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すべらない味コミュの郷土料理

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コメント(10)

エロエロ大名大友宗麟が作った郷土料理 臼杵の味

えろえろ大友宗麟  臼杵城に全国の美女を集めて毎日エッチにふけったそーなーその彼ゆかりの料理・・・・


臼杵の郷土料理黄飯(おうはん)臼杵市の郷土料理で、古くよりお祝いや、もてなしに用いられてきました、黄飯はその名のとおり、くちなしのエキスで黄色く炊いたご飯のことだが、戦国時代の雄、キリシタン大名の大友宗麟が南蛮貿易を通じ、パエリアを模して考案したという一説もある、歴史を感じさせる味わいの一品。臼杵の昼の膳黄飯料理は、素朴で体に優しい料理です。


だんご汁(だんごじる)とは、小麦粉で作った平たい麺を味噌仕立ての汁に入れたもの。大分県を中心に熊本県・宮崎県鹿児島県にもある南九州の郷土料理(熊本県ではだんごが丸く「だご汁」と呼ばれる)。またの名をともいい。これには鮑腸の字を当て、大友宗麟 に対して鮑の腸の代わりとして供されたのが起源だとする説もある



きらすまめし 天保の改革 での倹約令 の名残と言われ。刺身にとった切れ端を利用した倹約料理である。「きらす」とはおからのこと、「まめし」とはまぶすという意味の方言であり、「きらすまめし」とは「おからをまぶしたもの」の意味である。臼杵市の料理店などでは大抵メニューに載っている。臼杵の質素倹約の精神を表わした下町の味である。



茶台寿司 一見何の変哲もない握りずしのようだが、よく見ると具が表と裏の両面に貼り付けてある。それをお茶の台(茶托)に見立てて茶台寿司という。手近な魚介や季節の野菜などを使ったもてなし料理で、色とりどりの握りをモザイク状に並べ旬の色彩を楽しむ。近年江戸前の寿司が臼杵に入ってくるまで、臼杵で寿司といえばこの茶台寿司のことだった。


あじ寿司 臼杵市は古くから魚どころであり、とかく魚料理のうまい所である。臼杵の町屋筋では魚屋だけで成り立っていた通りが三町もあり、それらは『魚ん店(うおんたな)』と呼ばれた。臼杵近海で捕れた新鮮なアジで握ったあじ寿司は臼杵の人たちの大好物です


鳥天(とりてん)とは鶏肉を天ぷら衣をつけて揚げたもの。大分県の郷土料理。ポン酢・酢醤油・天つゆなどにつけて食べる。また、これらとともに辛子を添えることも多い。鳥の唐揚と混同されやすいが、唐揚げ粉ではなく天ぷら衣を用いること・ポン酢等につけて食べることなどで区別される。現在では大分県下各地の定食店・弁当屋の定番メニューとして供される他、各家庭でもよく作られる。



ふぐ天丼 臼杵といえば豊後水道で水揚げされた、トラフグを使ったふぐ料理が有名。市内では30軒以上の店で、ふぐを味をうことが出来る。ふぐと言えば、生でも焼いても、揚げてもうまい魚の王様。そのふぐを気軽に味わえるのがこのふぐ天丼、サバふぐを使っておいしくしかも安価にてお召し上がりいただけます。


やせうまは大分の郷土おやつで、お盆に供える習慣があるほど地域に根付いた料理である。小麦粉で作った平たい麺をゆでたものに黄粉と砂糖をまぶしたもの。そのまま、もしくは更に冷やして食べる。 やせうまの「やせ」は「八瀬」であるといわれ、その語源は通常、次のように説明される。平安時代、都から藤原鶴清麿という幼い貴族が豊後 の国に下向し、黒野に隠れ住んだ。鶴清麿の身の回りの世話をする女は、京都の八瀬 出身だったらしく「八瀬(やせ)」と呼ばれた。八瀬は、ときおり小麦粉をこね、長く伸ばして麺状にして茹で、これにきな粉をまぶしたものを作って、鶴清麿に食べさせた。鶴清麿はこの食べ物が欲しい時、「八瀬、うま」(「うま」は食べ物の幼児語)といい、これが「やせうま」の語源となったという。






