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唯物論コミュの唯物論による神様の証明

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初めまして。大野ばりふらと申します。

私は、唯物論による神様(人格神)の証明に出会いました。

もし、ご興味がおありでしたら、私のブログ「ばりふらの柔らかソファー」をご覧頂ければ
と思います。(稚拙な文章かもしれませんが、お目汚しスミマセン)

http://www.barifura.com/wp/

特に最近力を入れたのが、「神様についてのマインドマップ」という記事です。

ぜひ皆さんのご意見をお聞かせ願えればと思います。

http://www.barifura.com/wp/?p=131

失礼致しました。

コメント(8)

どこが証明なのか、わたしには難しくて理解できませんでした。
 どこが唯物論なんですか?
  まず神様って、観念的なキーワードが……
いるいないに関わらず、第三者の存在を求めること自体が観念論ではないでしょうか?
 あまり他人の影響は受けないほうがいいのでは?
  唯物論自体自分の目だけを信じる考え方が元々だったような気が……
私自身、哲学の唯物論の歴史に非常に疎いので申し訳ありません。
本当に駆け出しのシロウトですので、先輩方のご教示を賜れたら光栄です。

唯物論というのは、世の中がアトム(原子)という、位置情報以外、まったく性質の共通のものから
できているという世界理解で間違いないでしょうか。

第三者と仰いますが、アトムは私を構成しているだけでなく、アナタを構成していますし、
第三者をも構成しています。

そうすると、どうしても唯物論は第三者の存在を認める、観念的な概念であるような気がするのです。

自分の目だけを信じる、というのはそうですね。「私」というSelfの名前を持つ者は私一人
と私たちは信じていて、その観点以外から、この宇宙を基本的には観測することができません。

でも、観測するためには、外部のアトム(原子)が必要になりますし、こうやって概念を言葉で
説明するためには、私たちは誰かから言葉をまず教わらなければならなかったはずです。

デカルトが「我思う、故に我有り」で視界に入れることができなかったモノが、「言語」の由来
であったように思うのです。

その点で、私たちの世界は、第三者、つまり神様の視線の中で構成されていると言ってもいいのでは
ないでしょうか。

議論が深まることを望んでいます。

非常に浅学なもので、先輩方のお知恵をお借りできれば助かります。
 唯物論とアトム論的世界観は次元が違います。唯物論は観念や精神が生じるのは、その根底に物質があり、その関係によって規定されているのだと捉えるのです。

 アトム論的に世界がアトムからできているという考えも、唯物論的です。世界がアトムからできていれば、精神もアトムの関係から生じるように説明するしかなくなりますから。

 ところで私とあなたと第三者を認めてもその第三者が神であるという根拠は、言語をだれかから授けられたからということのようですが、言語起源が神を根拠にせざるを得ないというのは、ホッブズの立場です。それは結局言語がどうして発生したか分かっていないということにすぎません。言語起源が分かっていない以上、神の実在性も分かっていないことになりますね。

 ところで私は大野さんのブロクをうまく開くことができなかったのですが。
ご返答ありがとうございます。 私のブログが開けなかったのは、サーバサービスの不具合かもしれませんね。よろしければ時間をおいてアクセスしてみてください。

マインドマップの画像はこのページに添付しました。

ご教示ありがとうございます。言語起源を神に依拠しなればならないと言う立場はホッブズなのですね。

私も同じ立場で、名前や記号、言語というモノは全て神様からの借り物という立場なのです。

やはり私は唯物論者と言うことでよいのでしょうか。少し自身が持てなくなってきてしまいました。

議論が深まることを希望します。(ただ、あまり専門的だと理解できないかもしれません。そのときはスミマセン。もっとちゃんと原書や教養書を読んでおくべきだったなあ・・・・)
大野さん。

あなたは唯物論者ではありませんよ。

 まさに間違いなく確実に唯心論者(観念)です。

  これからも頑張ってくださいね。
初めまして。
論旨は変わりますが、「神の証明」ではなく、「神の存在証明」であれば可能だと思います。
まず、「存在」を定義する必要がありますね。「存在は人や物に普遍的に力を作用させる元である」と定義できます。「普遍的」「力」「作用」は別に定義する必要がありますが、とりあえずは辞書的定義ですますとして。
これを認めれば、神は人を動かす力の元として存在します。良くも悪くも神は人に献身させ、自律を助け、戦争すらさせます。人が「神」と呼ぶものの存在を認めなくては、現実の深刻な政治、文化問題解決の糸口は見つからないでしょう。
どのように、どのような姿で「神」が存在するかは、人それぞれに解釈できますが「神」が現実の世界で力を発揮しているのは事実です。
「神」が人をどのように動かすかは、認知関係科学がそのうちに実証してくれるでしょう。

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