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廃村コミュの石川県の廃村

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●私が確認した石川県の「学校跡を有する廃村」(学校の所在は昭和34年以降,以下 廃村と略す)は29ヶ所です(集落跡19ヶ所,高度過疎集落9ヶ所,冬季無人集落1ヶ所)。
 ※ '05年7月3日作成,'06年9月30日更新
 ※ へき地校の数 =108校

・石川県は,加賀と能登に大別されますが,廃村は加賀の両白山地の山間に集中しています。能登には廃村は見当たりません。また,加賀の廃村は,金沢市(7つ),小松市(6つ),山中町(7つ)という比較的市街地に近い山中に集中しています。
・石川県内には8つのへき地4級校がありました(金沢市二又,小松市新保・数納谷・木地小屋・津江,河内村奥池,白峰村下田原・赤岩)が,数納谷を除く7集落は集落跡・高度過疎集落となりました。また,石川県唯一のへき地5級校のある集落は輪島市舳倉島(離島)です。舳倉島分校(児童数59名(S.34))は現在休校中です(H.18)。
・規模の大きい廃村として,金沢市菊水(児童数59名),九谷焼で有名な山中町九谷(児童数53名)があります。また,児童数が1ケタの小規模分校が多い(12ヶ所)のは石川県の特徴です。
・石川県には主要鉱山として小松市の尾小屋鉱山(主要鉱物は銅,昭和46年閉山)がありましたが,鉱山関係の廃村は見当たりません。また,戦後の開拓集落の廃村も見当たりません。
・ダム関係の廃村は,金沢市堂・菊水=内川ダム,金沢市二又=犀川ダム,小松市小原・津江=大日川ダム,白峰村下田原=手取川ダム(貯水量 2億3100万m3=県最大,昭和54年竣工),山中町我谷=我谷ダム,山中町九谷=九谷ダムの8集落(6ダム)です。

コメント(9)

どうもです。
日曜日(6/22)、石川県小松市に出かけて、7ヶ所の廃村・高度過疎集落を見てきました。
その中には、全国で9ヶ所自治体規模の廃村、旧新丸村(丸山、花立、新保など)を
含みます。
土曜日(6/21)に、大阪で用事ができたもので、その帰路を北陸線回りにすることで、実現しました。
石川県の廃村に行ったのは、今回が初めてです。
足はレンタカー、天気は曇りのち雨、時間は6時間ちょっとでしたが、
雨ならではの味わいもあり、全県制覇に一歩近づいたと思うと、満足しました(^_^;)
これで残り18県になりました(^_^)

画像は、小松市の廃村 光谷(みつたに)に唯一残る建物「ふるさとセンター」と、
建物に張り付けられていた、往時の光谷の家屋配置図です。
「共同浴場って、どんな感じだったんだろう?」と興味が湧きました(^_^;)
分校は、「ふるさとセンター」右側の駐車場になっている空間にあった様子です。
光谷のへき地等級は3級、旧鳥越村の最終集落(出合)から光谷トンネルを越えて、
小松市最初の集落(池城)まで、すれ違うクルマは一台もありませんでした。
2月1日のWebの更新に備えて、昨年6月に訪ねた
石川県小松市の廃村 光谷(Mitsutani)の画像の
チョイスをしました。

光谷の廃村時期は昭和39年(サンパチ豪雪の翌年)、
今は「ふるさとセンター」という家屋が一軒あるのみです。

画像は、建物に張り付けられていた、往時の光谷の家屋配置図です。
2枚撮ったのですが、1枚目は全容は見れるが文字が小さくなる、
2枚目は文字は大きいが、ひずみや色斑が生じていると
その印象はどっちつかずでした。
ふと思いついて、トリミングをして仕上げたのが3枚目です。
根気よくやってみるもんですね〜(^_^)
更新には、3枚目を使うことになりました。
今日は一日、「廃村(6)」の小松編(平成19年6月)のまとめをしていました。
現在、レポートの積み残しは、板取編(平成18年11月)、小松編を加えると11本。
「早く仕上げていかないと…」と作業を続けていると、
しばらく旅には出れないかもしれません(^^)

