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アムドコミュの四月のアムド見所ガイド?:ムスリムとチベタンの複合聖地「アニ・ヒャウォ」(その1)

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 ただでさえマイナーなアムドの、さらにマイナーな名所やイベントを、一年の見所カレンダーにしたてあげてご紹介していこうというこのトピック、二回目は、知る人ぞ知る、循化の名勝「アニ・ヒャウォ」です!

 しかし、もう5月も半ばに入ろうというのに、なにが「四月のアムド見所ガイド」じゃ!とお思いの向きもあるかと思いますが、ご心配なく。ここでいう「四月」は旧暦の四月です。今日は5月11日、旧暦では三月二十五日になります。今年は新暦と旧暦の日数差は48日、つまりまだ四月に入っていないのです(以下では煩雑を避けて、旧暦は漢数字、新暦はアラビア数字で表記します)。

ここでご案内するスポットは、回族とチベット族双方から崇められる聖地、アニ・ヒャウォです。山自体はそれほど高くなく、循化と尖扎の境界を流れる黄河のほとりに、険しい岩山の群峰に囲まれるようにしてひっそりと鎮座しています。ここには「庵古禄拱北」と呼ばれる、回族から絶大な信奉をあびる聖者の廟があり、3〜5月にかけて大量の回族の巡礼が訪れます。巡礼のピークは四月十四日、すなわち今年の場合新暦の5月30日です。チベタンもまたこの山を信仰しており、アニ・ヒャウォという名の山の神様が宿る場所として、また子授けの山として、不定期に巡礼されます。

以下、まずこの場所への行き方を説明します。

アニ・ヒャウォへの行きかたは主に二通りあります(?の方がだんぜん簡単で循化からの日帰りも可能ですが、?の行き方は循化のガランにサポーターがいないと無理です)。

?西寧→循化(県政府所在地の「積石鎮」ではなく手前の街子(jie ziではなくgai ziと呼ばれています)」で下車)→タクシーで公伯峡(黄河の水を貯めた堰)のボートターミナルへ(数元でいけます)→ボートで峡谷を15分ほどさかのぼると、アニ・ヒャウォふもとの渡し場到着

?西寧→循化(街子)→タクシーをチャーターしガラン郷政府所在地ガラン村へ→ガランからバイクなどの手段でシグリ村へ、さらに村の上のアニ・ヒャウォが眼下に見える丘まで→そこから徒歩で数時間山を下るとアニ・ヒャウォの崖にへばりついている庵古禄廟が見えてくる

 オススメは、?のアニ・ヒャウォ上部の丘から山道を下り、?の逆をたどって町に戻る、という方法です。こうすればシグリ村にあるアニ・ヒャウォの山神廟やラツェ、さらに現在修復中のゲロン・アチュダの仏塔などにも参拝でき、チベタンと回族がそれぞれどのようにアニ・ヒャウォを信仰しているか、をフルコースで体験できます。ただ山道は相当険しいので登山経験が無いとかなり危険です。これは下から庵古禄廟まで登る時のルートも同様で、くさり場や足場のもろい急峻な一本道が多々あります。詳細は、このGW中にアニ・ヒャウォに行きたてホヤホヤのジャシラモ氏によるMixi日記(5/9付け)があるのでご参照ください。

ではここからはそれぞれの民族がどのようにこの山を信仰しているか簡単に紹介します。

【回族】
 アムドの回族には、大きく新教と旧教という二種類の派閥があり、アニ・ヒャウォにやってくるのは旧教徒の人たちです。彼らは新教徒と違ってアッラー以外にも「聖者」という信仰対象を立てて、これに現世利益を希求します。庵古禄廟のふもとにある接待所(巡礼宿)の管理人であるアホンに聞いたところでは、アニ・ヒャウォに祀られている聖者は、ムハンマド歿後3〜400年後に生まれたバグダッド出身のハッサン・ベセレという人だそうです。この聖者が死ぬときにその霊がこの山に舞い降りてそのまま残った、この廟もその聖者の念力で自動的に建てられた、とのことです(廟は急峻な崖にへばりつくようにして建てられていて、確かに人間業とは思えない)。
 
 この人物はムハンマド導師の五大弟子の系統で、アッラーにもっとも信任された敬虔な信徒だったとのこと。他のイスラム諸国でもメジャーな聖者らしく、今でも時々中東諸国から巡礼者が来るそうで、この間はアフガニスタンからわざわざお参りにやってきたとか。この聖者のことは調べればいろいろとわかると思いますが、チベタンの方を調べるのに手一杯なので、今のところはあまり深入りしないでおこうと思います。
 
