ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ペテルソン世代のF1を語るコミュのPiers Courage

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1967年にレッグパーネルチームからF1デビュー。1969年にはブラバムのシャシーを使用するフランク・ウイリアムズのチームに移籍、2度の2位表彰台を獲得する活躍を見せる。この活躍は、フェラーリも誘いをかけるほどであったらしいが、残留している。1970年にチームは、デ・トマソのシャシーを使用していたが前年に比べ、予選順位も奮わず、決勝レースでも完走を果たせずにいた。こうして迎えたザンドフールト・サーキットでのオランダGPにおいて、彼の乗った車はアクシデントにより炎上、運営側の不手際もありそのまま焼死してしまった。フランク・ウイリアムズや特に親しかったヨッヘン・リントは彼の死により大きなショックを受けることとなり、リントもこの年限りでの引退を決めていたと言うが、ご存知のようにイタリアGPで不帰の人となってしまう。

コメント(4)

イギリスのカレッジ・ビール社の跡取り息子(長男)だったのですよね。イギリスに多かったジェントルメン・ドライバーの一人でした。
フランク・ウィリアムズとは、チーム・オーナーと運転手ではなく、盟友とでも呼べる関係だったようです。実は二人は同じ年の生まれ。
いまのサー・フランクからは想像も出来ませんが、
ウィリアムズも当時はまだ二十代の少壮チーム監督でした。
F3を走ってみたが自分の才能に見切りをつけ、
同じくF3に乗っていた(アパートの同じ部屋を分け合っていた)カレッジの才能に賭けて、F1に乗り出したのです。
イギリスの、カレッジビールの御曹司。

ビール作りより、レースの道を選んだのでしょうか?

ともかく才能の有るドライバーで、その可能性については多くの人が認めていたのに比較的マシン(チーム?)に恵まれなかった人ですね。
もう一昔前の時代ならカレッジビールの財力でマシンを購入し、プライベーターとして参戦も可能だったのかも。
そんな過渡期を駆け抜けた、グレーテッドドライバーの1人。
親の跡を継いだり、親の資金援助には甘んじたくなかったんでしょうね。
貧乏なフランク・ウィリアムズと部屋をシェアしてるくらいだから、親の金を当てにしてレースするのは嫌だったんでしょう。
御曹司といえば、カレッジと軌跡は直接に交わっていませんが、同じ時代にプライヴァティアのF1エントラントとして活動していたロブ・ウォーカーも、ウィスキーのジョニー・ウォーカーの家の出身だったとか。
酒屋さんとレースって縁が深いのでしょうか?
(でも商売物に手を出しながら走っちゃ駄目だよ)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ペテルソン世代のF1を語る 更新情報

ペテルソン世代のF1を語るのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング