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ディー・エヌ・エー南場さん「起業した頃」

日経ウーマンオンライン(日経ウーマン)
5月27日(金)10時51分配信

社長退任を発表した、ディー・エヌ・エーの南場智子さん。
「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2007」では1位を獲得し、
「日経ウーマン」にも何度も登場。
過去の記事から、南場さんの思いを紹介する。

◆一芸に秀でた人って、カッコいい

何が厄介ったって、ぺらぺら話しかける美容師ほど厄介なものはない。
今日はお買い物ですか、ってかんじで質問を連発する。
しかもこちらの答えには全く関心が無さそうだ。
一応聞かれたら返事をしなくては、と「はい」とか「いいえ」とか短く答える。そのうち「お疲れですね」とくる。
そうでもないって、今起きたばっかなんだから。
「いいえ」と答えて、目の前の女性誌に助けを求める。
ゴシップだろうが何だろうが構わない。
一心不乱に読んでスキを与えないことが肝要だ。

おしゃべりな美容師と黙々とやる美容師で、
どっちが腕がいいかというと、それが全く無関係だ。
どっちのタイプにもスゴイ人がいる。
事実私が大学四年の時に出会った天才美容師は多弁だった。
見事な就職カットで怠惰な私をデキる女に仕立て上げたり、
その時々の目的に応じて百点満点のスタイルをつくる。
迷いがなく、スピード感があり、超正確でセクシーなハサミさばきだ。

その美容師はかなり多弁だった。
しかしよくある質問型ではなく、一方的に自分のことを話すタイプ。

就職したての頃だったと思う。
第一次ホーキングブームのときの会話を覚えている。
「南場さん、ホーキング、読んだ?」
「いいえ」
「ぼく、読んだ。っていうか、読もうとした。前半すごく面白かった。
でも真ん中あたりから急にわかんなくなった」
この神々しい天才がわからない本が自分にわかるはずがない。
南場迷わず放棄。
手にとることさえしなかった。
髪型もその美容師に言われた通りにしていた。
圧倒的なスキルに裏打ちされたオーラがあった。

その天才美容師に通っていたころは
マッキンゼーという会社でコンサルタントをしていた。
当時はマジで疲れていた。
仕事はできが悪いがよく頑張った。
頑張りすぎでよくから回りしてたなぁ。
おびただしい数の失敗をやらかした。
今日はその中でも特大の失敗を紹介しようと思ったが、
特大級も多すぎてなかなか絞りきれない。
ただ、悔やんでも悔やみきれない、というのは、やっぱりあの事件かなぁ。

マネージャーになりたてのころ、クライアントの社長に呼ばれた。
よくやってくれているとまずはねぎらいの言葉。
しばらく雑談をして本題に。
ひとつ頼みがある、と社長は切り出した。
自分の社長としての評判を部長クラスに聞いてもらえないか、
ということだった。
個人名はいらないから、と付け加えた。

社長の部屋に呼ばれるのはパートナー
(*注:コンサルティング会社の共同経営者、取締役クラス)
の仕事と決まっている。
それがマネージャーになりたての私を呼んでくれたのだ。
社長に信頼されて個人的に頼みごとをされたことを意気に感じてしまった。
自ら改革の旗振りをしている社長の孤独さが伝わって痛ましくもあった。

あろうことか私は忠実に実行した。

聞いてみると思いのほか社長は理解されていない。
とにかく批判が多いのだ。
ご丁寧にレポートまで作って食事の席でそのまま伝えた。
社長は一読してレポートを片手で握りつぶし、
ぞんざいに放り投げた。
ひとこと「だれもわかっちゃいない」とだけ言った。
その後本件には一切触れられなかった。

なぜあのとき黙って引き受けたかなぁ……。
なぜ、シャチョーっ、回りの評判なんか気にしないで、
って元気付けてあげられなかったのだろうか。
部屋に呼ばれて胸襟をひらいてくれたそのときが、
まさにチャンスだったのに……。
若すぎて生意気言えなかったなら、
せめてウソの報告書を出すべきだったのではないだろうか。

カラオケ連れてって、
部屋に閉じ込めて「それが大事」を三回連続絶唱してあげたほうが良かったかもしれない。
大企業の社長だって家では単なる足のくさいオヤジだったりするわけで、
責任をひとりで背負い込む立場は寂しいことも多いと思う。
そういう一人の人間に、何の力にもなってあげられなかった。
猿のお使いのような目的意識のない「そのまんま作業」で、
もっと孤独にしただけだった。

