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SONGSコミュの第189回 Cocco

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  沖縄出身の歌手Coccoさん
  今月、主演映画がベネチア国際映画祭賞を受賞し話題を集めました。
  Coccoさんは、1997年にデビュー。独特な世界観で多くの人々を魅了し
  チャート1位を獲得。しかし、人気絶頂の中、突然と音楽活動を中止しました。

  音楽から離れた5年間。歌う事の意味を問い続けたCoccoさん。
  葛藤を乗り越えて再びステージに帰ってきました。

  今回Coccoさんは、故郷沖縄を訪ねました。地元の大切な人々と再会。
  Coccoさんが描き出す歌の世界の原点に迫ります。

こんばんは。Coccoです。今夜は故郷沖縄で、私にとって歌う事は何なのか、じっく
りとお話したいと思っています。
「SONGS」まずはこの歌からです。

るんるん強く儚い者たち

   町の中心部にある公設市場。Cocooさんが幼い頃、いつもお使いに来ていた
   思い出の場所です。

ダーッ!こっちでいっぱいお手に載せてくれるのを食べるわけ。ここで漬物をもらっ
て、ここで冷やしレモンを飲んで、ここのベンチで座っているっていうのがちっちい
時かの感じ。二人、変わらないずっと。

 変わらない。あんたはこれぐいらいかない。ちっちゃい時から。

   Coccoさんは1977年、沖縄県那覇市生まれ。歌うことや踊ることが大好きな
   女の子でした。沖縄を代表する舞台役者の祖父を持ち芸事が身近な家庭に育ち
   ました。おじいさんの華やかな舞台姿に憧れていました。

沖縄て集まりがいっぱいあるから親戚がいっぱい集まって、その時に絶対に子供が芸
させられる。「はい、Coccooやりなさい。」って。「何かって?」っていう・・
そういう時に、よく真ん中で歌ったり踊ったりはしてた。

こんにちは。
 こんにちは。
 
   この日、Coccoさんが訪ねたのは母校、県立開邦高校。
   
何か恥ずかしいですけど。直子です。
 直子です。
直子は高校の同級生で、ピアノをやってます。

   高校時代のクラスメート、辺土名直子さん。3年間共に過ごした親友です。

これあったね。

   高校では美術を専攻。写真や油絵の基礎を学びました。

写真・・脱いでくれる人がいたら、ひたすらおっぱい。おっぱい大好きで、直子も
しょっちゅう見せてくれるから。自分にないのをやっぱり人は求める。デッサンと
かも肉が描きたいんだけど、自分の体に肉があまりないから。

   Cocooさんはここで作品作りにのめりり込み、自分自身と向き合いながら表現
   する事の大切さを知りました。初めて歌う事の楽しさを知ったのも、ちょうど
   この頃。直子さんに誘われバンドでボーカルを務めました。

「Cosso、お前 歌いな」「はっ?」って「何で?」って。「お前、歌え」みたいな
勝手に決めて、確かに他に楽器できないしなと思って。

 直子さん>でも初めはみんな経験ないし。うまけりゃ、いいんじゃないかなと思っ
 て。その歌い方と今の歌い方はほとんど変わってない気がします。

私の3枚目のシングル「Raining」高校時代に生まれたこの歌を学校の帰り道に、いつ
も口ずさんでいたのを覚えています。
あの頃のまっすぐな思いから生まれたこの歌。
私に歌うきっかけをくれた直子のピアノに乗せて歌いたいと思います。

[m:72}Raining
   
   高校卒業後、Coccoさんは自分の可能性を広げるために上京。
   たまたま応募したオーディションで歌の才能を見いだされました。そして、
   2年後の1997年デビューを果たします。
   しかし、本当に目指していたのは歌手ではありませんでした。小学6年生の時
   にバレエを習い始めたCoccoさん。高校卒業まで毎日プロを夢見て一日も欠か
   さずに練習を続けてきました。

うわ〜 いや〜
おじゃまします、誰もいないの?

   6年間、通い続けたバレエ教室。ここはCocooさんにとって特別な場所です。

もう青春時代の全てよね。常いここにいた。レッスンがない日も来て踊ってたし、
レッスンがある日もレッスンの時間よりももっと前に来て、先輩たちの踊りを見て、
終わった後もずっと最後までいた。

   本当はバレリーナになるために上京したCoccoさん。歌手になったのは、その
   資金を稼ぐためでした。1997年のデビュー後もバレエの夢をあきらめる事が
   できませんでした。

「早く沖縄に帰ってこれますように。またみんなで踊れますように。」
97年だから・・・まだバレリーナnにりたかったから、早く帰ってきてバレリーナに
なりたかった。

   バレエの恩師、飯島礼子先生。バレリーナを夢見ていたCoccoさんをいつも熱心
   に教えてくれました。

自分はバレエで成功しなかったから、先生に認められたかったし、先生の自慢の生徒に
なりたかったのに、できなかったっていう。
いや〜 いるし〜・・・。
礼子先生。

 はいはい。久しぶり 元気だね。
いや〜
 今、お茶。
お茶買いにきたん?先生。
 はい・ハグハグ
ああ、良かった。もう顔向けできないと思って。恥ずかしくて、何 歌なんかやっちゃ
てんのって感じだから。
 でもね。音楽の方で成功しているからいいんじゃないの?
いいかな?
 うん。
ほんとに何か先生に自慢になる生徒になりたかった。ほんとうに良くしてもらったから。
それが音楽じゃできないって思ってたから。恥ずかしくて何か・・、

  デビュー翌年、アルバムがミリオンセールスを達成。Coccoさんは一躍人気歌手の
  仲間入りを果たします。しかし、Coccoさんは苦しんでいました。
  「歌をやりたくて始めたわけじゃない自分が、このまま歌い続けていいのか」
  葛藤の末に歌手を辞める決断をしました。

 みんな、たくさんいっぱいありがとうでした。さようなら。

   2001年、音楽活を動中止。もう二度とステージには上がらない覚悟でした。

こんなにいっぱい支えててくれる人がいて、歌を聴いてくれる人がいるのに、その人た
ちに対して、この不純な理由のまま続ける事はできないと思ったから、一回チャラにし
ないと何かだましているみたいな感じがして、歌か好きだって気づいちゃたから。

   音楽の道を捨てCoccoさんが向かったには、故郷沖縄でした。
   大好きな絵を描きながら、自分自分を見つめ直す日々。心の中には何も成し遂げ
   るられないんまま帰ってきてしまった故郷への複雑な思いが膨らんでいました。
   
   その時目にしたのが故郷沖縄の変わり果てた姿。自らゴミが拾い歩き、海を守る
   活動を始めました。しかし、どんなに訴えても活動の輪kが大きく広がる事はあ
   りませんでした。
   「故郷の海を取り戻したたい」一人でも多くの人たちに思いを伝えため、もう
   一度人前で歌う事にしました。
   
   2年間、音楽から遠ざかっていたCoccoさんはこの時改めて
   「自分には人に思いを届けられる歌があるんだ」という事を実感しました。
   2006年、音楽活動を再開したCoccoさんは沖縄でライブを開催。デビュー以来初
   めての事でした。


暑い中、ご苦労さまです。沖縄ではまだ無名なCoccoとしては、この3分の2位は県民で
あることを祈ります。

   Coccoさんは幼い頃、舞台上でいつもお客さんを沸かせていたおじいさんの姿を
   見て育ちました。「そんな自分は罪悪感を抱えながら歌っている。自分の歌が
   故郷の人たちに届くはずがない」とこれまで沖縄で歌う勇気がありませんでした。

沖縄でライブをやった時に集まってくれた人たちを目の当たりにして、あっ沖縄でも
できるんだって。じいちゃんが舞台に出て行った時に見ていた向こう側の景色みたい
のが自分でもできるんだって言うのをお客さんとかに見せてもらえたから、すごいあり
がたいなと思った。

デビュー以来、音楽に後ろめたさを感じてきた私をもう一度歌に向き合わせてくれた
のは、故郷沖縄でした。
私は今ようやく自分の歌を歌い続けていく覚悟ができました。
故郷への感謝の気持をこめて私が初めて沖縄の言葉で歌った歌です。

るんるん絹ずれ

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