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ペテルソン世代のF1を語るコミュのClay Regazzoni

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クレイ・レガッツォーニ。
1939年生まれのスイス人ドライバー。
60年代はフェラーリのF2ドライバーとして活躍し、1970年のF2チャンピオン。
同年F1のフェラーリもドライブして優勝も飾り、ランキング3位を獲得する。

1973年のみBRMをドライブしたが、76年までフェラーリに在籍。
74年にはフィっツパルディとチャンピオン争いを演じたが、惜しくも2位に。
その後エンサイン、シャドウ、ウイリアムスといったチームに在籍し、79年にはウイリアムスチームに初優勝をもたらす。

80年ロングビーチのUSGPでのクラッシュ事故で下半身不随となりF1からの引退を余儀なくされる。

その後車椅子の生活を続けながらパリ・ダカールラリーに挑戦するなど、前向きな生き様は変らない。

70年のF2レースで日本の海外ドライバーの草分け生沢徹が唯一の勝利を上げそうになったレースで、最終コーナーのインを取った生沢を外から抜き去り優勝を奪い取ったニュースの記憶は鮮明です。

コメント(4)

そうですね。Clayの名前を知ったのはホッケンハイムのF2レースでもう少しでF2初優勝だった生沢徹から勝利をもぎったということでした。
Niki LaudaをFerrariに呼んだのはClayだということもなにかで読みました。
明るい性格でイタリア系のスイス人のように思うのですが本当はどうかは知りません。
本名Gianclaudio Giuseppe Regazzoni、イタリア系以外にありえませんね。言葉も当然イタリア語でしょう。
というより、どうしてもイタリア人ドライバーのようについ思ってしまって、
「え?イタリア人じゃない?? そうか、スイス人だっけ」
と考え直すのが日常化しています。
1970年のF1デビューですが、この年は才能あるドライバーが多数F1デビューしていますね。
その中では33歳(?)でデビューしたRegazzoniは他のドライバーとはちょっと違った印象を持っています。
1974,75年にフェラーリに乗り、ラウダの後見役のようにサポートしていた走りが忘れられません。
うちの元役員のやつがクレイの担当メカをしていました。
最初はエンサイン。
次の年はウイリアムズが2カーになると言う事で同時に移籍したとの事。

エンサイン時代はノーギャラで走っていたそうですが、クレイのレーシングスーツケースにベタベタと貼られているステッカーは全てパーソナルスポンサーで、クレイの生活を支えていたらしいです。
メカニックを大事にする本当にナイスガイだと言ってました。
良い人ほど不運につきまとわれるのが、この業界の常なんでしょうかね?

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