ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Siamo,Alfisti!コミュのアルファロメオ ヒストリー(2)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1933年に世界恐慌に端を発する経営難と政治的圧力からイタリア産業復興公社(IRI)の支配下に入り、事実上国営化される。その背後には当時イタリアを支配した独裁者ムッソリーニが深く関わっていたといわれる(ミラノで政治基盤を確立したムッソリーニはアルファ・ロメオを愛用していた)。
 高い技術力を持つ同社は国策によって軍需産業に組み入れられ、本業のレーシングカー、スポーツカーの製作もそこそこに航空機用エンジンをはじめとする兵器製作に力を注ぐことになる。

1936年、ナチス・ドイツの威信をかけて開催されたドイツGPで、当時アルファ・ロメオのセミ・ワークス・チームだったスクーデリア・フェラーリからエントリーしたタツィオ・ヌヴォラーリが旧式のアルファ・ロメオ「P3」を駆り、並み居るドイツ勢を振り切って優勝。ヒトラーを歯噛みさせた。
 当時のメルセデス・ベンツやアウトウニオン(現アウディ)らドイツ勢は、ヒトラー=ナチスに忠誠を誓うことで潤沢な資金を得、ナチスのシンボル「ハーケンクロイツ(カギ十字)」を銀色のボディ(ドイツ勢は塗装による重量増加を嫌い、アルミの地肌をむき出しにしていた)に染め抜いたモンスターマシンを繰り出してレース界を牛耳っていた。この時、ドイツの勝利を疑わないレース主催者は勝者をたたえるイタリア国歌のレコードを持っておらず、ヌヴォラーリ自らが持参したレコードで面目を保ったという。 さらにポディウムに掲揚されたボロ切れのようなイタリア国旗に呆れたヌヴォラーリは、「ドイツ野郎に新しいイタリア国旗を買えと言ってやれ」と吐き捨てた。

イタリア人の期待を一身に背負い、しかし国からの援助もなく、資金が枯渇して開発のままならないマシンで孤軍奮闘するチームは、こうして一時の美酒に酔うが、それもこのときまでだった。
 その後、アルファ・ロメオのレーシング部門では政争が渦巻き、ヤーノが、フェラーリが去っていった。

やがて戦争がすべてを覆い尽くす。
1943年、ポルテッロにある本社工場はイタリア軍需産業の重要拠点と見做され、連合軍の3度にわたる空襲によって廃墟と化した。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Siamo,Alfisti! 更新情報

Siamo,Alfisti!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング