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廃村コミュの長野県の廃村

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●私が確認した長野県の「学校跡を有する廃村」(学校の所在は昭和34年,高度過疎集落を含む)は17ヶ所です。
 ※ '05年5月19日初版作成,8月15日更新
 ※ へき地校の数 =168校

・長野県の廃村としては,飯田市大平(大平宿)が有名です。数でいうと県北の飯山市の4集落(堂平・沓津・堀越・北峠)が目立っています。
・長野県内には秋山郷(栄村)に5つのへき地5級校がありましたが,秋山郷には廃村は見当たりませんでした。私見ですが,長野県のへき地等級は,他県に比べ度が低い感じがします(へき地5級校=5つ,へき地4級校=2つ,へき地3級校=8つ)。
・最大規模は高遠町芝平です(児童数85名)。芝平の住民の多くは,高遠町内に集団移住しました。次の規模の中川村四徳(児童数71名)と,大鹿村北川は,昭和36年6月の土砂災害(伊那谷三六災害)をきっかけにして廃村となりました。
・開拓集落の廃村,鉱山関係の廃村は見当たりません。
・長野県には,奈川渡ダム,牧尾ダムなど大きなダムがありますが,ダム関係の廃村はありません。

コメント(105)

堀越へは7月31日(予定)まで斑尾側からは道路工事中で通行出来ない事もあります。

電力会社が送電線の建設の為にヘリポートを堀越集落から東側に建設予定で資材運搬用に道路の拡幅と補強を行っています。


本日、月例(8月1日)の更新で
HEYANEKO's Web「学校跡を有する廃村」の
No.18「南信編」をアップしました。
 http://www.din.or.jp/~heyaneko/

取り上げた廃村は、豊丘村野田平,中川村四徳,伊那市(旧高遠町)芝平です。
泊まった学校跡は,野田平キャンプ場と旧高遠町荊口(ばらぐち)の「御宿分校館」です。

画像は野田平,四徳,芝平の学校跡です。
うち,四徳は建物は残っていませんが,強烈なインパクトがありました。
興味を持たれた方は,是非現地に出向いてみてください。
四徳温泉という宿泊施設もあります。
本日、東信の廃村(高度過疎集落)、佐久市(旧臼田町)広川原に行ってきました。
いや〜、東信とはいえど、埼玉(浦和)から日帰りはキツいです(^^.)

画像は、臼田町田口小学校狭岩分校跡(校区は広川原と馬取)です。
先月25日(日)、信州小谷村の廃村 真木に日帰りで行ってきました(^_^;)
クルマで行くことができない大きな萱葺き屋根の家屋が残る廃村で、
映画「楢山節考」(1983年)のロケ地としても知られています。
「小谷村誌」によると、昭和51年の真木の戸数はゼロなのですが、
その後、協働学舎という団体が自給自足の生活を目指して入植しているので、
リストでは高度過疎集落としています。

当日は快晴にして温暖、11月には珍しいという雪景色、茅葺き屋根の家屋と、出来すぎの内容でした(^_^;)
南小谷駅から真木まで歩いて1時間30分、クルマが入れないのは長い上り坂の峠の先、40分ぐらいでした。
家屋は大きな茅葺きを含めて6戸、分校跡には標柱と土台がありました。
6人の村人(共働学舎の方)に会いました。雪深い時期も真木で暮らされるそうです。

●真木(Maki) 長野県北安曇郡小谷村
    南小谷小学校真木分校は、へき地等級2級、児童数6名(S.34)、
     昭和43年閉校

写真1:真木に残る大きな萱葺き屋根の家屋
 どの家も共働学舎の方が手入れしているので、綺麗です。
 雪の深さは10〜20cmほどでしたが、「11月に雪が積もるのは珍しい」そうです。

写真2:真木分校跡の標柱
 標柱の後には、建物の土台がありました。
 二階建ての校舎があったそうですが、「楢山節考」のロケの頃(1983年頃)に
 取り壊されたそうです。

写真3:道中、沢を渡る箇所
 谷間は日差しが当たらないので、寒そうです。
 集落は丘の上にできてしかりです。

地蔵平で紅葉狩りをしてから、2日後に新雪の中の山歩きとなりました(^_^)
日帰りの旅も、またよいものです(^_^;)
あけましておめでとうございます。

本日、月例(1月1日)の更新で
HEYANEKO's Web「学校跡を有する廃村」の
No.21「東信編」をアップしました。
 http://www.din.or.jp/~heyaneko/