信長さんが家康さんを饗応した料理を再現した「安土献立」

当時の資料「続群書類従」の記述に基づきでき得る限り忠実に復元。

1の膳
?金高立入 蛸(湯引たこ) ?鯛の焼き物 ?菜汁 ?膾(なます) ?高立入 香の物(大根の味噌漬) ?鮒の寿司  ?御飯
2の膳
?絵を書いた金の桶入 うるか(鮎の内臓の塩辛、今回はこのわた使用) ?高立入 宇治丸(鰻の丸蒲焼き) ?ほや冷や汁 ?太煮(干ナマコに由芋を入れて味噌煮にしたもの)  ?絵を描いた金色の輪に乗せた貝鮑 ?高立入 はも(照焼き) ?鯉の汁
3の膳
?焼き鳥(鶉・うずらの姿焼き、当時は雲雀・ひばり) ?山の芋鶴汁(鶴とろ汁味噌仕立て、鶴はフランス産使用)?がざみ(ワタリガニの一種) ?辛螺・にし(にしがいの壷煎、巻貝の一種)?鱸・すずき汁
4の膳
?高立入 巻するめ  ?鮒汁  ?高立入 椎茸 ?色絵皿入 鴫・しぎ壷(鴫の壷焼き、なすの田楽)
5の膳
?まな鰹さしみ  ?生姜酢  ?鴨・かも汁(鴨の味噌汁) ?けずり昆布  ?土器入りのごぼう
足付の縁高御菓子
?から花(造花)  ?みの柿(干し柿)  ?豆飴  ?くるみ  ?花昆布  ?求肥餅(羽二重餅)
JR安土駅前にある料亭「ふな幸」では、よりレベルアップした本格的な「信長御膳」を賞味していただけます。
(座敷にて5,000円から、人数等詳細は問合せ下さい)


ご注文・問合せは安土町商工会まで(0748−46−2389)

鮒・・・・上記のどれなのだろう・・・いわくつきの品だが・・・非常に興味深い記述を見つけたので書きます。


琵琶湖名産鮒寿司製造元『総本家 喜多品老舗』http://www.kitashina.com/老舗百店という小冊子に滋賀県で唯一、収録されている有名な店なのだ。
 鮒寿司は、近江名産もしくは滋賀県特産。しかし、喜多品老舗は、北村眞一当主が十七代目という歴史と伝統を誇り、この間の切磋琢磨ぶりが評価の対象になっているのだろう。
 出迎えの十七代夫人が「こちらはお店。お座敷はこちらに」と、案内されたのが筋向かいの古い屋敷。古風な料亭といった感じで、庭のきれいな奥座敷に通された。と、そこの床の間に一幅の大きな掛け軸が架けてあって、書が几帳面に表装されていた。かなり、年代ものの手紙である。
 聞けば、差出人は徳川家康。なるほど、家康のしたためた礼状と署名の下に『花押』が認められた。女将でもある老舗夫人の説明によると、当時の喜多品老舗店主が寺社を通じて徳川家康に届けた鮒寿司の礼状の複製だというからすごい。
 徳川家康と鮒寿司。出会いは織田信長が安土城で徳川家康を接待したときのこと。接待役は当時、大津坂本城の城主・明智光秀。饗応の宴に、よりにもよって、においの強い鮒寿司を出したということで信長から叱責され、足蹴にされたとの説なのだ。そしてこれが、後の本能寺の変の一因との説はこじつけでしかないようだ。
 ちなみに鮒寿司は稲作技術とともに大陸から伝わった『馴れ寿司、熟れ寿司』の一種で、近江の鮒寿司は千年以上も昔から宮中に献上されていた記録があるというから、家康の一筆の礼状は、それなりに価値ある“お値打ち品”といえるだろう。
 さて、家康好みの喜多品の鮒寿司。それは、筆者の既成概念を見事に覆す一品だった。

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