使用されている農薬や添加物による健康被害は出ないと考えられるからです。従って食品中の残留農薬や食品添加物については何か今以上の対策を行ったとしても公衆衛生上のメリットはほとんどありません。個人としても健康上は無意味です。それよりも食中毒対策に資源を割いた方が合理的、ということになるのです。

 上述のような報告を行ったRIVMは優先すべき政策として、国民に対する健康的な食生活の推進を挙げています。もちろん最も費用対効果の高い政策は禁煙であることは明白ですが。このような根拠を示した上での提言は、その是非を議論するにも極めて建設的で有用だと思います。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 
2008-07-09
●詐欺的「健康食品」「サプリメント」への対応

 近年、食品の機能性についての関心が高まっているようですが、その期待の極端な形が詐欺という形で世界中で問題となっています。日本では「いわゆる健康食品」に分類され、海外では「ナチュラルヘルス製品」「ハーブ」「伝統的漢方薬(TCM)」「サプリメント」などと呼ばれる商品群があります。医薬品ではないものの、濃縮エキスだったり粉末だったりカプセルや錠剤だったりといった形態で、食べて美味しいとはとても言えないような「食品」群です。当然、食欲を満たすために食べるのではなく、別の目的で食べるわけです。こうした製品の中には違法な未承認医薬品とみなされるものが数多くあります。欧米では最近、こうした製品に対する警告が相次いで出されています。今回は、そうした最新事例をまとめてみます。

 医薬品は通常安全性と有効性を審査して認められた場合にのみ、医師などの専門家が使うものですが、日本の分類でいう「いわゆる健康食品」にはそのような制度はなく、安全性も有効性も確認されていないものがほとんどです。またこれらの製品の販売者は、患者に対して主治医とのコミュニケーションを妨げるような言説を吹き込むことも多く、患者が必要な治療を受けなくなったりすることになります。従って、重大な病気を患っている患者はこのような製品を使うべきではない、とほとんどの国や機関で警告を発しています。 

 しかしながら現実には、被害者は後を絶たないのです。理由の1つは有効な治療法がない末期がんなどの場合には、わらにもすがる思いで、嘘でもいいから試してみたいと思うものだという患者心理があります。だからこそ、この手の詐欺が悪質で許し難いものであるわけです。そしてもう1つの理由は、科学技術や医療に対する一般的不信を背景にした自然・天然志向や補完・代替医療への傾倒です。各国の事例をいくつか紹介してみましょう。

<米国>
 米国食品医薬品局(FDA)は2008年6月17日、がんの予防や治療に効くと宣伝してサプリメントやハーブ製品を販売していた業者に、大量の警告文書を送付したと発表しました。同時に消費者向けに「Fake Cancer Cures(偽のがん治療法)」というサイト(要約文)を立ち上げています。

 これは、FDAがこれまでも行ってきた詐欺的製品の取り締まり活動の一環で、今回は特に悪質であるがんの治療や予防を謳った製品に標的を絞って対応したものです。米国では連邦取引委員会(FTC)とFDAが共同で消費者が詐欺に遭わないように活動を行っています(FTCのサイト:Drugs & Dietary Supplements)

 対象となった製品はサメ肝油・サンゴカルシウム・オメガ3脂肪酸・ハーブティー・リコペン・サメ軟骨・ビタミンC・アガリクス・メラトニン・レッドクローバー・クルクミン・ブドウ種子抽出物・亜麻仁油などを成分とする各種お茶・液体・錠剤・クリームなどです。主にがんが治るまたはがん予防に効果的として、インターネットで宣伝・販売されていたものです。

 こうした虚偽の病気治療薬は昔から詐欺師たちがよく売っていたものですが、近年はインターネットの利用により国境を超えた取引が容易に行われ、被害者が拡大し詐欺師の取り締まりが困難になるという状況になっています。問題としては古典的なものですが手段が現代的になっているわけです。 

 米国の場合、サプリメントについてはダイエタリーサプリメント健康教育法DSHEAという法律により、世界でも最も自由にサプリメントが販売できる国となっています。最近製造のための基準であるcGMPが発表されましたが、有害な製品の販売禁止にはFDAが立証責任を負うという、極めてサプリメント販売業者に有利な条件になっています。しかしながらがん治療などの治療効果を謳った場合には、未承認医薬品とみなされ違法となります。

<カナダ>
 カナダでは産業省競争政策局がヘルスカナダと協力して、08年3月に「Project False Hope Unveiled(プロジェクト 偽りの希望)」を発表しています。これもがん治療に効果があると謳った製品を主な標的としています。プロジェクトのスローガンは「詐欺:見つける・報告する・止めさせる」です。

