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廃村コミュの栃木県の廃村

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●私が確認した栃木県の「学校跡を有する廃村」(学校の所在は昭和34年,高度過疎集落を含む)は,鹿沼市梶又,足尾町横根山,藤原町五十里の3ヶ所です。
 ※ '05年8月30日初版作成
 ※ へき地校の数 =38校

・鹿沼市梶又は,南摩ダム建設(平成22年完成予定)のため生じた廃村です(梶又小学校の閉校は平成16年3月,移転戸数はおよそ70戸)。
・足尾町横根山は,戦後の開拓集落の廃村です。「角川日本地名大辞典」によると,昭和23年入植,昭和48年農協解散とあります。
・藤原町五十里は,五十里ダム建設(昭和31年完成)のため,多数の住居が移転した高度過疎集落です。角川の辞典によると,昭和28年に57戸中49戸が集落外に移転したとあります(8戸はダム湖のほとりに移転)。
・もっとも高いへき地等級は4級(1校)で,塩谷町高原にありました(熊ノ木小学校高原分校)。高原は,その名の通り高原にある酪農集落で,現在10数戸の暮らしがあります。
・有名な藤岡町旧谷中村,足尾町松木,小滝は,明治時代から昭和30年までの廃村のため,リストには含まれません。

コメント(20)

1年ほど前、梶又小学校跡で出会った親子猫たちを紹介します。
写真に写っているだけで10匹もいます。(^^;
>敗猫さん
 梶又の猫は,噂になっていたので,注目していたのですが,
 学校跡では,ガラの悪そうなヤツ一匹としか遭遇しませんでした。
 やはり淘汰されてしまったのでしょうか…
 個人の家はすべて取り壊されていましたし,
 梶又は,せつない廃村でした。

えー,コチラでは話題にしていませんでしたが,
先週の火曜日(11/8),栃木県の「学校跡を有する廃村」,
梶又と横根山に行ってきました(^_^;)
そんな事情もあって,梶又小学校の「うさぎのおうち」には,ほろりとしましたね〜(:_:)
横根山の分校跡は,残念ながら見出せませんでしたが,
ササ原の中,離村の後に開発されたリゾート施設も廃墟になっていたりで,
なかなか凄まじいものがありました(^^;)
はじめまして、うにゃと申します。
もしや?と思ったので書き込みさせていただきます。

横根山の廃墟リゾート施設というと、粟野を通り足尾に抜ける道を峠で右折した
牧場へ行く道の手前辺りの小さい廃ロッジ群(らしきモノ)の事でしょうか?
もしそうだとしたら、あの辺りが廃村でまさか分校まであったとは知りませんでした。
確かにクマザサだらけで入りにくい場所ですよね。

そこからもう少し牧場寄りの場所に
一軒だけ住まいらしきものがあって驚いた記憶があるのですが、
建物はロッジよりも新しそうでしたので廃村前から住まわれていたとは思えません。
一軒だけで冬を越すにはなかなか難しい場所だと思いますし、
もしかしたらあれは幻だったのでしょうか…。

全く見当違いの事を書いていたら、ごめんなさいです。
>うにゃさん
 どうもはじめましてです(^_^;)
 横根山の廃村,ご指摘の箇所で間違いありません。
 メインの道から脇に入る道が4つあって,粕尾峠のほうから数えると,
 最初に右手に「立入禁止 ヤマハ発動機」の看板がある道,
 2つ目が左手に廃ロッジ群がある道(廃かどうか,謎ですが…(^^;)
 3つ目・4つ目はほぼ同一箇所の右手と左手で,
 右手は「関東霊園」という古めの墓地,
 左手が横根山分校の跡地で,V字に分かれた右の道を進むと
 「横根高原ロッジ」という大きめの廃墟があります。
 うにゃさんが見られたのは,おそらく2つ目の廃ロッジ群ですね(^_^;)
 分校跡は,工事の盛り土などで雰囲気が損なわれていたのが残念なところです。
 私はそれより先は行っていないのですが,あの場所で新しそうな一軒宿というと,
 別荘かロッジの類ではないかと思われます。

 いずれにしても,標高1200m超の荒れた高原に開拓集落があって,
 分校まであったというのは,驚きに値するところです。
>HEYANEKO様
レス有難うございました。やはりあの辺りで良かったんですね。
今度行った時には是非確認してみたいと思います。
(霊園まであったとは本当に驚きです!)
実は春頃にあの奥の牧場に行ったのですが、
廃ロッジのある周辺の道が大分整備されてしまって以前の面影がありませんでした。
そういえば、実家の父が奥の牧場の工事に携わった事があると
言っていたのを思い出しましたので、
今度聞いてみようかと思います。
大して覚えてはいないかもしれませんが…。
横根山の話題で盛り上がっている時に申し訳ないのですが・・・
写真は梶又小学校跡から少し離れた所で撮影したものです。
「この付近にゴミや生き物を捨てないで下さい!」という看板の前に猫がいました。
捨てられたのでしょうか。
「ゴミや生き物」という文言も悲しいです。
>敗猫さん
 「ゴミや生き物を捨てないで下さい!」の看板は,私も「なんなんだ!」と思いました。
 ということで,私も画像を確保しています(^_^;)
 画像の猫は,梶又小学校のだいぶ手前で見付けたヤツです。
 獰猛そうでしょ〜(^^;)
 「わいは生き抜くんや!」とばかり,目があうとそそくさと茂みに隠れました。
>うにゃさん
 お父さんが横根山の高原牧場の工事にかかわられたとのこと,何か面白い偶然ですね〜(^_^;)
 「関東霊園」の共同の墓石には「結集昭和45年5月」と刻まれており,横根山の廃村時期(昭和48年)より前からの施設だとわかりました。
 開拓集落との関係は,もちろん謎です(^^;)
 画像は4つ目の分岐箇所で,突き当たりがV字分岐,左手が横根山分校跡地,右手が「横根高原ロッジ」の廃墟です。
 分校跡には鉄棒らしきものがあったのですが,往時からのものかどうかは何ともです。
 その後の検索で見付けた足尾探索のページにもこの鉄棒らしきものは載っていて,そちらを見ると,私の画像よりは鉄棒らしく見えます(^^;)
 http://mike.catfood.jp/ashiophoto114.JPG
火曜日から水曜日にかけて,群馬県の上野村に行ってきました。
その折立ち寄った,上野東小学校野栗沢分校跡で,横根山で見たものとほぼ同じ形の鉄棒を見つけました。
地図に示された分校の場所と,鉄棒の場所は一致しており,鉄棒は往時からのものと見てよさそうです(^_^;)

上野村の廃村・本谷については,「群馬県の廃村」トピックで触れようと思います。
2月に入ったということで,「廃過疎3」,前日光編(梶又・横根山編),今朝アップしました(^_^)
 http://www.din.or.jp/~heyaneko/gh03.html
できてすぐの廃村と,痕跡がはっきりしない廃村のならびということで,どうなるかと思いましたが,
まずまず良く収まった感じです(^_^;)

栃木県にはもうひとつ,五十里(Ikari)というダム関係の高度過疎集落があるので,
春になったら出かけようかと画策中です。
前日光編の完成を祝して、梶又小学校3連発です。(^^;
>敗猫さん
 廃校の猫ですか… 訪ねたときに居たら印象に残るのでしょうけど,
 こう見ると,どれも小さ過ぎて,ピンと来ないですね〜(^^;)
 私が訪ねたときは,獰猛そうなのが一匹いただけでした。
 情況は刻々変わっているようです。
HEYANEKOさん>
猫はもともと小さい動物ですから、アップにしないとピンとこないですよね。
といってアップで撮ると、単なる猫の写真になってしまい、廃校の雰囲気が伝わりません。
廃校と猫のイメージを融合できないのは偏に撮影者の力量不足によるものです。(^^;

横根山の廃リゾート施設には強く惹かれるものがありますが、別プロジェクト進行中のため、しばらくお預けです。(^^;
梶又小「うさぎのおうち」もアップしておきます。
写真は04年10月時点のもので、05年11月にHEYANEKOさんが撮影した写真とは微妙に違いがあります。
どうもです。
春の彼岸ということで,那須塩原へお墓参りに出かけて,
その後,塩谷町東古屋(過疎集落)と旧藤原町五十里(高度過疎集落)に出かけました。
神社やお寺、お地蔵さんと顔を合わせていると、廃村フリークの初詣という感じになりました(^_^;)
写真左は東古屋の分校跡,右は五十里の分校跡です。
五十里分校が今の場所で開校していたのは,集落が湖に沈んでから10年少しのはずですが,
往時の雰囲気が色濃く残り,オススメです。
これで,栃木県の「廃村」3集落には,すべて行くことができました(^_^)
5月になったということで,「廃村3」,No.5「鬼怒川編」,ホームページにアップしました(^_^;)
http://www.din.or.jp/~heyaneko/
廃村と高度過疎集落,過疎集落の関係は微妙なのですが,
それぞれ追いかけることで,過疎の本質が見えるような気になった,五十里・東古屋への旅でした。
五十里分校の閉校時期(昭和46年)は,あまり自信がないので,
近々もう一度調べてみようと思います。
http://yamaro.asablo.jp/blog/2007/07/16/1658898

