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武尊祭コミュのベネチアでのお話

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SPACE SAFARIに出演する「AlayaVijana」というBANDでホーミー&イギルを担当する山川冬樹さんが今、ベネチアでLIVEしてるのですが、その時の興味深いエピソードです
 7月1日に凄いものが見れるでしょう
以下がエピソードです↓


一昨日の晩、「D.D.D.」ベネチア公演二日目を終えることができたのですが、読んで字のごとく、もう少しで「ベニスに死す」ところでした。

最初に説明しておくと「D.D.D.」とはダムタイプの川口隆夫さんとコラボレートした作品で、「わたしの心臓はあと何回鼓動して止まるのか」をテーマに、川口さんは外側から、僕は内側から身体と格闘するという、7ラウンド形式の「フィジカル・パフォーマンスアート・ショー」です。もともとは2004年に六本木のスーパーデラックスで初演されたものなのですが、それが今回ベネチアビエンナーレに招聘されたという訳です。

公演2日目の上演前、僕は自らを敢えて緊張状態に追い込んでいました。作品としてカチっと出来上がっている舞台作品の場合、公演2日目というのは、よくたるみがちになるものです。特に1日目の公演が中々の出来だったので、それに安心してしまおうとする自分にいつもより厳しく鞭を打っていたのです。

そのせいか、開場してざわめく客席を前にスタンバイしている際、漠然とした恐怖感が僕をおそいました。演奏前に時々多少緊張することはあるものの、恐いと感じることはごくまれなことです。しかし今思うと、その後起ころうとしていることをその時既に予感していたのだと思います。

舞台は僕のエレキギターの轟音ノイズを合図に客電状態から突如暗転し、火ぶたが切って落とされます。ギターで悲鳴を上げながら僕はシンバルを蹴りまくり、その中を川口さんが雄叫びを上げながら乱入して来て、そのまま最初の「ROUND1」に突入します。「ROUND1」は薄暗い光の中、川口さんの自らが自らの身体に絡み付くような知恵の輪的な振りが特徴で、僕の呼吸音と心臓の鼓動がさらにそれに絡み付くような形で進行します。心音を変化させ演奏するという僕の得意技の一番の見せ場でもあります。

事が起こったのは、この「ROUND1」の最後でした。川口さんが振りの中で自らの首を絞めてブリッジの体勢で息を殺し、僕は直立して呼吸と心臓の鼓動を殺し、両者の「絞め技の一騎打ち」によって会場そのもの空気を「殺す」というのが、この「ROUND1」のピリオドなのですが、その日お互いかなりの気合いが入っていたせいか、いつもより呼吸を殺す時間が長く、「一騎打ち」が終わって息を吐いたその瞬間、僕は完全に意識を失いました。

心臓の鼓動を変化させるパフォーマンスではいつも呼吸を酷使するので、気を失いかけたことはありますが、ここまで深く意識を失ったのははじめてです。後で聞くところによると、まっすぐな姿勢を保ったままバタン!と床に倒れ、激しくけいれんを起こしていたとのことで、少し危ない状態だったようです。幸い、奇跡的にも頭は強打せずにすみました。

意識を失っていた間のことは、ほとんど覚えていないのですが、どこかとても懐かしい場所にいたということだけは覚えています。倒れている自分を見るという経験まではしませんでしたが、何故かずっとその場所にいたいという気持ちにかられました。一切の重力から解き放たれ、それは光の中を舞うような完全な自由でした。この間、時間の感覚は全くありません。

もっと先に行こうとしたその時、誰かに呼ばれました。僕の身体を叩き、揺り動かし、またあっち側へ引き戻そうとしている人がいる。「やだ、もどりたくない」と思ったのもつかの間、すーっと目の前に粗いビデオのような暗闇の映像が見えて来て、それがぐらぐら揺れている。どうやら誰かが僕の頭を揺り動かしているようです。僕は急に光から闇の世界に引き戻されました。