 カナダではビタミン類やハーブやサプリメントなどはナチュラルヘルス製品(natural health products)と分類され、販売前の登録制が採用されており、製品には登録番号が記載され副作用報告の義務づけなどが行われ、比較的厳しく規制されています。それでも未承認製品や品質の悪い商品が市場に出回るなど、安全性が確保できないためさらなる規制強化を検討しています。 

<英国>
 欧州では医薬品の中に伝統的ハーブ医薬品という分類があり、日本における漢方薬のような位置づけで対応がなされています。しかしながらもともと補完・代替医療が極めて盛んな英国でも、質の悪い製品や虚偽の治療効果を謳ったハーブ製品による被害者が多く出て看過できないとして、英国医薬品庁(MHRA)がハーブ治療薬や漢方薬の製造・販売業者に対して今年に入ってから3回の警告(6月20日の警告、6月20日の要約文、5月17日の警告、5月17日の要約文、3月4日の警告、3月4日の要約文)を発しています。

 英国はホメオパシーと呼ばれる代替医療の本場で、近年厳しく批判されてはいるものの社会に深く根付いています。その周辺にハーブやアーユルベーダや漢方薬といったほか国の代替医療や伝統医療を受け入れやすい素地があるのか、プラクティショナーとかセラピストと呼ばれる医師ではない「専門家」たちがいろいろな「治療」を施しています。その実態があまりにもひどいというのがMHRAの警告です。

 英国でも一定の品質が保証できる伝統的ハーブについては登録制に移行する計画で、既に一部の製品の登録は完了しています。ビタミンやミネラルサプリメントについては現在ヨーロッパレベルで認可制となっており(現在販売されている製品は2009年まで販売できる)、安全性評価が進行中です。

 海外で問題となっている製品の多くは日本でもインターネットなどで購入することが可能です。日本の場合、いわゆる健康食品被害に関しては、「厚生労働省 健康被害情報・無承認無許可医薬品情報」や「独立行政法人国立健康・栄養研究所 行政機関が作成した健康食品関連のパンフレット集」などのサイトが情報を提供しています。 

 以上のように、「いわゆる健康食品」については、分類は医薬品の一部だったり食品だったりと国によりさまざまで、規制状況も異なります。しかしながらどの国でも医薬品的効能を謳った詐欺的製品による健康や経済的被害は数多く報告されており、対応に苦慮しているという状況です。

 一般の人々が、健康被害は全く出ていないと言っていい食品中の残留農薬や添加物については極端に心配するわりには、被害者が続出しているこの手の健康食品やハーブ製品については無防備であるというのも各国共通の状況のようです。これは一部の健康食品業者にとっては有利なことですが、消費者を保護しつつ健全な市場を育てるという観点からは決して望ましいことではありません。

 機能性食品の開発は、一歩間違うと詐欺とほとんど同じになってしまいます。機能性食品が詐欺的商品と区別がつかず、詐欺を放置している業界と世間に認識される可能性を常に考慮しながら、節度ある、科学的根拠に基づく商品開発を行って欲しいと思います。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 
2008-08-06
●「科学的根拠」とは
 根拠(エビデンス)に基づいた医療(evidence-based medicine:EBM)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。医療において治療の効果や副作用などの臨床試験による結果(「根拠」)をもとに医療を行うというものであり、「根拠」として採用されるのはできるだけ客観的で正確な最新最良の医学知見です。そんなの当たり前ではないか、と思われるかもしれませんが、EBMの対極にある「三た論法」と比較するとわかりやすいかもしれません。「三た論法」は、「投与した、治った、だから効いた」というものです。三た論法は一見もっともらしいのですが、比較すべき対照群がなく、投与や治療が本当に有効だったのかは分かりません。

 EBMの根拠となる情報を提供しようという計画が、英国で始まったコクランコラボレーション(コクラン共同計画)と呼ばれる事業です。コクラン共同計画ではシステマティック・レビュー(系統的レビュー)という方法により臨床試験の文献情報から根拠の確からしさを導き出して提供しています。系統的レビューとは、文献をできるだけ網羅的に集める・批判的に吟味する(論文採択基準は事前に決まっている)・複数の文献の結果を統合(メタアナリシス)する、といった手順からなるレビュー方法です。文献としては通常、無作為割り付け比較対照試験(Randomized controlled trial:RCT)のみが採用されます。

 健康情報の信頼性を判断するステップとして、坪野吉孝先生が著書「食べ物とがん予防−健康情報をどう読むか」で六段階のフローチャート(ステップ1:具体的な研究に基づいているか? ステップ2:研究対象はヒトか? ステップ3:学会発表か?論文報告か? ステップ4:定評のある医学専門誌等に掲載された論文か? ステップ5:研究デザインは信頼性の高いものか? ステップ6:複数の研究で支持されているか?)を提案なさっていますが、系統的レビューによる評価はその最終段階からさらに進んで臨床に実践できる根拠となりうるというものです。