鹿沼市梶又の南摩ダム水没予定地を撮影してきました。
梶又小学校のネコは管理人さんが訪れた時より数が減っている感じでした。地元の方が餌やりに来ていました。
うさぎのいえも風化が進んでいます。
現地の地質調査らしきものも行われていました。
>やまろさん
 南摩ダム水没予定地、梶又小学校跡、なつかしく拝見しました。
 草の茂り方が夏らしい雰囲気ですね(^_^;)
 私が訪ねたのは、閉校(2006年3月)からまだ1年半後のこと。
 「うさぎのいえ」の看板の傷み具合に、年月の流れを感じました。
「村影弥太郎の集落紀行」の村影さんとのやり取りで、
4ヶ所が差し替わった「学校跡を有する廃村」リスト、
「4ヶ所とはどこか」、お知らせしようと思います。

東から西への順でまとめると、ひとつ目は栃木県旧田沼町の入飛駒地区です。
#村影さんのレポートでは、今倉となっています。
  http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/10.Gunma/Kiryu_Imagura.html

ここは、昭和43年に越県合併で群馬県桐生市に編入され、
昭和53年頃、桐生川ダムの建設により水没したというところです。
#このことは、村影さんとのやり取りで知ったことです。
桐生川ダムは、調べの対象になっていたのですが、
まさか栃木県側にこんなところがあるとは思いませんでした。

私が住む浦和からなら、余裕で日帰りで訪ねることができます。
ここの呼称は小集落名の今倉がよいか、
広域名の入飛駒もしくは入彦間がよいか、迷うところです。
#私は今のところ、多くの古い地図に記されている
#入彦間を使っています。
今年中に訪ねて、その様子から決めたいと思うところです。

「廃村(3)」では、「関東の廃校廃村は17ヶ所」と言い続けてきたのですが、
入彦間(今倉)が見つかって、18ヶ所になりました。
昨日(7/25(土))、群馬県桐生市の廃村 入飛駒今倉まで行ってきました。
#関東の廃校廃村 18ヶ所巡礼の18番目です(^_^;)

入飛駒は、昭和43年に栃木県田沼町から群馬県桐生市へ越県合併された地区で、
その中心集落が今倉です。
合併後、地名は梅田町5丁目になったので、入飛駒、今倉とも
知る人はあまりいないと思われます。
その後、昭和55年に桐生川ダムの建設により水没したので、
さらに印象は弱くなっている様子です。

 画像1:入飛駒今倉が水没している辺りの桐生川ダム湖
     ダム湖の名称は梅田湖で、湖の北側です。

 画像2:「水没跡地」の石碑
     地名が記されていないのも、影の薄さに拍車をかけています。

古い文県地図には「入彦間」という地名も載っているのですが、
地区名の入飛駒と集落名の今倉をくっつけて、表記しようとなりました。

 ●入飛駒今倉(Irihikoma-imagura) 桐生市(旧田沼町)
    入飛駒小学校、へき地等級1級、児童数82名(S.34)、
    昭和43年閉校

学校は桐生市への編入と同時期に閉校となったようです。
つまり「桐生市立入飛駒小学校」は存在しなかったことになるので,
リストでは,入飛駒今倉は栃木県として扱おうと思います。
越県合併があった廃校廃村は、リスト中では入飛駒今倉が唯一です。

浦和から入飛駒今倉までの所要時間は、現地滞在を含め往復7時間半。
足はバイクで、予想外の好天のため、気まぐれで走りました。
埼玉から日帰りで行ける初訪の廃校廃村は、これが最後となりそうです。
情報をいただいた、「村影弥太郎の集落紀行」Webの村影さんに感謝します。

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