取り上げた廃村(高度過疎集落)は、佐久市(旧臼田町)広川原です。
#広川原の戸数は4戸もしくは3戸。
その道では、狭岩分校の所在地といったほうが通りがよいかもしれません(^_^;)
田口峠はこれまで二度通ったことがあり(バイクとクルマ)、
クルマで通ったときは、「狭い道だなあ…」と嫌な感じがした記憶があります。

「信州唯一の利根川水系」とか、「廃村(高度過疎集落)・廃校」とか、
今年まで、気にしないでいました。
一昨年の調査では、広川原は戸数6戸と解釈し、
リストに入れなかったんです。
続いて回った佐久町中尾、小海町新開・五箇が、よい雰囲気を醸しながらも
「高度過疎集落」や「冬季無人集落」に当てはまらなかったということで、
リストの持つ意味を再確認したところです。
♯画像は、狭岩分校と広川原の旧養蚕農家、禅昌寺の山門です。

今年もよろしくお願いいたします。 >みなさま
昨日、今年初廃村で、信州・飯山は沓津に行ってきました。
昨年1月下旬にもカンジキを履いて行きましたが、今回のほうがだいぶ雪が深く、
深いところでは膝がすっぽり隠れるぐらいありました(^^;)
堂平出発12時半、帰着夕方5時、雪道は往復4k、沓津ではたっぷり2時間過ごすことができました(^_^.)
改めて見直すと、すごい寒そうです(^^.)

 画像1:まいどの沓津分校
     沓津はかれこれこれで8回目です。
     日帰りで行けるほどの足の便があってからこそです(^^)

 画像2:初詣の沓津神社
     拝殿の裏手に御本尊が祀られていました。
     8回目で初めて見つけました(^_^)

 画像3:沓津の離村記念碑
     「碑」の字が雪に埋もれています。
     昭和59年建立ということで、離村記念碑では草分け的存在です。 
本日、月例(4月1日)の更新で
「学校跡を有する廃村」のNo.23「小谷村編」をアップしました。
   http://www.din.or.jp/~heyaneko/

取り上げた廃村は、小谷村の真木(Maki)です。
福井県南越前町の板取(Itadori)も少しだけ入っています。
1月に行った「廃村の講義」を、何かの形で記録しておこうと考えた末、
その準備の時期、「廃村のこれからでひっかかった」という線で
まとめました。
講義では、真木は取り上げなかった(板取は取り上げた)のですが、
まあ、その辺はよしとしませう(^^)

画像は、真木に残る萱葺屋根の家屋と、真木分校跡の標柱です。
北アルプスの山々が綺麗なのが印象的でした。
先日、HEYANEKOさんと飯田市の廃村、大平と松川入を探索した帰りに、単独で塩尻市大字贄川桑崎にいってきました。
廃校と廃屋が残っておりました。
>グータラ星人さん
 先日は、どうもでした。
 松川入、大平ともに個性的な廃村で、天気がよかったこともあり
 ゆっくりしたペースで楽しむことができました(^_^)
 桑崎にも行かれたのですね。
 私も近々、出かけようと考えています。
 廃校と廃屋が残っているとのこと、こちらも楽しみです(^_^;)

 写真は、4/29(火・祝)、グータラ星人さんと訪ねた
 松川入と大平の離村記念碑です。
 松川入のほうは、右横に「この地に松川入分校あり」という分校跡の碑も
 立っています。

●松川入(Matsukawairi) 長野県飯田市
    大平小学校松川入分校、へき地等級1級、児童数31名(S.34)、
    昭和41年閉校

●大平(Oodaira) 長野県飯田市
    大平小学校、へき地等級1級、児童数36名(S.34)、
    昭和45年閉校
    ※ S.42〜45は丸山小学校大平分校
東京・埼玉地方、早くも梅雨に入ってしまいましたね・・・(-_-)
そんな中、「列島横断 廃校廃村をめぐる旅」の第二陣の旅ですが、
当初の予定(2泊3日)を一日切り上げて、昨夜浦和に帰る形で実行しました。

何とか予定通り、5つの廃校廃村をめぐることができました。
新たに回った廃村は、大鹿村桃の平、箕輪町長岡新田、塩尻市(旧楢川村)桑崎の
3ヶ所です。

廃校廃村という意味では、桑崎がハイライトです。
昭和42年閉校、小学3年までという冬季分校ですが、緑に埋もれそうになりながら
しっかりと残っていました。
昨日、月例(4月1日)の更新で 、「列島横断 廃校廃村をめぐる旅(2)」をアップしました。
   http://www.din.or.jp/~heyaneko/