 コクラン共同計画のほかには米国の医療研究・品質調査機構(Agency for Healthcare Research and Quality:AHRQ)が根拠に基づいた実践(Evidence-based Practice:EBP)という事業で系統的レビューを行っています。
 
いずれも医療が最良の科学的根拠に基づいて行われるための努力ですが、これらのもとになる臨床研究についてもさらなる改善の努力が行われています。その1つが臨床試験の事前登録制です。2004年に、The Lancet、Journal of American Medical Association (JAMA)などが加盟する医学雑誌編集者国際委員会(International Committee of Medical Journal Editors: ICMJE)とBritish Medical Journal(BMJ)が、臨床試験論文を雑誌に掲載するには、その試験が特定条件を満たした登録機関に事前に登録されていることを要求すると発表しました。臨床試験を開始する前にこういう試験をします、と発表することを義務化することで出版バイアスを防止しようというものです。

 出版バイアスとは、学術雑誌に発表される論文は何らかの影響があった、というものが多く、全く効果がなかったなど実験を行った人たちにとって都合の悪い結果になった場合には論文として発表しない傾向があることを言います。結果が分からないうちに登録することで、そのようなバイアスが減らせます。現在どのような試験が行われているかを公開することで臨床試験への参加者も増やせると考えられます。

 少しさかのぼりますが、そもそも臨床試験を行うに当たって、非臨床試験と呼ばれる動物実験による各種有効性・安全性データの収集が必要で、その際にも厳格なガイドラインに従うことが要求されます。昨今科学論文のデータねつ造や改ざん行為により研究者が処分されたというニュースが国内でも良く報道されていますが、そうした不適切な行為をできないようにした制度がGLP(Good Laboratory Practice、優良試験所基準)です。

 新薬でしたら通常GLP認証施設におけるガイドラインに従った安全性データが無ければヒトへの使用が認められることはありません。例え、どれほど有名な科学雑誌に論文が掲載されていたとしても、信頼性という点では関係ないのです。もちろん医療の世界においてもすべての医療行為に万全な科学的根拠があるというわけではないのですが(原因不明の病気もたくさんあります)、できるだけ科学的に判断しようという絶えざる努力が行われています。 
 一方で食品についてはこれまで述べてきた医学の分野における「科学的根拠」とは全く違う意味で「根拠がある」と主張されることがあります。「科学的根拠」と一口に言いますが、その実態は実験室での培養細胞によるたった一回の実験で吹けば飛ぶような軽いものから、ヒトで何度も確認され実証されてきた揺るぎない強固なものまで様々です。個々の事例についてその実態をきちんと理解し伝えることはとても困難なことですが、必要なことだと思います。

 例えば、、、「特定保健用食品(トクホ)」の中の1つのジャンル、「条件付きトクホ」の科学的根拠ですが、これは上述したような医療の世界の基準に当てはめれば「根拠」としては採用できません。

 先に述べましたコクラン共同計画による系統的レビューの中には、いわゆるサプリメントや食事療法についてのものもあります。既に坪野先生がFoodScience 2007-03-14で紹介しておられるように、サプリメントの抗酸化ビタミンには死亡率を低下させる効果はなくむしろ有害ですらある可能性があるというレビューがコクランライブラリーの2008年第3巻に発表されました。

 このプレスリリースのサイトにはBBCやCNNなどの報道機関がこの結果を報道した記事やビデオもリンクされています。コクランからの公式発表は今年の4月で、この発表を受けて英国などでは大々的に「ビタミン剤が健康によいという証拠はない」と報道されました。日本ではあまり話題になっていなかったような気がします。坪野先生もおっしゃる通り、この事例は健康のためにサプリメントを摂っているという人たちに対する重大な警告なのですが、同時に科学的根拠とは何かを考える良いきっかけになるはずのニュースです。


AHRQの系統的レビューでも、一般に健康上の目的で広く使用されているサプリメントで十分な根拠があると判断されたものはほとんどありません。確実に薦められるものは、先天異常リスク削減のための葉酸のみです。これは坪野先生がFoodScience 2006-10-11でお書きのように、根拠があるにもかかわらず積極的には宣伝されていない例です。

 一般論として、食品業界から発信される健康情報の「根拠」のレベルは、臨床医学の世界から発信される「根拠」のレベルや質とは大きな隔たりがあります。その違いを明確に認識しないでいると、例えば何らかの慢性疾患を抱えている患者さんが、主治医の意見といわゆる健康食品の宣伝文句とを同じようなものとして比較してしまうと、主治医との良好な信頼関係を作る妨げになり、治療にも悪影響があるでしょう。「血圧を下げるための処方薬」は決して「血圧を下げる作用があると言われている食材や健康食品」で代替できるものではありません。