コンサルタントの仕事はなかなか奥深い。
たとえば企業のトップに対するインパクトでいうと、
三つの発展段階があるように思う。

第一段階は、論理・分析攻め。
正しい(と思われる)解を自分で求めることができ、
それをファクトと分析で論理的に説得しようとする段階だ。
たとえば、他の投資を全部凍結してでもすぐ中国に進出すべきという提案に、
社長が「いやだなぁ」と言ったら、
次の日、更に150ページの分析でぐうの音も出ないほど徹底的にたたみかける。
更に難色を示されたら、更に分析をする。
論理はほぼ完璧になる。
社長のタイプにもよるが、この場合八割がた中国へは進出しない。

次の段階はやや面白い。
社長が中国進出に反対と知ると原因を探ろうとする。
単に個人的に大陸が嫌いらしい、と知ると、
単純に好きになってもらおうとする。
一緒に連れて行こうか、など、楽しいことを考え始める。
分析もレポート書きも全て放り投げて
視察旅行の最高の演出を考えたりするわけだ。
成功の確率はぐっとあがる。

最後はかなりの完成形だ。
社長に、「こいつが言うならやってみるか」
と思わせるオーラと信頼関係だと思う。
コンサルタントが人間力で仕事をする段階だ。

自分はゆっくりよちよち第二段階くらいまで登りかけた気がする。
三番目の山は高すぎた。
これ以上長居してもたぶん次に行けないな、
とわかっていたので、起
業を決意してコンサルタントを辞めるときも、
案外未練はなかった。

事業を始めてからはコンサルタントの話を聞く立場になったけど、
そこまでのコンサルタントにはなかなか出会えない。
どの仕事も極めるのは大変だ。
ヤツはやっぱカッコよかったな。

勿論、天才美容師のこと。


◆お薦めしません 激痩せラリー

深く考えたわけではない。
どうしても事業をやりたくなった。
長いあいだお世話になったコンサルティング会社を辞めて、
株式会社ディー・エヌー・エーを創った。
この会社は、「ビッターズ」というオークションサイトと、
「おいくら」というリサイクルサイトの運営と、
それからときどき社内ラリーを行う。

一年前の話。
運動不足かストレスか、
社員が太り始めた。
南場も最高記録を塗り替え、
痩せ型というアイデンティティが危うくなってきた。
やりましょう、激痩せラリー。
ルールは簡単だ。
体重減少のパーセントで競う。
期限は6週間。
計測は監査役。

15名がエントリーした。
初日の計測は重要だ。
できるだけ便秘して、重くなっておかないと後々不利だ。
測ってみてびっくり。
ホント重いわ。

1週間ごとに計測日がおとずれる。
最初から差をつけなくちゃ、
社長のメンツってもんがあるからね。
そう考えて南場、早速絶食を始め初回から下剤活用。
スゴイ、1週間で5パーセント。ダントツ1位。

とりあえず百キロ級の2名をマークすることにした。
なにしろヤツらは、40パーセント痩せても生きていけるわけだ。
有利だよなぁ。

高貴なお方O女史は、
「私は健康に痩せたいのです」と水泳を始めた。
「ご一緒しますか?」と微笑みかける。
しかもなかなかしたたかで、
最初は0.1パーセントといった悠長な数字で相手を油断させる。
ところが3週間目から上位グループに入ってきた。

そうか水泳が効くのか。
南場はO女史についてプールに行くことに。
何しろもと水泳部。
元気に泳ぎ始めたはよいが、百メートルで息つきた。
O女史もくもくとマイペースで泳ぎ続ける。
私も続かなきゃ。
「今日は時間が足りなくて1キロしか泳げませんでした」。
ヘロヘロの私ににこやかに話しかけ、
お客様がいらっしゃるので走って帰りますね、
とひとりかろやかに駆けていった。

南場告白します。
そのあと会社で吐きました。

折り返し点からそれまでノーマークだった痩せ型の2人が浮上してきた。
亀井(仮名)とM安である。

M安はもともと技術系だが、
気の強さとこざかしい知恵も評価され、
経営戦略とシステムを行ったり来たりしている。
ヤツはまず、6週間を「長期戦」と定義し、
「食べない」戦法は続かないと断定した。
適度に食べてひたすら走る。
最後の1週間は食事を極度に絞り、
ラスト3日目から固形物を摂らずに水分のみで胃を満たす、
そして1日前に水の摂取を止める。
「結局、インプットとアウトプットですからね」。
あくまで生意気である。
さらに続ける。
「南場さん、折り返し点から水泳始めるって、
気でもふれましたか?筋肉って重いんですよ。
Oさんが成功しているのは、
最初に筋肉作って消費カロリーを増やしているんですよ」
「ライバルに手のうち見せていいわけ?」
と威嚇すると「余裕で勝ちますから」。
うざ。

