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SONGSコミュの第36回 忌野清志郎

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始まりました!
忌野清志郎さんの復活ライブ!
1月21日に収録があって、mixiの清志郎コミュでも盛り上がっていたので
とても楽しみにしていました(^^

----------------

清志郎さん(K)
こんばんは。忌野清志郎です
(ボードに「帰って来たぜ・・」と書き込んでいる映像)
ちょっと納得がいなかないかな。
SONGS、今日はオレの歌をたくさん聞いてくれ!

原田知世(H:)
病気療養のため音楽活動を休止していた忌野清志郎さんが
今夜、「SONGS」で復活します。
みんなが待ちわびた歌声をこの曲で聴いてください。

るんるん雨あがりの夜空に

 
H:忌野清志郎さんが、病に侵されたのはおととしの夏。
 喉頭ガンでした。自らのホームページでファンに告知。
 全ての音楽活動をキャンセルし、長い闘病生活に入ります。

K:今思うと、やっぱり・・・
 ちょっと休めっていう指令だったのかもしれないね。上からの。

H:デビューして36年走り続けてきた忌野清志郎さんが初めて
 歌うことをやめました。手術をすれば、声は失われる。
 摘出手術も断り、大好きな自転車で少しずつ体力を取り戻してい
 きました。

K:1年ぐらいか何もやらなかったわけで。抗がん剤で元気な細胞も
 全部一回ダメになるわけで、筋肉という筋肉が全部落ちたんです。
 心肺機能も全部落ちて。階段を3回くらい上るのが最近まで大変で。

 これはね、エルビス・プレスリーが軍隊から復活したときに
 テレビショーやったんだけどこんな感じだったよ。
 復活のテレビなんで、思いっきり盛り上がって欲しい!

H:続いてはRCサクセションの名曲「スローバラード」
 最もファンに愛されている切ないラブソングです。

るんるんスローバラード

(なつかしの映像)
忌野清志郎さんは1951年生まれ。
1970年フォークの時代にRCサクセションとしてデビュー。
そして80年代、RCサクセションは、ロックバンドとして一世を風靡します。
奇抜なファッションとメーク。派手なステージアクション。
清志郎郎さんは日本のロックを作り上げました。
82年には、坂本龍一さんと組んで、「い・け・な・いルージュマジック」を
発表。世間をあっと言わせます。
 THE TIMERSのパフォーマンスも物議を呼びました。社会に対する憤りを
すかさず歌にする清志郎さんのスタイルは、若いミュージシャンたちに
大きな影響を与えてきました。
4年前に映画のお仕事で清志郎さんとご一緒した私、原田知世は、激しい
ライブからは想像できないくらい穏やかな素顔の清志郎さんが大好きです。
今回の復活をとてもうれしく思っています。私と同じ気持ちで清志郎さんの
復活を祝おうとNHKのスタジオにファン500人が集まりました。
清志郎さんのメッセージに応えてそれぞれが思いを記します。

(ファンの声)
 ずっと先端で突っ走ってるところが、カッコイイですよね。
 やっぱり声ですね!
 あの声が聴けなくなるのかなと思うって寂しかったんですよ。
 もうダメなのかなと思ったけど、こんな形で復活できるなんて夢にも
 思ってなかったんで、すごくうれしいです。

(観客)清志郎、おかえりなさい!
 K: はいただいま。

H:ここから2曲は、清志郎さんの新しいナンバーをお届けします。
 毎日をポジティブに誇り高く生きようという清志郎さんのメッセージを
 受け取ってください。

(観客)清志郎!以前より全然イイぜ!
 K: イイ事 言ってくれるね!

るんるん毎日がブランニューディ

るんるん誇り高く生きよう

K:すごいね。(500人のメッセージボードをみて)
H:ライブが終わった後、500人のファンたちが書いてくれたメッセージを
 清志郎さんに見てもらいました。
K:500人、書いたね、こりゃ。。
 なんとコメントしてよいやら。

H:誰よりも過激にロックを歌い続けてきた清志郎さんは、今、56歳。
 無事、ガンを克服して清志郎さんは帰ってきました。
 2月10日には、日本武道館で復帰後、初めての単独ライブを行い
 完全復活を宣言します。
 再び、歌い始めた清志郎さんに、これからの人生を聞いてみました。

K:あまり先の事を考えるのも、よくないかなと思って。
 やっぱり毎日を充実していかないと。気持ちが先にいっちゃてると
 よくないと思うんですよ。心ここにあらずみたいになっちゃうと。
 2月10日の武道館のこともあまり考えないようにしてて・・。
 明日からまたリハなんで、明日ぐらいのことを考えようかなと思って
 るんですけど・・。

K:最後の曲になっちゃいました。
 お送りしよう!「

るんるんJUMP

K:どうもありがとう!
 愛してます。


コメント(14)

今年の"SONGS"は好きな男性ROCK SINGERが3人続いたので…(^^♪
録画せず…11時から観てましたわーい(嬉しい顔)
(来週とベストは…録画で観るかも…です…m(__)m…)

10日の武道館が『完全復活』なんでしょうけど、とても良いLiveでしたねわーい(嬉しい顔)
個人的には、RC時代の「トランジスタラジオ」も聴きたかったですが、ソロの3曲もとても良かったです(^^)v

♪偉大なるワンパターン♪なのですが…男女の恋愛だけでなく、いつまでも変わらずLove Songに…『愛』にこだわっている清志郎さんの姿勢には心を打たれます(^^♪
ホントに「以前より全然イイぜ!」って感じでしたね(^^)v

インタビューを受けて話してる声と、ステージでMCとして話す声と、そして歌声と…。
なんとも言えないGapも魅力的ですねわーい(嬉しい顔)


『あまり先の事を考えるのも、よくないかなと思って。やっぱり毎日を充実していかないと。気持ちが先にいっちゃてるとよくないと思うんですよ。心ここにあらずみたいになっちゃうと。』

何かを乗り越えてきた方の言葉は…本当に重みがあります。
世良さんに引き続き、
こちらも番組のキャプチャをペタっ!
on-the-roadさん
 今年は、そうですね。女性アーティストがまだ登場してませんね。
 来週は森山直太朗さんで、その次も甲斐よしひろさんですから
 5週続けてになりますね。
 さて、今年最初の女性アーティストは誰でしょう?(^^
 そのあたりも楽しみにしてみます(^^
 
 とても、魅力的なライブでしたね。さらに、ステージを取り囲んで
 ですから、間近でアットホームな感じもして、素敵なライブでした。

 こういうふうに真面目にインタビューを受けている姿を見るのは
 正直言って、自分は初めてに近かったので、とても紳士的でステージ
 とは違う別な面が見られて新たな発見でした(^^
 そして、病を乗り越えての発言でしたから、on-the-roadさんのお書き
 になった通り、重みがありましたね。

 ホント・・「以前より全然イイぜ!」って感じでしたね(^^)>同感です(^^

ダンマールさん
 ありがとうございます。
 その後、ライブレポも読ませていただきました。(^^
 素敵なライブレポです。
 ダンマールさんの日記、参照リンクさせていただきます(ペコリ)
 番組を見て、あの場にいらした皆さんは、余計感激しただろうなと改め
 て思いました。そのくらい素敵なライブでした。
 ダンマールさんは映ってらっしゃいましたか?(^^

折鶴さん
 ほんとに喉頭がんを患っていた人なのだろうかと思うくらいの
 パワーあふれるライブでしたね(^^
 オンエアは、されなかったですけど、観客の皆さんとのやりとりで・・
 「実は仮病だったんだろ!」の声に、
 「実はそうだったんだ。療養と称して温泉三昧で。」
 ・・・・と、そういうかけあいもあったようです(^^
 ステージとの客席との距離が近かったのもよけい迫力増してましたかね(^^


★ALL★>当日、参加されたダンマールさんのライブレポは以下です。
  オンエアされなかった部分を含めてのことがアップされています
  ので、なかなか楽しめます(^^

  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=691505535&owner_id=14100945
  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=707650554&owner_id=14100945
<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け
(5月2日22時54分配信 毎日新聞)

忌野清志郎さん
 「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。

 東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。

 一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。

 06年7月に喉頭(こうとう)がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。

 ◇自分の道を貫いた

 ▽音楽評論家、田家秀樹さんの話 日本のロックバンドと日本語のロックの原形をつくった人だった。忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、黒人音楽と日本語を初めて結びつけ、またビジュアル系の元祖でもあった。反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。妥協もこびることもなく、音楽一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた。

 ◇聞く者に力与えた

 ▽音楽評論家、天辰保文さんの話 清志郎さんの根底には黒人音楽への敬意があり、それをエンターテインメントの形で日本に定着させた功績は大きい。権威への反逆も一貫していたが、それをユーモアにくるみ、さりげなく表現していた。実はシャイな人だったと思う。彼の音楽には「彼は常に信頼できる人であり、自分もしっかりしなければ」と、聞く者に思わせる力があった。

-----------

清志郎さん死去 泉谷さん「オレは認めん」 悼む声次々
(2009年5月3日0時51分 asahji.com)

 古くからの知り合いで、一緒にバンドを組んだミュージシャンの細野晴臣さん(61)は「亡くなるなんて信じられない。早すぎる。お見舞いに行こうと思っていたところだったのに。本当に残念だ。なんて言ったらいいのかわからない」と言葉をつまらせた。

    ◇

 ビートたけしさん(62)は2日夜、TBSの生放送番組の出演中に悲報を知り、「がんもロックンロールだって言っていた」と硬い表情で語った。たけしさんらが漫才で注目され始めたころ、ともに出演したこともあったという。「デビューのころにRCサクセションに火がついてきた。ぐっと上がっていく時に、よく一緒にやった。前座で漫才をやったこともある。おいらがやっても相手にされなかった」と当時を懐かしんだ。

    ◇

 忌野清志郎さんは、FM802(大阪市北区)の今春のキャンペーンソング「Oh!RADIO」を作詞作曲したばかり。ヒット曲「トランジスタ・ラジオ」を持つ清志郎さんに、「開局20周年の節目に、21世紀のラジオの歌を書いてもらおう」と同局が年明けに依頼。スガシカオらが歌い、4月から5月末までの予定で流している。

 同局編成部の岩尾知明副部長(42)は「突然の訃報(ふほう)に驚いている。体調が悪い中、素晴らしい歌を作ってもらったことを思うと、言葉がありません」と話した。

     ◇

 60年代から共演を重ねてきたミュージシャンの泉谷しげるさん(60)は「オレとしては忌野清志郎が亡くなったコトは受け入れません! 彼はオレの青春そのものだったし、年下なのに師として仰いできたしこれからもだ。忌野さんには一生勝てないし勝つ気もない。若い頃から希有(けう)な天才性を発揮してたし随分まねさせてもらったよ。まだ恩返しもしてないのに彼が勝手に逝くはずもない。だから冥福を祈らないし、告別もしない。オレだけは絶対に忌野清志郎の死は、認めないから」との談話を発表した。

一音楽ファンとしては、残された音源を聴くことのみで。

あんまり言葉にならず…。

『日本語』の"響き"を…とても大切にされていた、『愛』に溢れたアーチスト、ソングライター、ボーカリストでありました♪


♪こんな歌 歌いたいと思っていたのさ
♪素敵なメロディー
♪あの娘に聞いて欲しくて
♪ただそれだけで歌う僕さ

♪この歌の良さがいつかきっと君にも
♪わかってもらえるさ
♪いつか そんな日になる
♪僕ら何もまちがってない もうすぐなんだ


謹んでご冥福をお祈り致します。
僕の好きな先生も好きだったなあ
御冥福をお祈りいたします
on-the-roadさん
 コメントをありがとうございます。
 訃報の記事をアップしただけで、自分はまだコメントを書いていません
 でした。連日、清志郎さんのことが記事になっています。
 それだけ多くの人に影響を与え、愛されたロッカー、ロックの神様、
 ミュ−ジシャン、アーティスト・・どんな呼称にしても、改めてとても
 大きな存在だったことが思い知らされます。

 昨日の「SONGSスペシャル」でも、番組の最後、この回の映像と共に
 お悔やみのメッセージがありましたね。これが最後の出演となるとは。

 謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。


大空翼さん
 「僕の好きな先生」もイイ歌ですよね。
 その歌のモデルとなった美術の先生の話も載っていました。
 もうご覧になられたかもしれないですけれども、
 載せておきたいと思います。

(スポーツ報知 2009/5/3)
 清志郎さん高校担任「そんなに特別な生徒ではなかった」
 …「ぼくの好きな先生」のモデル

2日午前零時51分に癌(がん)性リンパ管症のため亡くなった歌手の忌野清志郎(本名・栗原清志)さん(享年58歳)の通夜が3日、都内で密葬形式で行われた。

都立日野高校の3年時の担任で、RCサクセションの初期のヒット曲「僕の好きな先生」のモデルとなった元美術教師の小林晴雄さん(77)も駆け付け、清志郎さんとの思い出を振り返った。

遺体と対面した小林さんは「おだやかで素に近いような笑顔でした」。今年2月に入院中に見舞ったときは「本人もだいぶ良くなってきたと言ってたんですが」という。忌野さんは高校時代から絵を描くのが好きで、同校のOB展にも毎年のように顔を出していた。

高校時代の清志郎さんについては「そんなに特別な生徒じゃなかった。問題行動もなかった。ただ出席状況は良くなかったので単位はギリギリ。夜の仕事も始まっていたので、よく昼まで寝てましたなんて言ってたな」。

72年に「ぼくの―」を発売したときには、レコードを持ってきて「こんなこと歌にして迷惑じゃなかったですか」と恐縮していたという。「優しい子でしたね」と自慢の教え子の死を惜しんでいた。

---------
リンクも貼付しておきます。(そのうちリンク切れになると思いますが・・)
先生の写真も載っていました。
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090503-OHT1T00214.htm
Tom as lonely oboistさん
 詳細な情報アップ、ありがとうございます。
 完全版は、今夜(というか日付は変わってしまいますけど)夜、遅くですね。
 完全版ですので、見逃さないようにします。
 
完全版いいですね、MCもカットされずよりライブ感が伝わってきます。
この時は先着順にステージ正面から席がとれたのですが、入場時にメッセージを記入する際
時間をかけてしまい、最前列を取り損ねたのを思い出しました。。
収録が終わって(JUMPの後)、前説のスタッフが閉めのトークをしてる際に観客がアンコール
を要請して応えてくれたのですが、こんな事は清志郎さんと馬場さんの時だけですね、私が
何度かスタジオ観覧した中では。普通は予定曲が終わった段階で「お疲れ様でした、
気をつけてお帰りを〜」みたいなノリで淡々と終わるのですが。とにかく盛り上がった回でした。
まりもさん
 完全版、素晴らしかったです! 
 MCも、天気予報の苦言もカットされずに。でも苦言というよりも、雪、見た
 かったぞと、ちょっとお茶目な清志郎さんの一面をかいま見れたようでした。

 途中全くカットすることなく一気にライブ映像だけで、とても見ごたえがあり
 ました。とても良かったです。
 このライブを見ると、すぐそこにいるようで。これだけのライブパフォーマ
 ンスをなさっていらしたのに・・。大きな宝物を残していってくれました。

 まりもさん、最前列をのがしたのでしたか。でもメッセージに時間をおかけ
 になってということですから、きっと清志郎さんには伝わりましたね。
 アンコールは「上向き」?上向き?何?と思ったのですが「上を向いて歩こ
 う」だったのですね。そのアンコールにしても、こたえてくれたのは、
 清志郎さんと馬場さんだけとか。しかも、最後まで観客のみんなを楽しませ
 ようと、短い時間にあれこれと考えてくれて。優しい人ですね。

 そういう舞台裏も余すことなく見せてくれてほんとうに素晴らしい完全版・
 清志郎さんのライブでした。改めて、ありがとう!と言いたいです。
  

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