訪ねた廃村は、南伊那の天龍村長島宇連と泰阜村栃城、川端です。
ハイライトは、高度過疎集落(5戸)の栃城です。
栃城分校跡の校舎は、このままずっと残ってほしいものです。
旅はあと1〜2回、レポートはまとめを含めてあと6回の予定です。
月イチの更新だと、新年(1/1)まで引っ張ることになりますが、気長に見ていただけるとありがたいです。
どうぞよろしくです。
月次の更新ということで、本日、「列島横断 廃校廃村をめぐる旅(2)」をアップしました。
   http://www.din.or.jp/~heyaneko/

取り上げた廃村は、長野県飯田市松川入と大平です。
大平(大平宿)は有名な廃村ですが、松川入は「知る人ぞ知る」という感じです。
4年前の夏に大平で泊まったときは、「松川入って、行き着くことができるんだろうか」と意識はしたのですが、
ちょっかいを出す余裕はありませんでした。
たどり着いた松川入は、景色のよいところで、意外な形で活用されていました。
大平もうまく活用されている廃村ですし、廃村の活用例をめぐるにはモデルコースといえそうです(^_^;)
「列島横断 廃校廃村をめぐる旅」の第三陣、
信州では、小谷村横川と戸土に足を運びました。

画像は、横川の集落跡の標柱、戸土の分校跡の石碑です。
戸土は長野県にありながら、新潟県糸魚川市からしか行けない廃村です。
「長野県で唯一海が見える」という風景にも、出会うことができました。
#霞んでいて、海は見えませんでしたが・・・

 ●横川(Yokokawa) 北安曇郡小谷村
   北小谷小学校横川冬季分校 へき地等級3級、児童数6名(S.34)、
   閉校年不明

 ●戸土(Todo) 北安曇郡小谷村
   北小谷小学校戸土分校 へき地等級3級、児童数31名(S.34)、
   昭和46年休校(S.49年閉校)
月次の更新ということで、本日、「列島横断 廃校廃村をめぐる旅(4)」をアップしました。
   http://www.din.or.jp/~heyaneko/

取り上げた廃村は、長野県大鹿村桃の平、北川です。
北川は、1994年夏以来、約14年ぶりの再訪です。

今回は、14年前の画像も2つアップしました。
「定点観測とは、面白いものだなー」と思うことしきりです(^_^;)

画像は、1が1994年7月のタバコ屋の廃屋。2が2008年6月の同じタバコ屋の廃屋です。
同じバイクで訪ねたことは、ちょっと自慢です(^_^)
京都精華大学での講義まであと1ヶ月、
資料をまとめて強く意識したのは、
「廃村の中心は、農山村の廃村なんだ」ということです。
全国では1000ヶ所中648ヶ所(これとは別に戦後の開拓集落が129ヶ所)、
私が全訪を達成した長野県の廃村(25ヶ所)では、
農山村22ヶ所、開拓1ヶ所、炭鉱1ヶ所、旅籠1ヶ所です。

鉱山や離島はインパクトが強いので、目が行きがちですが、
長野県25ヶ所めぐりは、とても面白かったので、
この線を突き詰めていくのもよいなと思った次第です。

今年の廃村への旅はあと1回、紅葉の頃、富山県の廃村へ
2泊3日ぐらいで行きたいものです。
富山は農山村の廃村の比率が極めて高くて、
全43ヶ所中、42ヶ所までが農山村の廃村です。
ふらりと芝平に立ち寄ってきました。

写真?

前回は下流側から荊口分校まで行ったので今回は峠から芝平へ下って行きました。
ダートは傾斜がきつい箇所は少々荒れていましたが乗用車でも問題ありません。

写真?

芝平分校では犬が駆け寄ってきて車から降りることができませんでした。
芝平の集落の最も峠側の廃屋横で赤い実とすすきを集め遊んでいました。

写真?