 私は一般的食品についても医学分野のような厳密な根拠を提示すべきだと主張するつもりはありません。食品は医薬品ではないのだから、そういうことを期待するほうが間違っていると思っています。しかしながら何らかの効能・効果を主張するのであれば、きちんとした根拠は必要であろうと思います。現時点では、トクホであっても、その根拠は医薬品の根拠とは全く異なるものであることはもっと広く認識されたほうがいいと思います。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 

2008-09-10
うねやま研究室●「発がん性」の強さについて考えてみよう----カビとパンの例
 FoodScienceの連載、「多幸之介が斬る食の問題」の「ヤマザキパンはなぜカビないか」と「続 ヤマザキパンはなぜカビないか」を興味深く拝見しました。そこで僭越ながら、筆者の長村洋一先生の記事に関連していくつか関連情報を紹介してみようと思います。「○○には発がん性があるから危険だ」という類の短絡的な脅し文句はよく目にします。今回は発がん性の強さやリスクについて考えてみましょう。以前にマラカイトグリーンに「発がん性」という枕詞をつけて報道することの問題について書きました(2007-12-12「『発がん』物質と『発がん性が疑われる』物質--マラカイトグリーンの例」)が、今回はもう少し一般的で身近な物質を取り上げます。

 まず「発がん性がある」とか、「発がん性が疑われる」という言葉についてですが、一般的に参照される国際がん研究機関(IARC)は、物質や混合物の発がん性について以下のような分類をしています。

グループ1: ヒトに対して発がん性がある
グループ2A: ヒトに対しておそらく発がん性がある
グループ2B: ヒトに対して発がん性がある可能性がある
グループ3: ヒトに対する発がん性については分類できない
グループ4: ヒトに対しておそらく発がん性がない

 グループ1はヒトで発がん性が確認できた物質、グループ2Aはヒトでのデータは限られているものの実験動物でヒトにもおこるであろうメカニズムで発がん性がある物質、グループ2Bは動物での発がん性の根拠が2Aよりさらに弱い場合に分類されることが多いです。

 ここまでがいわゆる「発がん性が疑われる」という枕詞で呼ばれるものです。注意すべきはこの分類はあくまで発がん性が「ある」かどうかだけを見ているもので、発がん性の強さや実際にヒトがどれだけ暴露されているかについては考慮していない、ということです。リスク分析で言うところの「ハザード同定」のうちの定性的ハザードのみを同定しているわけです。どのような物質がどこに分類されているかはIARCのサイトからご覧下さい。

 なお分類結果だけを見てもそれがどういう場合に発がん性があるのかまでは分わかりませんのでご注意下さい。例えばホルムアルデヒドやアスベストは吸入された場合に発がん性があるというデータがあるのですが、口から食べた場合については発がん性があるという証拠はありません。グループ2Aに分類されている「熱いマテ茶」は熱いマテ茶を飲む習慣による繰り返す火傷が要因と考えられています。従って冷めたマテ茶には全く当てはまりません。このように、IARCの分類は背景情報を知った上で利用すべきもので、安易に使うことはお薦めできません。

 さて、発がん性が疑われる物質がある程度わ分ったとして、その発がん性の強さはどれだけのものか、というのが問題になります。

 これまで化学物質の毒性については、量が問題という話を何度も聞いたことがあると思います。ところが発がん性だけは、特に遺伝子に傷をつけることにより発がん性を示すと考えられる物質について、定量的評価はあまりしてきませんでした。遺伝子の傷については無影響量が想定できないということから、リスクをゼロにするには暴露をゼロにすることしかないとされ、どこまで減らせば安全か、といった定量的検討をすることなく、「合理的に達成可能な限り低く」というALARA(as low as reasonably achievable)の原則が採用されてきたからです。

 ところが、分析技術の発達や科学的知見の蓄積により、「発がん物質」は食品や環境中の至る所に存在すること、すべてをゼロにしようなどというのは不可能であることが分かってきました。つまり、発がん物質についても定量的リスク評価が必要になってきたのです。人やお金など安全対策のためのリソースには限りがあるので、リスクの大きいものから優先的に対応していく方が合理的だからです。

 現時点では、動物実験で発がん性が認められる用量と実際に人が暴露されている量との差がどれだけあるかを評価して、差の少ないものから優先的に対応していこうという方向で対策が検討されています。動物実験での発がん性の強さをどう評価するかというのも課題の1つなのですが、ここでは発がん能力プロジェクトCarcinogenic Potency Projectのデータを紹介しましょう。FAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)などで採用が検討されている指標とは違いますが、多くの化合物について一覧表があるという点で便利です。

 このプロジェクトでは発がん性の強さをTD50という数値で表しています。これは生涯にわたって投与された場合、もし対照群で腫瘍発生数がゼロであるなら、投与群で半数が腫瘍を発生するのに必要な投与量を表す数値です。この数値が小さいほど少ない量で発がん性がある、すなわち発がん性が高いということになります。データのある化合物のリストはこのようになります。

 ここで長村先生の記事に戻って、臭素酸カリウムの値を見てみましょう。ラットで9.82mg/kg/dayとなっています。カビ毒についてはアフラトキシンB1が飛び抜けて低いですがラットで0.0032 mg/kg/dayです。オクラトキシンAは0.136 mg/kg/dayです。フモニシンB1はラットで 1.5 mg/kg/dayという値です。もちろんラットの値がそのまま人間にあてはまるということではありませんが、参考にはなります。

 そして長村先生の記事によれば、「臭素酸カリウムの0.5ppb以下」という数値が心配だという主張をされる方がおられるということでした。長村先生はカビ毒のほうが心配だとおっしゃっているわけです。例えばアフラトキシンB1の規制値は日本では数値として明示されていませんが10ppb程度だとのことです(公定法による検出限界)。発がん性の強さに比べて規制値が少ない方が安全性が高いと考えると、臭素酸カリウムのTD50の値9.82 mg/kg/dayと基準値0.5ppbという値と、アフラトキシンのTD50の値0.0032 mg/kg/dayと基準値10ppbという値から、6万1375倍臭素酸カリウムのほうが安全であるということになります((9.82/0.5)/(0.0032/10)=61375)。

 別の言い方をすると、臭素酸カリウムについて心配することの6万1375倍、アフラトキシンについて心配しなければならないということです。本来ここではどれだけ食べるかを問題にしなければならないのですが、同じ量を食べるなら、という仮定のもとで計算しました。

 カビなどの微生物が作る毒素についてはすべてが分かっているわけではなく、カビの種類もさまざまですから、実際どういう毒素がどれだけ食べられている可能性があるかは分かりません。化学物質を主な研究対象としている人間から見ると、微生物やその作る毒素は、増えるという点で、最初に入れた量から増えることはまずない化学物質に比べて非常にリスク評価が難しく、「怖い」ものです。「最悪のシナリオ」など考えたらいくらでも悪い想像ができてしまいます。そして日本は、カビの発生には好都合な高温多湿という気候条件に恵まれていますから、油断はできません。

 国際機関が食品に含まれる発がん性物質として、監視や対策が必要だと考えているものは上述のカビ毒であるアフラトキシンと、でんぷん質の食べ物を焼いたり揚げたりするとできてしまうアクリルアミドです。アフラトキシンについては極めて発がん性の高い物質であるために問題となっていますが、アクリルアミドについてはTD50はラットで3.75mg/kg/dayとそれほど強い発がん性があるわけではありません。しかしアクリルアミドの場合はパンに含まれる量が100ppb程度、トーストにした場合、条件にもよりますが1000ppb程度と比較的量が多いので問題になっています。

 再びパンの話に戻りますが、TD50が9.82mg/kg/dayの臭素酸カリウム0.5 ppbとTD50が3.75mg/kg/dayのアクリルアミド100〜1000ppbと、どちらを心配するのが賢明でしょうか? パンやトーストのアクリルアミド含量を減らすには温度管理が重要になります。これは家庭や小さな窯では結構大変なことで、工場での大規模生産のほうが管理できるため、安全性も高い場合があるということは消費者としても知っておいた方が良いと思います。

 なおアフラトキシンにしてもアクリルアミドにしても、現在の暴露量で、実際に日本人でがんを誘発するという証拠は見つかっていません。カビを生やしてしまうのもパンを焦がしてしまうのも家庭ではよくあることですが、だからといってたまにそういう失敗をしたせいで「家族の健康を損なってしまったかも」と、思い悩む必要はないと思います。失敗は繰り返さなければいいのです。がんが心配なら何より禁煙、そしてお酒はほどほどに、食生活はバランス良く、です。念のため付け加えておきます。

 なお臭素酸カリウムはカビを防ぐために使われているわけではありません。詳細については日本パン工業界のサイトをご覧下さい。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 
2008-10-08
うねやま研究室●中国ミルク汚染事件のメラミンとはどんなもの?
 中国におけるメラミン汚染ミルク事件が世界中に波紋を広げています。現時点では事件の全容は不明ですが、とりあえずこれまでわかっていることをまとめてみようと思います。今回の事件の前に、2007年の米国でのペットフード事件についておさらいしてみましょう。この事件は中国産の「コムギグルテン」が、実は小麦粉にメラミンやメラミン類似体を混ぜただけの粗悪品だったことから、それを原料にして作ったペットフードを食べたイヌやネコが腎不全になったというものです。
 製品の「コムギグルテン」のたんぱく質含量は100%近い値であると宣伝していたようです。中心となったのはNemuFood社という米国のペットフード製造会社でした。時系列としては06年9月に汚染コムギグルテンが中国から米国に輸入され、11月にメニューフードが汚染グルテンを使ってペットフードを作り、12月から07年3月にかけて販売しました。