するとだんだん腰と背中に強い痛みを感じはじめました。倒れた際に強く打ったようです。その痛みから、自分がしばらく意識を失っていたらしいことは理解できました。しかし自分が何処にいるのか全く解らない。どのくらい意識を失っていたのかも解らない。これはもの凄く奇妙な感覚です。誰かに水を飲まされ、起こされ、だんだん頭が明晰さを取り戻すにつれて、何百という目がこちらをじーっと見ていることに気づきました。しかし何故かみんな外国人です。ますます訳が解らない。ふと周りを見てみるとマイク、楽器、アンプなどの機材が自分をとり囲いている。そうか、僕はパフォーマンスをしていたいんだ。一生懸命自分の記憶を辿ってみて、自分がベネチアにいること、ビエンナーレに参加していること、「D.D.D.」の本番中であること、「ROUND1」の最後で意識を失ったことを認識することができました。

ふと見ると目の前に天井からつり下げられた電球が粉々に割れている。電球は僕の身体から少し距離があるので、倒れたとしてもそれにはぶつからないはずなんですが、何故か割れている。後で聞くところによると、僕が気を失ったと同時に、川口さんも電球に衝突し、割ってしまったとのことでした。僕が気絶することと、川口さんが電球を割ってしまうことの両方が同時に起こるというのも奇妙な話です。

電球は全部で16個あります。いくつか割れても、残りの電球で続行可能です。しかし、まだROUND1です。作品は残りまだあと6ラウンドもある。こうなったら根性勝負です。意識を取り戻したばかりで、自分が最後まで持ちこたえられるか少し不安でしたが、ほとんど本能的にパフォーマンスを続けようとする自分に奮いたたされ、立ち上がりました。あまりの事態に騒然とする観客やスタッフを安心させるように、僕はいつもより胸をはってみせ、努めてシャキシャキと2ラウンド目の準備をしてみせました。

「ROUND2」は僕の骨伝導マイクによる声と、心臓の鼓動と電球の明滅からのカットインではじまります。今にもへたりそうになる身体に喝を入れてスタート。極限状態にあったせいか、かなり勢い良く心臓が鼓動しはじめ、それに同期して電球がまぶしく明滅しはじめました。するとなんと電球からモクモクと煙が・・・。破損した電球がショートしはじめたのです。しかし、もう何も怖いものはありません。僕たちは既にそうしたアクシデントですら作品の一部として呼び込むことができる次元にありました。よく「本番には魔物が棲む」といいますが、もはやその「魔物」ですら僕らの仲間として作品に参加しているのだと確信した瞬間でした。煙を上げながらもまぶしく明滅する電球はまさに、その時の僕たちの状態を象徴したものに他ならなかったのです。

そして魔物と共に、そのままのテンションで最終ラウンドまでつっぱしり終演。僕らのあまりのテンションからか、この日の観客の反応は熱狂的なものでした。スタンディングオベーションの中、いつまでも鳴り止まぬ拍手に何度もカテンコールに出て行き、頭を下げている自分・・・そのことに気づいたとき、まだ自分の心臓が動いていて、改めてまだ「こちら側で生きている」のだということを改めて実感しました。”アート”という、もしかしたら全く無意味なものに、人間が文字通り「命がけ」で向き合うことで、そこに何かしらの意味が生まれ、それを共有することができる。そんなことを確信した瞬間でした。

ビエンナーレの会場となったアルセナーレはもともと13世紀に建てられた造船所で、その広大な土地にいくつもの劇場を抱えています。フェスティバルのアートディレクター、イスマエル・イヴォさん曰く、僕らがパフォーマンスした劇場”TESE DELLE VERGINI”はその中でも曰く付きの歴史を持った劇場で、造船が行われなくなった後、一時修道院として使われ、修道女たちがそこを去った後に誰かが勝手に住み着き、何とずっと売春宿として機能していたそうです。劇場の名前”TESE DELLE VERGINI”の"VERGINI"とは英語で言うところの"Virigin"つまり「処女」を意味します。その名前の由来には、修道女と売春婦という二つの”Virgin”の意味が込められているという訳です。聖と性、悲劇と喜劇、そんな相反する念のこもった特異な空間・・・全てを終えた今、魔物の正体とは彼女たちだったような気がしてなりません。

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