第十部水域案内図が機具置場の上にあり、かつての集落の様子を知ることができました。
その後赤坂の昔のバスの待合室にて休息。
ここはいつバスが来てもおかしくないような雰囲気ですね。
子供と一緒に座ってのんびりしてしまいました。

なかなか奥が深そうなのでまた近いうちに再訪したいと思います。
>きたたびさん
 お久しぶりです。お元気でしょうか。

 お子さんと芝平に行かれるとは、風流ですね(^_^;)
 芝平は人気はあるのですが、私は不思議に地域の方と出会っていません。
 人の縁とは不思議なもので・・・(^_^)

 荊口の「分校館」の居心地がよいこともあり、
 芝平は私も何かの機会に再訪しそうな廃村です。
10月になったということで、 1日に「列島横断 廃校廃村をめぐる旅(5)」 を
アップしました。
  http://www.din.or.jp/~heyaneko/

取り上げた廃村は、長野県箕輪町長岡新田、塩尻市桑崎です。
2つの廃村の距離は27kmほどですが、間に分水嶺があり、
長岡新田の川は天竜川となって太平洋に、
桑崎の川は信濃川となって日本海に注ぎます。

長岡新田の巨大庚申塔、桑崎の冬季分校跡は、とても存在感がありました。
桑崎では、地域の方とお話ができたのもよかったです(^_^)

画像1 長岡新田の巨大庚申塔
 台座を入れると、高さ3mを超す巨大なものです。
 私がこれまで見た庚申塔の中では、いちばんの大きさです。

画像2 桑崎の冬季分校跡の建物(その1)
 バイクは桑崎に入ってすぐに停めて、分校跡まで1km弱歩きました。
 進行方向、見上げる位置に、こんな感じでちらりと見えました。

画像3 桑崎の冬季分校跡の建物(その2)
 予想よりもしっかりと残っていて、満足です(^_^)
 校舎の前にはバーベキューをした跡があり、
 時折何かに使われている様子でした。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。>コミュのみなさま

さて、元旦ということで 「廃村と過疎の風景(3)」千秋楽を
本日アップしました。
  http://www.din.or.jp/~heyaneko/

取り上げた廃村は、長野県栄村(秋山郷)五宝木、
飯山市堂平、沓津です。
産業別の分類だと、堂平、沓津は農山村、
五宝木は戦後の開拓集落です。
「廃村(3)」の取組みにより、農山村が
廃村という現象の中心を占めることが実感としてわかりました。

「廃村(3)」はこれにて千秋楽です(^_^)
現在、冊子の制作の詰めの作業を行っています。
校正を進めるうちに、Webの記述もいくらか変化しました。
明日には、こちらのお知らせもできると思います(^_^;)

画像はおなじみの沓津の火の見やぐらです。
沓津には「廃村(3)」の旅で、9回も足を運びました。
>廃校の野良猫さん
 外山分校、よく見ると三階建てですね。
 木造の分校で三階建ては、とても珍しいのではないかと思います。
 #私は見たことがありません。
 芝平分校も健在のようですね。
 地域の方が手入れされている古い分校は、落ち着いてみることができるのがよいですね(^_^;)
廃校の野良猫様

外山分校の素敵な写真に触発されて訪問してきました。
集落のある場所は川は箕輪町へ流れているのに諏訪市というのが不思議ですね。
分校近くに人気がなく残念ながら地域の方のお話は伺えませんでした。
中央構造線の露頭に惹かれて大鹿村北川へ。
露頭に向かう散策路沿いにはかつての集落の雰囲気が
わずかに残りいい雰囲気でした。
>きたたびさん
 先日の名古屋オフではニアミスで残念でした。
 北川集落跡、中央構造線の露頭のすぐそばなのですが、
 私が15年前(1994年)の夏に露頭を訪ねたときは、
 「北川は廃村らしい」ということは感じることができたのですが、
 そぐそばにある集落の気配はわかりませんでした。
 その後、1年前(2008年)の梅雨入り前に訪ねたときは、
 かまどをはじめ、いろいろ遺構が見つかるものでして…
 北川は、鼻がこなれてきたことを実感できた廃村です。
11月末に大内宿へ行ってきました。
お休み処にて五平餅を食べて、学校と無人の宿の町並みを散策。
11月の大内宿周辺は山仕事の人が数人入っているのと、
時折訪れるわずかな観光客がいる位で寂しかったですが、
たくさんの家屋を覗き見しながら楽しい時間を過ごすことができました。

今度訪問する時は泊まってみたいと思います。
>きたたびさん
 大内宿は福島県(会津)ですよ〜(^^;)
 #ちょうど、10月末に大内宿の民宿に泊まりました(^_^;)