 最初のネコの病気の報告は07年2月で、NemuFood社でも2月に開始したルーチン試食検査(ネコに食べさせる)で急性腎不全によりネコが死んだため、調査を始めています。07年3月にはNemuFood社はコムギグルテンの仕入れ先を変えました。つまり汚染グルテンを含むペットフードが販売されていたのは06年12月から07年3月の4カ月間ということです。この間に出荷されたペットフードを食べて病気になったと報告されたのは07年4月の時点でイヌ517件、ネコ941件の合計1458となっています(アメリカ獣医内科学会ACVIMの07年6月の報告による)。ネコが多いことと若い動物が多いことが特徴的でした。

 病気の原因物質として米国食品医薬品局(FDA)がメラミンを検出したのは07年3月30日で、その後中国の別の会社のライスグルテンからもメラミンが検出されました。さらに南アフリカとナミビアでトウモロコシグルテンによるイヌの腎不全が報告され、4月24日にFDAがメラミン以外にシアヌル酸も汚染物質であることを報告しました。以降、穀物たんぱく質として販売されていたものからメラミンと関連化合物が検出され、中国の特定業者の商品だけの問題ではないことが明らかになってきました。

 また汚染製品はペットフードだけではなく動物の飼料にも使われていたものがあることから、ヒトの口に入る可能性が出てきて、FDAが急遽リスク評価を行いました。この時の評価が現在のミルク汚染でも利用されています。結果的に家畜飼料についてはそれほど大きな波及はなく、病気になった家畜(養殖魚も含めて)は特に報告されていません。メラミンを含む飼料を食べた可能性のある動物の肉からメラミンが検出されたことはなく、従ってヒトの口にはほとんど入っていないだろうと考えられました。

 この事件ではメラミンを含む餌を食べ始めてから比較的早期に重症の腎障害が発症して死亡例が出ており、イヌやネコの腎臓に結石を作ったのはメラミンとシアヌル酸の共存によると考えられました。メラミンとシアヌル酸は同時に存在すると結合して非常に溶けにくくなるということです。またネコの方が餌のたんぱく質量が多く尿量が少ないため、腎臓での結晶化がおきやすかったのだろうと考えられます。この事件の結果、世界中で中国産穀物たんぱく質に対して監視が厳しくなりました。ペットフード事件に関する経緯はFDAのサイトを参照してください。

 一方現在進行中の乳製品へのメラミン混入ですが、最大の問題は赤ちゃん用ミルクに汚染があったということです。中国の発表を信じるなら、5万3000人を超える被害者のほとんどは3才以下で、死亡したとされるのは4人。詳細は不明ながら乳児のようです。特に問題となっている三鹿という会社の製品では粉ミルクから検出されているメラミンは、これまでのところ6196.61 mg/kgが最高値です。そしてメラミンが混入され始めたのは数年前からではないかと言われています。


 生まれたばかりの赤ちゃんは、それまで臍帯から栄養をもらっていたのですから消化器系も未熟です。だから母乳があるわけですが、それに不純物がはいっていたら大人より影響が大きいのは当然です。動物実験では母乳に分泌されるようなものの乳児への毒性は親動物に食べさせることで調べられますが、そうでない物質の乳児への影響は調べられません。しかし調べるまでもなく、入っていてはならないと考えるのは当然でしょう。幸いなことに、中国以外では赤ちゃん用ミルクにはメラミンは確認されていません。通常多くの国では赤ちゃん用ミルクについては普通の食品とは違った規制を行っていますので、そう簡単に中国産製品が市場に出回るということにはなっていません。

 ところで中国では03年にも悪質粉ミルクにより赤ちゃんが死亡するという事件がおきていて、被害者は数百人、死者は数十人にも上ったと報告されています。この時に問題になったのは汚染物質ではなく、小麦粉やでんぷんなどを適当に混ぜた、赤ちゃんの発育に必要な栄養を供給できない代物を与えていたということです。問題を起こした製品は赤ちゃんに必要な栄養の6%しか供給できない粗悪品であったと報告されていますが、市販の粉ミルクのかなりの部分が不適切なものだったそうです。

 赤ちゃんにとって必要な栄養が摂れないということは、有害物質の有無以前に致命的なことです。当然この時も中国政府は監視強化を行って関係者も逮捕されています。しかし04年にもFDAが中国産ミルクのたんぱく質含量が米国基準の14%以下しか含まれないため危険であるとして警告を出しているなど、質の悪い製品の排除には成功していないように見えます。

