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ペテルソン世代のF1を語るコミュのNiki Lauda

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1970年代を代表するF1ドライバーですね。MarchというチームからF1デビューして、Ferrariに移籍して才能が開花しました。1975〜77年のFerrari時代は強くて速かったですね。
また1976年ドイツGPでの事故から不死鳥のように復活した精神力には感銘しました。そしてその年の日本GPでは、ワールドチャンピオンになるチャンスがあったにも関わらず、土砂降りの雨の中でのレースに赤旗がでないこと、危険であることを理由に自らリタイアの道を選び、E.Ferrariの逆鱗にふれてしまった逸話は有名です。
一度引退した後、McLarenでF1復帰して3度目のワールドチャンピオンになるなど、いろいろ話題を提供してくれました。
http://www.ddavid.com/formula1/lauda_bio.htm
写真集(写真も下記から)
http://www.ddavid.com/formula1/lauda.htm

コメント(7)

おお、ラウダ師匠ですか。
実は新婚旅行で、清水の舞台から飛び降りるつもりでモナコGPに行ったのですが、師匠とお会いすることができました (^_^;。ちょうどパンフに'76年のモナコで優勝した写真があったので、そこにサインしていただきました。

'76年の事故では臨終の儀式まで行われたことは有名ですね。そこから2ヶ月で復帰。ただただ、すごい。
ちなみにその年に私は生まれました (^_^;。

残念ながら近代F1の経営を行う才覚には恵まれてなかったようですね。ラウダ航空も既に手を離れたんですよね。
F1の安全改革にも尽力し,最近ではスクデリア・フェラーリの顧問としてジャン・トッドを支えていたことも忘れてはなりません。

アメリカのRoad & Track誌だかに書いていたフェラーリとの和解の話が観劇的です。

「(レーシングサーキットでジャーナリストとして居た)私(ラウダ本人)はエンツォの姿を目撃し少なからず狼狽した。私がフェラーリと衝突したときのわだかまりを思い出し,見て見ぬふりを通り過ぎようとした。ところが,時既に遅く,エンツォも私に気がついてしまった。
『ニキ!』
彼は大声で呼びかけると私の所に近寄ってきた。戸惑っている私を抱擁すると,まるで全ての事件が存在しなかったのように言った。
『私の最愛の息子よ,どうしていた? 元気だったかい? さあ,この再会を祝おうじゃないか!』
その瞬間,私の胸の内から全てのわだかまりは煙のように消え去った」

朧げな記憶に依る自由訳ですが,内容はそんなものだったと記憶しています。
才能あふれるチャンピオンですが、出生や経歴、様々な言動
なども含めて、かなり異色のドライバーでしょうね。自分
はヒールだと言っていたようだし。
確かにラウダ航空は1991年の墜落事故もあって経営難に陥り売却してしまいましたが、現在はファーストネームを取ってニキ航空を設立。
5機の旅客機を保有して格安料金で全ヨーロッパをカバーして、がんばっているみたいです。

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