 大平宿(おおだいらじゅく)は、五平餅のお店、お土産の店がありますが、
 村に縁のある方がやっているので、観光地の匂いは薄くて、
 よい雰囲気が保たれているように感じられます。

 宿は、往時の旅籠泊はよいですが、民宿「丸三荘」もオススメです。
   http://heyaneko.web.fc2.com/dj29.html
 ご主人は愛知県の津島で建設業をされているので、日取りがうまくあわなければ
 泊まれないのですが…
 第一に、今もやっているかどうかがハテナです(^^)
 私が泊まった頃、「旅の手帖」という月刊誌(2004年9月)に
 「丸三荘」が取り上げられていたので、
 そこに記された連絡先をお知らせしておきましょう。
 # 丸三荘(丸三建設) 0567-24-1158
 # 飯田市商業観光課  0265-22-4511
HEYANEKO様

おお!大平と書いたつもりが大内にしていたとは^^;;;
丸三荘、きっちり管理されていたので、シーズンには営業していると思います。
それにしても津島とはうちの至近ですね。
 旧美麻村で廃村めぐりをしてきました。訪れた集落は竹ノ川、千見奈良尾、不須、青具奈良尾、小境、大境です。
 ぼちぼちとブログに記録を残していきたいと思っておりますので、御覧ください。

http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/2457977.html

 
 裏山の探検隊様

 竹ノ川に引き続き、奈良尾・不須のブログ記事拝見しました。
 さて不須の位置についてですが、お節介ながら国土地理院の旧版地形図(昭和20年代)を添付しておきました。参照にしていただければ幸いです。
 地名から考えると、「奈良尾」は緩やかな尾根筋、「上平」はやや高い場所にある平地、「不須」(トリカブトに由来?)は湿り気のある場所=谷筋など…と考えられるかもしれませんね。

 (影)
 影武者 様

 情報ありがとうございました。
 どうやら僕が不須と思ったのは奈良尾集落の一部だったようです。奈良尾の西の不須、上平ともに航空写真で確認できました。ブログも折を見て訂正したいと思います。

 しかし、当地の旧版地形図をお持ちとはすごいですね!!。お金がかかるので、上京した際に国会図書館か国土地理院に行こうと考えておりましたが、手間が省けました。
 本当にありがとうございました。
 筑北村(旧坂北村)荻の廃村集落に行ってきました。ブログにアップしましたので、お暇でしたら御覧ください。

http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/2537787.html
>裏山の探検隊さん
 筑北村(旧坂北村)荻のレポート、拝見しました。
 ちょうど岩殿山を挟んで、生坂村入山の反対側なんですね。
   http://heyaneko.web.fc2.com/gh07.html

 野口炭鉱というと、入山にあった炭鉱です。
 信州の廃村も、西への旅が続く今となってはなつかしいです。
 HEYANEKOさん こんばんは。

 ここは、おっしゃるとおり岩殿山をはさんで入山の反対側にあります。実は、野口炭鉱のことはHEYANEKOさんのレポートを見て初めて知ったのです。

 岩殿山の頂上稜線から入山集落や入山分校は見えませんでしたが、旧丸山集落が見えました。立派な建物が建っていましたが、地元の方のお話では牧場になっているようですね。

 今年は僕も入山分校は訪れてみたいと考えています。
 旧美麻村の真倉に行った記録をブログにアップしました。福寿草がきれいに咲いていました。また、集落に至る林道からは後立山がきれいに見えました。
 
http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/2563918.html
 生坂村の入山地区に行ってきました。

 悲しいことに入山分校は半壊していました。一応レポートを書きましたのでよろしければご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/3096487.html
>裏山の探検隊さん
 入山分校の情報、ありがとうございます。
 明治の頃から残る建物、ついに崩れ始めましたか…
 足を運んだ場所に残る建物が、取り壊されたり崩れたりすると
 寂しく感じていけません。
桑崎集落へ行ってきました。
前日の激しい雨で 道は川の様になっていましたが 何とかたどり着きました。

途中、元住民(おばあちゃんとお孫さん)の方に出合いお話を伺うことができました。
分校は、おばあちゃんが嫁いだ数年後に廃校になったそうです。
分校の奥に弟さんが住んでいたそうで 廃校後娘さんを連れて何度か里帰りしていたそうです。
現在は、弟さんも亡くなり誰もいないそうですが 山菜の時期にはお孫さんと来るそうです
大町市美麻高地の高地神社跡に行ってきました。大きな神社でした。

http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/4328348.html

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