 今回の事件では被害を受けた子どもが5万人以上とされながらも死亡例は今のところ少ないので、ある程度は栄養は供給されていたのでしょう。なお今回の事件を受けてWHOが母乳で育てることを推奨しているという報道が一部でなされたようですが、WHOはずっと前から、赤ちゃんは生後6カ月までは母乳のみで育てることを推奨しています。

 一方赤ちゃん用ミルク以外の、普通に食事ができる人たちが食べる製品については、あちこちからメラミン検出事例が報告されています。世界中で一斉に食品のメラミン検査を行っているため、これまで分からなかった、避けようがない不純物としてのメラミンの存在も明るみに出てきました。従ってメラミンが検出されても直ちに意図的混入とは断定できませんので、EU、ニュージーランド、香港、カナダ、アメリカでは食品に含まれる量として2.5 mg/kg (ppm)という、それを超えたら対応を行うという目安の値を設けました。


 これまでのところ、中国以外で普通の食品から検出されたメラミンの濃度としては271 ppm(韓国)が最高で、ほとんどは数ppmから数十ppmであり、健康に悪影響はないだろうと考えられる範囲に留まっています。また中国での被害者もペットフード事件の時のような急激に悪化する腎不全という症状でもなさそうなので、メラミン以外のさらに有害な物質が含まれる可能性もそれほど高くないように思われます。メラミンの情報については食品安全委員会からも発表されていますのでご覧下さい。

 FDAや欧州食品安全機関(EFSA)がTDIの算出に用いたメラミンの毒性影響とは、「ラットでの経口投与による膀胱結石ができること」です。メラミンの毒性は低く、ほとんど代謝されず尿から排出されると考えられますので、たまたま食べてしまっても心配する必要はないでしょう。人間ですとよく尿路系に結石を作る物質としてカルシウムやシュウ酸がありますが、だからといってこれらを「少量でも毒」だとか「蓄積される可能性があるから将来どんな悪影響が出るかわからない」などといって怖がったりしないのと同じです。

 以上のように現時点では実際に被害が出ているのは中国(香港やマカオや台湾も含めて)の乳幼児にほぼ限定されること、中国以外の国では製品の回収が行われていても健康リスクはほとんどないと考えられていることをお知らせしておきます。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子) 
2008-12-10
うねやま研究室●ヨウ素を十分過ぎるくらい摂っている日本人が考えるべきこと

 2009年10月から、オーストラリアとニュージーランドのほとんどのパンにヨウ素が添加されることになりました。これにより1日約50 μgのヨウ素の摂取増加を目指しています。オーストラリア・ニュージーランド食品安全機関(FSANZ)では一般向けのFAQオーストラリア・ニュージーランド食品安全機関(FSANZ)では一般向けのFAQを公開していますので詳細はそちらをご覧ください。
 ヨウ素はヒトの必須栄養素で、必要量は少ないながら甲状腺ホルモンの重要な構成要素です。甲状腺ホルモンは人体の代謝状態維持と子どもの正常な発育や発達に必要で、特に胎児と小さい子どもにとっては重要な栄養素です。ヨウ素が欠乏すると甲状腺腫になりますし、重度のヨウ素欠乏では、子どもに発育阻害と精神遅滞がおこり、聴覚や運動・認知機能への影響も出ます。

 ヒトの所要量は1日150μg程度とされています。ヨウ素が不足しているかどうかを判断するには尿中ヨウ素濃度を測定するのが一般的です。WHOの世界のヨウ素欠乏状態に関する報告書(Iodine status worldwide WHO Global Database on Iodine Defi ciency、2004年)によれば、尿中ヨウ素濃度が100 μg/L以下を欠乏と判断しています50 μg/L以下は重度の欠乏とされます。適切と判断されるのは100-199μg/Lで、200-299μg/Lは超過、>300 μg/Lは有害影響が出る可能性があるとされます。ここで細かい数値を紹介したのは、適切と考えられている摂取量の範囲が狭いことを知って頂きたいからです。

 ニュージーランドでは1800年代後期から1900年代初頭までヨウ素欠乏症があり、甲状腺腫は普通に見られる病気でした。原因としてはオーストラリア・ニュージーランド地方の土壌はもともとヨウ素含量が少なく、日常的にその土地の食品のみを摂っていると必然的にヨウ素欠乏症になる、ということです。いわゆる風土病だったわけです。

 この問題を解決するため、1924年に食卓塩にヨウ素を添加することになりました。WHOの推奨している食卓塩への添加量としては20-40ppm(塩1kg当たり20-40mg)です。食卓塩への20ppmの添加ですと、1日10gの食卓塩を使ったとすると200 μgの摂取量になります。しかしこの効果は小さく、1938年にはヨウ素の濃度を40-80ppmに増やしました。ヨウ素添加食卓塩が導入された際には、ヨウ素添加塩を家庭で使用することの利益を広報するためのキャンペーンが行われましたが、ヨウ素が添加されていない塩も常に入手可能でした。

 そして最近の調査ではニュージーランド人のヨウ素状態は介入が必要なレベルまで低下してしまっています。食塩の摂り過ぎが問題になっていて食卓塩の使用が減っていること、ヨウ素を含む消毒薬などの使用も減っていることなどが原因として挙げられています。そして04年ころからさらなるヨウ素不足対策として主食であるパンへの添加が検討されたわけです。実際にはパンを作るときに使う塩にヨウ素添加塩を使うという方法のようです。

 このような方法を用いる理由は、ヨウ素不足が国民の特定集団にのみ見られることではなく幅広くほぼ全員の問題であること、ヨウ素は必要量と過剰量の範囲が狭いためサプリメントのような形での摂取には過剰摂取になるなどの問題が大きい可能性があることなどが挙げられます。

 世界的にはヨウ素欠乏が問題である地域の方が圧倒的に多く、ヨウ素添加塩を採用している国が多いです。国際線の飛行機に乗ったことがある人ならば、機内食の塩の小袋に「iodized salt」と書いてあるのを見たことがあるかもしれません。

 ところが逆にヨウ素摂取量が多すぎる国もあります。代表的なのが日本です。日本人のデータは先のWHOの報告書には掲載されていないのですが、07年に発表された東京の小学生654人の調査結果ではヨウ素の尿中濃度はメジアン(中央値)で281.6μg/L、1000μg/Lを超えるケースも16%もあった、とのことです(Thyroid. 2007 Feb;17(2):145-55)。つまり先のWHOの基準に当てはめると摂り過ぎによる健康被害(自己免疫性甲状腺疾患や甲状腺機能亢進症)が出るレベルにあるということなのです。とはいえ、日本で食品からのヨウ素の過剰摂取による健康被害が多いというデータはないようです。詳細に調べれば何かあるのかもしれませんが、過剰摂取者が多い割には目立って問題になっているようなことはないようです。

 日本人のヨウ素摂取量の多さは海藻、特に昆布によるものです。昆布は1g当たり1-4mgのヨウ素を含み、日本人は昆布そのものも食べますし、だしとして使った料理を日常的に食べるためにヨウ素をふんだんに摂っているのです。
 一方、日本人とは違って日常的にヨウ素が欠乏している人が、急にたくさんのヨウ素を摂ったような場合には、有害影響が出やすくなります。そのためヨウ素の上限摂取量というものが設定されていますが、欧米での値は1日当たり0.5-0.9mgといった数値です。ドイツではヨウ素含量が20mg/kgを超える乾燥海藻製品には健康リスクがあるため市販されるべきではないと考えられており、乾燥昆布は基準値を数百倍も上回る「危険な食品」とされています。食品の流通が世界的に広がる中で、しばしば昆布製品がヨーロッパの緊急警報システムで回収対象になっています。

 日本ではこの値は非現実的で、ヨウ素の上限摂取量も3mgと欧米より高い値になっています。それでもこれを超えて摂っている場合が頻繁にあると考えられます。特に最近一部で話題になっている「(とろろ)昆布ダイエット」のような極端なダイエット方法を実践するとヨウ素のとり過ぎによる健康被害の可能性があります。「伝統的食品だから安全」では決してありませんので、注意が必要です。

 このように欧米で設定される基準値が日本の実態から考えてふさわしくないように思われる事例は、ヨウ素以外にも水銀やヒ素やカドミウムなど海産物に多いミネラルなどの場合によく見られます。それらについては、国際基準の作成のためのしっかりした科学的根拠となるようなデータが日本から提出されることが望ましいと思います。場合によってはこれまで見逃されていたような僅かな影響が分かることもあるかもしれません。科学への貢献はノーベル賞を取った人が何人、ということだけではなく、リスク評価に寄与することによってもできるはずです。

 ヨウ素の話からは、もう1つ考えて欲しいことがあります。地球上には天然資源が偏在しており、土地のミネラル組成などの性質は様々です。地域ごとにある種のミネラルが多かったり少なかったりすることは良くあることです。必須ミネラルの不足している土地もあれば有害重金属の多い土地もあるでしょう。昨今ブームとなっている「地産地消」ですが、地元経済の活性化のためのものではあっても安全性という視点では決してベストではないことに留意しておいて欲しいと思います。安全性の視点からは、世界中からあらゆる食品を輸入している現在の日本の状況の方が、リスクの分散ができているという意味で「より安全」と言えます。(国立医薬品食品衛生研究所主任研究官 畝山智香子)

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