亀井(仮名)は技術がデキるマーケターだ。
誰もが驚くようなキラリと輝く案を、
ときどきこっそり出すのだが、
それ以上に大量のボツ企画を精算している。
その亀井(仮名)に戦略を聞く。
「食べないだけです」と心細そうだ。
どんどん痩せこけて悲愴感がただよう。
彼は途中で脱落すると誰もが予想した。


しかし途中脱落は百キロの2人。
1人は堂々増量というありさまだった。
O女史はマイペースで安定上位だが、
トップ争いには絡まなかった。
最後2週間でM安、亀井(仮名)、南場の3人に絞られた。
南場はほぼ絶食体制に突入。
しかしあたしにゃ会食ってものがある。
実に不利。
終盤は会食でも殆ど箸をつけずに残した。
辛かった。
聘珍樓の中華料理、好物のエビチリもパス、ビーフもパス、
チキンのから揚げもパス。
そしてちょっとだけ口に入れたチャーハン、
お米を何回も何回もかんだ。

私のアシスタントはもう止めてと悲痛の叫びを上げた。
いいこと考えた。
「そんなに私のことが心配だったら、
あの2人を合コンに誘って飲み食いさせてくり」
と彼女にもちかけた。
亀井(仮名)とM安の共通の弱みは合コンだ。
合コンとなると全てをかなぐり捨てて出かけて行く。
これだ。
2人とも見事に引っかかった。
しかし、である、先方の都合で日程調整が難航し、
合コン決行は最終計測日の後になってしまったではないか。

最終日1日前、
M安に小知恵をつけられた私は、
完全に水を断った。
目が乾いてまぶたがはりついた。
ライバル偵察。
亀井(仮名)は悲惨な状況だ。
足も舌ももつれている。
同じ部門の女子社員は「亀井(仮名)ちゃんに勝たせてあげて」と涙目だ。
そんなわけにはいきません。
意志力勝負で負けるなんて、ありえない、許されない、
とにかく絶対負けられない。

なんと計測12時間前に亀井(仮名)がペットボトルを持っているのを見かけた。このタイミングで水を摂るとは、とM安と私はほくそえんだ。
M安は断水の上、サウナに行った。
しかも計測の朝、浣腸をした。

ところが、である。あろうことか亀井(仮名)は2人をぶっちぎった。
17パーセント近い減量達成。
M安、南場は16パーセント台前半。
予想に反して亀井(仮名)は大勝した。
M安と私が眠っている間ヤツは
なんと徹夜でジョギング(目撃情報では放浪)したらしい。
なんてこった。
悔しい。
情けない。
頭脳や体力でかなわなくても、
意志力で負けるってこたぁないだろう。

それから1年。
ネットオークション業界1位のヤフーが値上げを発表し、
2位の私達ビッダーズにユーザーの期待が寄せられた。
カスタマーサポートに直接送られてくる
「ビッダーズよ、立ち上がれ!」
という声に背中を押され、私達は勝負に出た。
手数料の大幅値下げだ。
こんなに多くのユーザーの要望が一斉に聞こえたことはなかった。
サービス事業者として素直に嬉しかった。

ユーザーの要望を聞いて機能を追加した
りサイトデザインを修正する責任者として、
迷わず亀井(仮名)を指名した。
自宅の電球を付け替える時間がないほど多忙になり、
現在テレビの明るさで暮らしている。
瞬時にボツになる企画を連発しすでにぼろぼろだ。
けれどもヤツはきっとやる。
O女史もM安も私も、そして百キロの2人も他の皆も今度は全員同じチームだ。


◆「私、アホです」

口座がからっぽになった。
勿論会社の口座ではない。
南場個人の口座がすっからかんになった。
起業した翌年の話。

コンサルタント時代の給料はもらい過ぎだったと思う。
しかし起業して、何もここまで下がらなくても、
というくらい急勾配で年収が下がった。
他人様ではなく、自分が決めたことだから仕方ない。
問題は、転職を想定せずにいろいろやっていたことだ。
典型が、実家への送金だ。
十数年前に母が倒れてから、東京で好きなことをさせてもらっている分、
毎月の治療費くらいはという思いで送らせてもらっていた。
両親の近くに住んであれこれ気を配ってくれている姉に対する気持ちでもある。しかし起業の翌年、とうとう口座がからっぽになり送金が止まった。
父は電話で、お金のことでだらしないのはけしからんと説教をしてきた。

