ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ペテルソン世代のF1を語るコミュのJames Hunt

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
マイナーフォーミュラ時代は荒いドライビングが有名で、ハントの韻を踏んだハント・ザ・シャント(Shunt、壊し屋の意)という仇名を拝命するほどのドライバーだったが、友人関係にあったレース好きの貴族アレクサンダー・フェルマー・ヘスケス卿が新興チームを立ち上げ、交友関係からハントがドライバーとして起用され、大舞台へのチャンスを掴むことになり1973年にプライベートのマーチを駆りブレイク。
1975年に初優勝(ヘスケスチーム唯一の勝利)し、翌年はマクラーレンから出走し、見事にワールドチャンピオンとなる。そのチャンピオンを決めたレースが富士で開催された日本GP。大雨の中、ライバルのLaudaは自らリタイアを選び(このリタイアが原因でFerraiを離脱したというのが定説)、3位入賞がチャンピオンの条件となった。終盤まで表彰台を確保する順位で走行していたが、レインタイアが磨耗し緊急のピットイン、チャンピオンはLaudaかと思われたが、他上位陣もピットインしたいたので終わってみれば見事に3位入賞し、晴れてチャンピオンとなった。翌年の日本GPも優勝しており、日本との相性は抜群であった。1978年以降はマシンに恵まれずにあっさり引退してしまったことでも有名。
1993年、ウィンブルドンの自室で心臓発作が原因で死去。45歳没 。

コメント(3)

1976年、中学生のひまひまは雨のFISCOに居ました。
そして、J.HUNTとR.PETERSONを応援していました。
スタンドからPITを歩くHUNTに大声で名前を叫んだ時、こっちを向いて手をふってくれました。
この間、写真のM23、ゼッケン11のミニチャンプス 1/43をやっと手に入れました。
結構、今の宝物です。
壊し屋ハントから一転してF1では完成されたドライビングを見せたハントですが、その奇人・変人ぶりは有名でした。

1977年の日本GPでは優勝したのに表彰式をスッポカして逃走、FIAの世界チャンピオン表彰式では出席者全員が正装の中ハントはジーンズにサンダル履きで登場。

引退後メディアの解説者となってからは、そのズケズケ発言がファンからは好評でした。

私生活でのプレイボーイぶりも有名で、また若くして亡くなる直前まで友人とジョークを飛ばし合っていたそうです。
ちょうどF1を専門誌で追いかけはじめたころだったので、
ヘスケス時代のハントが特に印象に残っています。

市販シャシーのマーチ731なのに、ワークスマーチより速い。
オリジナルマシンを作れば、これまた優勝を争うほど速い。
ポスルズウェイトという優秀なエンジニアとハント、
そしてヘスケス卿のコンビネーションが生み出した奇跡だと思います。
あのままノビノビとヘスケスで走り続けることができれば、
もっとドライバー人生は長かったかもしれませんね。

後にウルフでハーヴェイとのコンビが復活した時は、ちょっと期待したんですが…。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ペテルソン世代のF1を語る 更新情報

ペテルソン世代のF1を語るのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング