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ペトラルカ の墓コミュの死の省察。死の瞑想。

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フランチェスコ・ペトラルカは『わが秘密』において死の省察の重要性を取り上げている。
これはキリスト教文化圏に限らず、仏教においても実は大変重要なものとして取り上げられているものだ。
そうしてみると、人間の精神と生き方について深く誠実に考究した者にとっては、洋の東西にかかわらず直面するところの秘密の鍵なのかもしれない。

人間は本当にいつ死んでしまうのかわからないほど危険に囲い込まれているにもかかわらず死について本当に深くしっかりと省察する者は滅多にいない。
したがって、たとえ死のことをよく考えてみる者さえ、その考察は本当にその者の心深くまでうがつことができずに終わっている。
ペトラルカは聖アウグスティヌスに語らせている。
「死についての省察は、もっと時間をかけてじっくりと徹底的になされなければならないのだ。
死につつある人間の、まさに体のあらゆる変化と様子をありありとわが身に重ねて想起・観想しなければならない。
それによって、本当に心から揺さぶられるような真に迫った観想こそが大事なのだ。」

コメント(3)

聖アウグスティヌスは語る。
「死の瞑想は自らの体がぞっとして凍りつき、震えあがって、真っ青になり、まさにこの私が今死の苦悶にもがいているのだと感じられるようであらねばならない。
そしてわが魂は肉体に別れを告げて、ただちに今生におけるあらゆる行いの審判を受けることになるのが思われなければならない。
死によってすべてが終わったのではない。
死は一つのプロセスでしかない。
あなたは自らの行いの報いで無数の刑罰と拷問の世界、すなわち地獄に移り住むことになる。
悲鳴、うめき声、硫黄の流れ、暗闇、監守たち……。
しかもこの禍いはただただ反復される。まったき希望の欠如。
こうしたことが本当に避けられない必然としてまさに目の前にあると瞑想されなければならない。」
さらに聖アウグスティヌスは言う。
「しかも、このように恐ろしい瞑想にあっても次のような全く反対のことが重要である。
すなわち、主の御手は量り知れず、迷い子が治癒を求めてすがりつき熱望し奮闘努力するならば、決して主は迷い子たちをお見捨てになることなく、こうした禍いから救済して下さるのだ、という希望に満ちあふれていること!」
僕たちが本当に深い死の瞑想に入り込めずにいる理由についてペトラルカは聖アウグスティヌスに語らせている。

「心の最も深い部分である霊魂が肉体の内にある時、肉体の持つ感覚器官によってさまざまな印象が心に取り入れられ、四つの情念(恐れ、望み、悲しみ、喜び)で私たちの心はいっぱいになってしまう。
霊魂はこれらに閉じ込められて窒息せんばかりだというのに、まさにこれらの情念の錯綜状態が深い瞑想を常に邪魔して止まないのだ。」

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