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機能不全家族コミュの喘息

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今喘息が起きてんだけど、
小学生の時、喘息の発作が起きて、苦しんでたら、
お父さんもできるぞって喘息の真似された、
喘息はわがまま病、死ぬ事はない。嫌がられた。
一体何人喘息で年間人が、死んでると思ってるんだ。
教育関係が、聞いて呆れる。
あれから、何十年も経ってるのに、今だ喘息の発作が出ると思い出して腹わた煮え繰り返る。

母親も散々あんたの事嫌いよ。なんか気にくわないと、縁切る縁切るって口癖だったくせに、年取って弱ってきたら、一緒に住みたいみたいな事いってくる。
こっちが縁切りたいわ。

コメント(3)

初めまして。アルマーニ(男性)と申します。
私も少年期に、同じ経験あり、何度悲しい思いしました。秋から4月にかけて、発作は頻繁に出ましたので、七五三をはじめ、クリスマスや正月も、ひたすら発作に耐えて過ごしました。
真夏日の喘息発作は、地獄ですね。
一晩で、三キロは痩せますから。
いつでも、衰弱死寸前まで、我慢する習慣つきました。
家庭や学校にも居場所なく、いつでも孤独でした。
学校でのいじめも、異常なほど過激でした。
学年・クラスでのいじめのリーダーは、当時の市内の名医の令嬢で、彼女の父は校医であったため、彼女は担任から注意されることも有りませんでした。
満腹な猫が、衰弱したネズミを弄ぶのでした。
続編。
私は、少年期(入学ー卒業)まで、彼女の策略で、
喘息が移るなどと言われ、大規模小学校の全校児童(千人)を敵にしてしまいました。
その当時の孤独感・屈辱感を克服したく、大人に
なってから、合気道を嗜みました。
その後、合気道の師匠の勧めで、日本舞踊に入門し、
流派の重鎮の女性師匠に師事。母のような師匠は、
唯一の男性門弟である私に、初舞台(千人)の全てをかけました。そして千回の練習で、大成功を収め、
少年期に千人から罵倒された私が、舞台で千人の
観客を感動させ、私は少年期のおもいを、消滅させた
瞬間でもありました。
続・続編。
私は中学時代は、父親の仕事の関係で、幸い学区外に転校しました。私へのいじめのリーダーだった、名医の令嬢の女の子は、私立名門女子中学へ合格・進学しました。
彼女の外車での送迎は、婦長さんや新人看護婦さんが、担っていました。院長夫人である彼女の母親は、海外旅行と別荘くらし、医院の経費で外車や毛皮を購入し、派手な生活は地域でも有名でした。
私が、中学のときその女の子と偶然、駅で会っても
笑いながら、唾をかけるような人でした。しかし、
翌年、彼女の父親が交通事故で死去。さらに、院長夫人が翌年死去。女の子は1人娘のため、後継者もなく医院は廃業しました。その後、女の子は私立を退学。私の学区内の公立中学に転校しました。
嫉妬深く噂を知った生徒たちから、彼女は毎日苛酷ないじめを うけ、まもなく不登校になりました。
彼女は中学卒業後、父方の祖母宅でくらし、地元のスーパーに就職。私は16歳のとき、レジをうつ彼女に
再会しました。彼女は別人のような表情と質素な雰囲気に、私は驚きました。
彼女は、「医者の家族であった私が、何の罪もない
病弱な貴方をいじめ抜いた、罰が下されたの」
と、すべての経緯を私に語りました。
彼女はその後、スーパーで働きながら通信高校を卒業し、看護学校へ。小児科の看護婦さんになりました。
「仕事を通して、病弱な子供たちと、そのご家族に
沢山優しくするの。それが貴方へのつぐない。」
それが、彼女の最後の真摯な言葉でした。

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