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NHK大河ドラマ紀行「べらぼう」コミュの【北条時宗】長崎県

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【北条時宗】にまつわる長崎県の史跡写真館です。

コメント(8)

馬場先元軍上陸地(勝本町)

元軍400は1274年10月14日、壱岐北部の浦海・馬場先・天ヶ原から上陸した。
高麗橋古戦場跡(勝本町)

守護代平景隆は百騎余を率いて交戦したが、衆寡敵せず敗れて樋詰城に退いた。
新城古戦場跡・新城千人塚(勝本町)

この辺りは樋詰城に近く、最後の激戦地となった。
樋詰城跡・平景隆自刃の地(新城神社)(勝本町)

元軍は14日夜にいったん船に退却し、翌日樋詰城を攻撃した。平景隆一族は自刃し滅亡した。
平氏滅亡により、抵抗する勢力がなくなると、元軍は暴虐の限りを尽くした。男は見つけしだい殺され、女は掌に穴を開けられ綱を通し、軍船の船べりに結び付けて矢除けにされた後溺死させられた。人々は、悪いことをした子に「ムクリコクリの鬼が来るぞ」(ムクリは蒙古、コクリは高句麗)と言って恐れさせた。ムクリコクリ人形は魔除けに使われている。
姫御前塚(勝本町)

平景隆の娘姫御前は、蒙古襲来を太宰府に伝えるため、家臣の宗三郎と樋詰城を脱出したが、毒矢に当たり、この地で自害して葬られたという。
船匿城居館跡(芦辺町)

文永の役の後、鎮西奉行少弐経資から壱岐防衛を命じられた少弐資時が入城した。東側に自然の断崖絶壁を備えた要害で、入江には船を隠しておくことができることからその名が付いたといわれる。
瀬戸浦古戦場跡(芦辺町)

元軍は弘安の役では、瀬戸浦から4万が上陸した。瀬戸浦を見下ろす船匿城から少弐資時が迎え撃ったが、討ち死にした。
博多に上陸できなかった元軍は、瀬戸浦を拠点にしていたが、経資を大将とする日本の武士団が襲いかかった。元軍は平戸に根拠を築いたため、壱岐から撤退した。
少貳の千人塚(芦辺町)

千人塚は、瀬戸浦の戦いや元軍の虐殺で死んだ両国の死者を弔っている。

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