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戦国時代ゆかりのお城や古戦場コミュの武田勝頼の最期

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武田勝頼の最期(その1)

武田勝頼の最期は逃避行の末、山中で自害するという悲惨な最期でした。
運命の天正10年は木曽義昌、穴山信君の離反に始まります。
武田勝頼は高遠城に仁科盛信を配し抵抗を試みますが1日で落城し織田軍は新府城に迫ります。
未完成の新府城では織田軍を防ぎきれないと悟った武田勝頼は新府城を捨て小山田信茂の岩殿城に後退することにします。
岩殿城に向う途中、小山田信茂に裏切られ織田軍と小山田軍の挟み撃ちにあい、甲州街道から山道に逃げ真田昌幸のいる岩櫃城に向い、その際、追ってくる織田軍を食い止めるため土屋昌恒の片手千人切りがあったと思っていましたが違いました。
新府城からの武田勝頼を追ってみたいと思います。
いろいろと説があり、私が採用した勝頼逃避行ルートになります。
新府城を離れ躑躅ヶ崎館を素通りし、甲府盆地を抜け、山間部の甲州街道の入口にある大善寺に逃げ込みます。
この寺は武田信玄の従妹である理慶尼がおり勝頼の乳母であったようです。
勝頼一行は大善寺近く柏尾で滞在します。
勝頼、勝頼夫人、信勝と理慶尼は大善寺で一晩過ごしたようです。
勝頼最後のほっとできる時間だったのではないでしょうか。
柏尾又はその先の駒飼宿で小山田からの連絡を待ちつづけますが連絡はなく小山田信茂の人質の逃亡または小山田軍による笹子峠の封鎖のいずれかにより小山田の裏切りを知ります。
笹子峠を越えることはできませんし、甲府盆地に戻るにも織田軍がいます。
そこで勝頼が選択したのは武田家ゆかりのお寺である天目山「栖雲寺(せいうんじ)」へ行くことです。
〇なぜ岩殿城を選んだか。
新府城で真田昌幸の岩櫃城に行くか、小山田信茂の岩殿城へ行くか勝頼は迷ったようです。
勝頼は岩殿城を選択しました。それは、甲斐国主が国を捨て岩櫃に逃げることができなかったのではないでしょうか。
〇小山田信茂はなぜ裏切ったのか。
小山田信茂は生き延びるために主君を裏切ったイメージが強いですが、近年の研究では、小山田は城に戻るまでは裏切るつもりはなかったが、家臣などが勝頼を受け入れることに反対し押し切られたかたちで裏切ったとの説が有力になりつつあるようです。
確かに勝頼一行の中に小山田信茂の人質がおり、裏切りを決断してから人質を奪還しています。
そして、武田勝頼の失敗の一つに上杉との同盟があります。この頃の上杉に武田を助ける兵力はありません。
北条との同盟を続けていれば小山田の家臣は勝頼を受け入れたかもしれません。

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