【チベット族】
 一方、チベタンからするとこの山は全体が信仰対象です。アニ・ヒャウォとは一説に釈迦の直弟子の1人サーリプッタ(チベット語で「ヒャリウ」)にちなんでつけられたともいわれます。アニはアニ・マチェンとのアニと同じで、“先祖”の意味です。主に同仁・循化・尖扎のチベタンに信仰され、この地域出身者でこの山を知らない人は皆無といっていいほど有名です。でもその範囲を外れるとたちまちマイナーな神様になってしまいますが。
 
 この三地域の人でヒャウォ・ザシとかヒャウォ・フチェとかいう名前を持つ人が多いのは、母親がこの山に子授けを祈願したか、もしくは幼いころに病気をして山神に病気直しを頼んだか、どちらかのケースが多いです。願いが成就すると子供の名前をつけ直してヒャウォの二字を足します。
 
 この山が子授けのご利益をもたらすようになったのは、ゲロン・アチュダという行者と関係があるそうです。未だ詳しく調べていませんが、この行者はアニ・ヒャウォ山中に長らく籠り修行をし、仏塔を建てて衆生の安寧を願ったそうです。この仏塔は早くに崩れてあとに3つの土饅頭が残るのみとなっていたそうですが、ある時、どうしても子供が授からない近隣に住む婦人が、アニ・ヒャウォ山中のこの仏塔に向かって一心に祈っていたら、ほどなくして懐胎したそうです。そのようなことが何度も続き、幼い子供の病気治しにも大変ご利益があったため、たちまち「アニ・ヒャウォは子供の神様だ」ということになり、周辺地域で熱心に信奉する人が増えたとのことです。仏教のご利益か、山神のご利益かどちらかはっきり定まりませんが、とにかく子供に関して何か問題がある時はこの山に願いを聞き届けてもらう、という言い伝えはずいぶん古くからこの地域に浸透しているようです。今でもこの地域の村に滞在していると、時々、朝早くに幼子を背負いかごに入れてかつぎ、村の背後の山の上まで登っていく女の人に出くわすことがあります。直接アニ・ヒャウォまで行けなくても、山の上で、アニ・ヒャウォのある方角に向かってサンを焚いて祈れば願いを聞き届けてくれるとのことです。

 アニ・ヒャウォからもっとも近いチベタン集落であるシグリ村には、アニ・ヒャウォの姿をかたどった塑像を納めたお堂(山神廟)、年に複数回シグリ村の人々が集まってサンを焚くアニ・ヒャウォのラツェ(木のポールを束ねて作った社)、およびゲロン・アチュダにちなんだ仏塔(現在修復中)が見られます。シグリ村の人々にとっては、アニ・ヒャウォは自分の村を守護する固有の土地神でもあるわけです。

 ・・・さて、ここまで両民族による信仰の様子について大ざっぱに書いてきましたが、「複合的な聖地」というからには、両者が互いに相容れることのない固有の信仰を持ち寄ってひとつの場所をただ便宜的に共有している、めでたしめでたし、という話で終わってしまうのは片手落ちの観があります。そこで以下では、「複合的」な部分についてさらに具体的な例をあげてご紹介してみたいと思うのですが、なにしろもうこんな時間(あした早いのにすでに午前3時まわってる)、まだ話しは途中なのですが、ちょっと話が長くなりすぎてしまったので、今日のところは「その1」ということにしておいて、続きはまた明日の「その2」でお伝えしたいと思います。ではひとまず、おさらばー!
 
 おやすみなさーい。

【写真説明】
?アニ・ヒャウォから見た黄河はブルー
?公伯峡の船着場
?庵古禄廟と上部の「アッラーのためし岩」

コメント(1)

詳細って言われると、困りますが…。
ただのツーリストの恐怖体験程度で読んでくださいましな。
どのくらい怖いかというと、写真でご想像ください。山を見た瞬間「これって登る山じゃないよね…?」と誰かに確認したくなりました。そして「『庵古禄拱北』までは登れる」と言っていたカルマ・ギャムツォ氏はうそつきだと少なくとも5回は思いました。そんな山です。ま、私は登山経験ほぼ0なので、そう思ったのかもしれません。
それにしても、写真見てびっくりしました。?の船着場は今年は全然違いました。今年は木の桟橋がありませんでした。直接岸につけていましたよ。それから、案内のド氏情報によると、新しい建物ができていたようでした。でも、そこは鍵がかかっていて何をするところかよくわかりませんでした。(すみません。写真とってきてません…。)
ま、トータルの感想としては行ってよかった!です。
回族とコアな交流ができてかなり楽しかったです。
私が連呼する「超ハイパー(涙)」をすっかり気に入っていただき、帰り道では回族の間でひそかに流行ってました。
みなさんもぜひどうぞ〜。

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