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NHK大河ドラマ紀行「豊臣兄弟!」コミュの【軍師官兵衛】岐阜県

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【軍師官兵衛】にまつわる岐阜県の史跡写真館です。

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竹中半兵衛生誕地(大御堂城跡)(八幡神社)(大野町)

「過現二世牒」によると、竹中半兵衛重治は1544年、竹中重元の長子として大御堂城に生まれたと記されている。
竹中重元は1558年、岩手信久の岩手城を攻めて奪い、そこへ居城を移したため大御堂城は廃城になったという。
黒田長政手植えの銀杏(五明稲荷神社)(垂井町)

1578年、荒木村重が織田信長に反旗を翻した。彼と親しかった黒田官兵衛が説得に向かったが、囚われの身となる。信長は官兵衛も裏切ったと思い込み、息子松寿丸(後の黒田長政)を処刑するよう羽柴秀吉に命じたが、秀吉は官兵衛を信じ、竹中半兵衛に松寿丸を匿うよう命じた。松寿丸が預けられた不破知足の邸宅は、この地にあったと伝えられ、長政が植えた銀杏が今も残っている。
竹中陣屋(岩手陣屋)(垂井町)

安土桃山時代には岩手城と呼ばれていたが、江戸時代に竹中氏が旗本身分に留まったため城は陣屋と呼ばれるようになった。
羽柴秀吉の軍師だった竹中重治の子の重門が築いたものだが、敷地を囲む大規模な堀と石垣があり、陣屋というより城に近い。
もともと竹中氏の居城は堅固な山城である菩提山城(岩手山城)だったが、平時には不便なことから、麓に岩手城を築いたようだ。
矢野家・宇喜多秀家公匿居之地(春日町)

矢野五右衛門は、関ヶ原の戦いで落人となった宇喜多秀家を伊吹山中で発見し、自宅に匿った。秀家はその後大坂の前田屋敷に逃れ、さらに鹿児島県垂水市牛根の平野家に匿われたが、最終的に自首し、八丈島に流された。矢野家には、記念碑と秀家が詠んだ歌の歌碑がある。矢野家と平野家は、今も交流があるという。

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