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沖田臥竜の直言一撃!
【中居問題】誰にでもできる“断罪”―浅はかな正義の先にある危うさ
2025/08/20 14:00
その他
文=沖田臥竜

どんな理由があったにせよ、一時は加害者と呼ばれる立場にあったにせよ、今現在、困り、弱っている人や極地に立たされた人に対して、石を投げつけるかのように寄ってたかって文句を言うことは、すまないが、誰にでもできることだ。それは、ことの是非だけの問題ではない。いや、是非があるならなおさら、誰にでも言える文句なのだ。 

 しかし、逆に考えてみてほしい。非難囂々を浴びせられている人に対し、理屈ではなく庇うような発言を一人ですることは、易易とできることではない。その火の粉が、マグマとなって自分自身にも降りかかってくるのは必至だ。まるで新たなターゲットを見つけたかのように、ネット民は「キーッ!お前は被害者の気持ちを考えたことがあるのか!」と、ネット自警団の様相を呈する。だが、当たり前ではないか。さまざまな角度から問題提起し、記事化するのが我々の仕事である。

ただし、一方に流されることなく、行き過ぎた報道姿勢には、正面から立ち向かうことも、ジャーナリズムの責務でなければならない。なぜか。それは、行き過ぎたマスメディアの報道によって、誰も救われることがないからだ。

 マスメディアの役割とは、ネット世論を必要以上に扇動することでも、ネット自警団のように片側の意見に肩入れし、反論されれば感情的になることでもない。あくまで、平で客観的な立場を保たなければならない。それを踏まえた上で、私は問いかけたいことがある。

 マスメディアの一方的な報道によって世間を大きく揺るがせたジャニーズ問題、松本人志氏の問題、中居正広氏の女性トラブル……それらに関する報道姿勢は、本当に正しかったと言えるのだろうか。私の答えは「否」である。

 なぜなら、マスメディアの報道が先行し、ネット民の過激な論理によって真実が歪められてきたからだ。極論を言えば、こんな風潮が今後もまかり通れば、誰だって簡単に陥れ、社会的に断罪することができるようになってしまう。それはそうではないか。何年も、あるいは何十年も前のことを持ち出され、しかも証拠も記録も残っていない、一方の人間の心の声までも批判材料として通用してしまうのだ。

 私は、常に加害者とされた側を擁護したいなどという考えは毛頭ない。ただし、その辺の書き手とは筆を持つ矜持が違うだけだ。それはおかしいのではないか――そう思ったことを非難囂々と燃え盛る中でも、反対から書くことができる。それだけである。そして、それこそが公平中立であり、私が考えるジャーナリズムなのだ。

 読者の意見はさまざまである。そして、ときに身勝手なものである。そこに責任感などなく、誹謗中傷もお構いなしだ。ただ、それを煽動し、真実を解明できないまま、一方を執拗に責め立て、社会的制裁を加えることがマスメディアの役割だと考えるのならば、それは大きな誤解である。

 論じるまでもないが、司法当局が入った事件については話は別だ。司法という権力が暴走したり、過ちを犯していないか、独自に徹底的に取材し、報道するのがマスメディアの役目である。それを「被害者にも加害者にも同じ人権がある!」なんてことは間違っても言わない。法に抵触したのだ。加害者の心情を考えるのは、マスメディアの仕事ではない。だからこそ、法に触れたか否かが境界線となるのだ。

ジャニーズ帝国が崩壊し、ダウンタウン松本人志氏と中居正広氏がテレビから姿を消したが、その中で誰か1人でも逮捕されたり、任意でも取り調べを受けたのか。あれだけ叩かれ、吊るし上げられたにもかかわらず、誰も捜査対象にすらなっていないではないか。だからこそ、当然ながら、「やりすぎではなかったか」という疑問が湧くのである。

 本人の自業自得ではないかとする考えも、もちろん理解はできる。理解はできるのだが、それが記事化における攻撃的判断基準にはならない。

 私は週刊誌の年末の合併号で、格好の的にされ、テレビから消えていった松本氏も中居氏もかわいそうだと感じてしまうし、ジャニーズの崩壊には今でも個人的に納得ができていない。それが本当に「正しいこと」とは自分自身では言えないからだ。

 考えてみてほしい。テレビに映る芸能人たちが、必要以上に良い子を演じなければならない状況で、マスメディアやコンプラにビクビクしながら作られた番組や出演する芸能人を見て、面白いと思えるか。

 テレビは娯楽である。そのテレビの衰退に結果としてマスメディアが加担し、業界全体的に報われることなんてまずないだろう。

 私は、なんでも賞賛するような気持ち悪い報道で埋め尽くすべきだと言いたいわけではない。法に抵触していないケースでも、本当に客観的な取材を尽くした上で「これは問題だ!」となるべきものは、報道するのは当然である。それこそがスクープだからである。
 
 あれほどの罵詈雑言を浴びせられ、芸能界から追放され、今もなお攻撃され、弱っている中居正広氏に対して、さらに追い打ちをかけるような記事を果たして「スクープ」と言えるだろうか。

 ジャーナリズムとは、人の粗探しをすることではないはずだ。
(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)

テレビの落日とジャーナリズムの危機
フジ会見で露呈した記者たちの暴力性

沖田臥竜

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』シリーズ(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

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最終更新:2025/08/20 14:00

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