年収以外にも様々な変化があった。
この際ちょっぴり公開しましょう。
コンサルタントからベンチャー社長になって生活がどう変わったか。

まず、いつなんどき、どんな場面で遭遇する人も、
すべて「人材」に見えるようになった。
例えば羽田空港でやたら気が利いて
感じのよい美人グランドスタッフを見た時は、極度に興奮した。
この人いいじゃない。
すかさず「今幸せですか?仕事、満足していますか?」と聞いて、
答えも確認せずに名刺をおいた。
「関心あったら電話して!」
なぜだろう、電話はかかってこなかった。
男も、男性である前に「人材」になってしまった。
フェロモンは減った気がする。

自転車を乗り回すようにもなった。
子供のころあまり乗らなかったせいか、よく転ぶ。
思わぬアクシデントも多い。
下り坂でワンピースの裾が後輪にからまり、
首が激しく絞まって危うく死にそうになった。
長い服を着ているときはマジに気をつけたほうがよい。
自宅近所のT字路でクルマにぶつかりそうになって
ミニスカートで派手に転んだときは、
運転していた人から
「このあいだは講演ありがとう!」と言われてもっと驚いた。

黒子に徹するコンサルタントとは違って、
新しいサービスを立ち上げた私は、
ビッダーズブランドを少しでも多くの人に知ってもらうために、
取材や講演依頼を出来るだけ受けるようになった。
そんなわけで、自転車事件だけでなく、
思わぬところで「南場さんですね」って言われることがある。

美容院の予約表にはいつも「難波」と書かれていたのに、
あるとき「南場」に変わっていた。
いやな予感……案の定「見ましたよ〜雑誌に出ていましたね」。
さらに、ご近所。
急に来客を迎えることになり、
たったひとつ覚えた手料理をふるまおうと、
ユニクロパジャマのままあわてて近所の商店街に出た。
やさしそうな若夫婦をみつけて
「この辺で、豚肉と白菜売ってるところ教えてください!」と尋ねると、
「ビッターズの南場さんですね」。
ああ、せめてビーフとトリュフとか聞いときゃよかった。
しかもスーパー目の前。頭わるそ。

少々真面目な話をすると、
他の会社の良いところが見えるようになった。
コンサルタント時代の私は、
「会社の強み・弱みの分析」とかなんとか言いながらも、
欠点や出来ていないことがすぐ目につく方だった。
会社を創ってから、
とにかく普通にことが運ぶという状態を作ることの大変さが分かった。
一定のサービスや商品を市場に提供しつづけている会社、
オペレーションや組織がキチンと回っている会社、
そういう普通の会社が、
実はいかに普通じゃない努力をしているかが分かるようになり
敬意を払えるようになった。
小さな工夫にも敏感になった。

更に大きな変化は「私、アホです」ってカミングアウトしたことかな。
コンサルタントは阿呆じゃいけない。
まあ、概ねの話。
一方事業は「こいつ助けてやろう」と思われるくらいじゃないと
切り抜けられないことがあまりに多い。
今の私は、無知をさらけ出してでもとにかく前に進んで、
事業を成功させなければならない。
ひとりで出来ることは殆どないのだ。

貧乏になったり恥ずかしい思いが増えたりしたが、
やっぱりやってみないと見えないことは多い。
つきなみな言い方だが世界が広がったと思う。
冒頭の実家送金停止事件も思わぬ展開を見せる。
説教されてふてくされていた私に父から封筒が届いた。
なんと中には結構な額の小切手があった。
七十歳から始めたワープロで打った手紙も入っていた。

「陣中見舞いとして贈呈
私生活の貧乏は貴重な体験としてプラス思考で真摯に処されたし。
間違ってもお金のことで公私混同しない事。
生き甲斐は処した困難の大きさに比例する。
父より」

この小切手のおかげで、
たったひとつ続けてきたささやかな親孝行が続けられることになった。

先日新潟で講演させていただいた際、
なんで頑張れるのか、
どこからそのエネルギーが出ているのかとやや答えにくい質問を受けた。
そんなに頑張って見えるかな。
カッコわる。
小声で「事業をはじめちゃったんで…『やっちまった』って感じです」、
とわりと正直に答えた。
答えながらも二つのものが頭に浮かんでいた。
ひとつは父の顔でもうひとつは母の顔だ。
これだけはどこで何をしていても変わらないお守りだ。

(2002年日経WOMAN 6月号〜8月号「妹たちへ」掲載)

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