 画像1:冬季無人集落 丸山の「町内会事務所」の看板がある
    木造二階建の建物
 画像2:丸山の廃屋に咲く花
 画像3:丸山の村の神様(谷郷社)
本日、月例(4月1日)の更新で、Webに昨年6月、小松市、白山市(旧鳥越村)の
廃校廃村を訪ねたときのレポートをアップしました。
  http://www.din.or.jp/~heyaneko/

小松市南部 山間の旧新丸村は、全国9ヶ所の自治体規模の廃村のひとつです。
そのうち岐阜県旧徳山村,福井県旧西谷村、旧上穴馬村、岐阜県旧脇ヶ畑村、
愛媛県旧石鎚村、東京都旧宇津木村、旧鳥打村はすでに訪ねており、
旧新丸村は8ヶ所目です。
残り1ヶ所(岡山県旧久田村)にも、来春ぐらいには回ってしまいたい
ところです。

自治体規模の廃村は、「村役場があったんだなあ…」と思えるところがよいですね。
多くの場合、学校後に加えて郵便局跡、農協跡などの公共施設もありますし(^_^;)
画像は、市立小松病院 新丸診療所跡の建物です。
旧新丸村のレポート、とても興味深く拝見しました。
今では住民登録上、丸山、花立、新保の3集落合わせて4世帯7人しかいません。少なくともここ5年ほどは同様です。
明治11年約1800人、昭和の大合併時(昭和31年)834人、昭和40年286人、昭和55年23人という数からすると、その過疎化ぶりに驚くばかりです。

旧新丸村を貫く国道416号線は1.5車線道路として、所々に待避所を設けつつ、福井県勝山市への延伸工事が続いています。尾小屋から丸山までの運転は大変ではなかったでしょうか。断崖絶壁で見通しが利かない隘路で行き違いもままなりませんね。
丸山で一部2車線道路になりますが、以前は宅地であったところを道路に転用したものです。
谷郷社ですが、丸山出身で東京で事業をされている方の寄進により、鳥居、狛犬、手すりなどが更新されました。

丸山から花立の間にある牛ヶ首峠に地蔵と明治期に建てられた旧新丸村青年団名の小さな記念碑があります。ここから旧大杉谷村への県道が分岐していますが、最近待避所が増設され、旧新丸村の各集落に入るにはこちらの方が容易かもしれません。

旧大杉谷村も過疎化著しいですが、現在、少年自然の家が改築中でまだまだ健在といったところでしょうか。大杉上町には戦前閉校した分校の記念碑があります。
何だかとりとめのない文章になってしまいました。
>_tetsuさん
 旧新丸村の情報、ありがとうございます。
 旧新丸村への道、行きは尾小屋−丸山の道、帰りは丸山−小原−阿手の道をたどりましたが、
 幸い運転に難はありませんでした。
 ダンプカーとのすれ違いとかあったら、焦っていたかもしれませんが…(^^)

 旧新丸村への道といえば、大杉谷−牛ヶ首峠経由の道も含めて、冬季はすべて通行止ですよね。
 もしもご存知でしたら、積雪時に閉まるゲートはどこになるのか、お教えくださいまし。
ゲート設置場所の手がかりとして一覧性のあるものは、「石川みち情報ネット」です。
http://douro.pref.ishikawa.jp/wire/main.html
通行止区間が図示されていますので、ゲートの設置場所もおおよそ分かるかと思います。左下の「広域・詳細」で一応、拡大はできます。今時珍しい雑な地図ですが・・・。
ご覧のように、現在、旧新丸村内の国県道は全て冬期通行止になっています。
尾小屋〜丸山間、旧大杉谷村〜牛ヶ首峠間いずれも二車線道路から一車線道路に変わる場所にゲートが設置されています。
一昨日、「HEYANEKOのホームページ」の月例の更新で、
「廃村(5)」に石川県のデータをアップしました。
  http://www.din.or.jp/~heyaneko/

石川県というと、全国で2校しかない夏季分校があった県です。
ともに白山市(旧吉野谷村)の所在で、鈴原分校、中宮温泉分校です。
中宮温泉夏季分校跡は、自然保護センター様の施設(中宮展示館)に
なっているとのこと。
いつか中宮温泉に泊まる旅に出かけて、
その折、立ち寄りたいと思います。
本日、へき地ブログに石川県旧山中町、九谷ダム 想郷の碑の
記事をアップしました。
  http://heyaneko.jugem.jp/

石川県の廃村の記事は11個目。まだまだ続きます。

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