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黒澤 明コミュの影武者

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信玄亡きあとの、彼の影武者と武田の重臣たちを描いた作品。

カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。

本作は次回作である『乱』のテストとして作られた(らしい)。


本作における勝新について述べるトピックはあるけど
作品自体についてのトピックはないようなんで作ってみました。

コメント(83)

>ヤッシィさん
>用心棒でのロウソク一本の暗さは、実際には
>照明を当てているのが丸分かりなんですよね

私的には別にふつ〜な感じで丸分かりとかそういうのは
まったく気にならなかったんですが、
そんなにヒドい感じなんでしょうか。
業界の人が見たらそうなんでしょうか。
私みたいな一般の観客にはあんま分かんないような…。
仮にあれが丸分かりだとして、
どういう意味で良くないんでしょうか?

で、黒澤サンは『用心棒』のあと、
『赤ひげ』において一本ローソクのシーンをいくつか作ってますよね。
私的にはあれは素晴らしいと思うんですが
(特に狂女のシーンとか長坊が担ぎ込まれる直前の
薬棚の前での保本と森の会話シーンとか)、
あれに関してはどうでしょう?

で、

>バリーリンドンを大絶賛した後に、
>「影武者」のロウソクのシーンで照明を使用するのは
>抵抗があったのではないでしょうか

ってことですが、絶賛したあとって抵抗があるんでしょうか。
黒澤サンはイイと思うものや技術は割と取り入れてた方だと思うんですが
(例えば砂ボコリとかフィルムの早回し(「コマ落とし」だっけ)とか)
そう考えるとあんましそのバリーなんとかってことのことは
影響ないんじゃなかろうか、と個人的には思いました。

あと、『影武者』の場合は日本映画における照明の権威である
佐野武治サンが照明を担当されてますよね
(私は業界人じゃないから詳しくは知らないけど)。

インタビューを見ると佐野サンと黒澤サンはちゃんと話し合って
作品の照明を決めていったそうですね。
そんでその途中、佐野サンは黒澤サンに対して
言いたいことはちゃんと言ったんだそうですね。
でもモメることはなかったそうで。

それで出来たのがあの照明ってことは、
当然ながら佐野サンの意見もかなり反映されてると思うんですが
そのあたりはどうでしょうか。
>キャベタロウさん
ご存知と思いますが、バリーリンドンはキューブリック作品です。
私は本作は未見ですが、
youtubeでは「Barry Lyndon」で検索されるといくらか参考画像は出てきます。
公開当時はロウソクの炎だけで撮ったということで、話題になりました。

>どういう意味で良くないんでしょうか?

その逆で、私は昔どうりの照明の使い方で、「影武者」を
撮ってほしかったのです。

「虹の橋」(日本アカデミー賞12部門、撮影:斉藤孝雄)を
例に出すと、最初に長塚京三による夜間の傘貼りシーンがあります。

小さな油皿の灯火一つなのに、大変明るい。そして俳優の影が全く揺れません。
それは油皿以外にも照明を使っているからでしょうけど
でも、この方が観客にとっては大変に見やすい。

「影武者」は照明を使っていないとは言いませんが、
限りなくロウソクに近づけたのが、それまでの黒澤作品と
一線を引く暗さに繋がっているのかな、と。

>あと、『影武者』の場合は日本映画における照明の権威である
佐野武治サンが照明を担当されてますよね

興味深いですよね。
直接、お話をお伺いできれば、その辺がハッキリするのですが。
公開時は映像美の極致といわれたバリーリンドンですが
今、見直すとちょっとボケぎみかもしれません
ところで、NHKBSで「風林火山」三船プロ69をやってます
三船さんが山本勘助、萬屋錦ちゃんが武田信玄ですオヨヨ
>ヤッシィさん
私は照明が丸分かりだってのは
物語(特に時代劇としての)リアル感が損なわれる感じがするんで
あんまし良くない感じかも、って思ったので

>あれが丸分かりだとして、
>どういう意味で良くないんでしょうか?

と質問させていただいたんですが
「その逆」で丸分かりの方がいいってことなんですね。
なるほど、そういうもんなのか。

で、
「(『虹の橋』の照明)の方が観客にとっては大変に見やすい」
っていうことですが、確かに見やすさって意味ではそうかもしれませんが、
映画的に見てその方がいいかっていうと、
それはヤッシィさんの個人的な感覚かもしれませんね。
私としては
「小さな油皿の灯火一つなのに、大変明るい。そして俳優の影が全く揺れない」
ってのはちょっとリアル感に欠ける感じがします。
で、もちろんそれも私の個人的な感覚ですよね。
あと「昔通りにやって欲しかった」っていうのも同様だと思います
(私的には昔通りでも『影武者』風でも両方楽しめました)。

ってことで、そういうやり方もありだけど、
別のやり方もあるってことだと思います。

ちなみにヤッシィさんがおっしゃってる
『影武者』のローソク一本の照明ってのは
どの場面のことなんでしょうか。
>キャベタロウさん

>ってことで、そういうやり方もありだけど、
別のやり方もあるってことだと思います。

そうです。ただ、映像的に不評を買った一番の理由だと
思って書きました。

新しい試みをするのは監督の自由なんですけどね。
ファン(の一部?)はこれまでの作品に色が付いたら、というのを
望んでいたわけで・・・。

>『影武者』のローソク一本の照明ってのは
どの場面のことなんでしょうか。

よく本数が分からなかったので1〜2本と書いていますが、
あまり回数を見ていないので、どの場面と説明するには
言葉が足りません。

これは宿題にして頂きますね。



照明の佐野武治氏が語る、この様な映像集がありました。
http://kobe.tv/cinemaken/?type=list&ctg=sano

私は残念ながらパソコンのCPUの制約上、観るのを諦めました。
右上の「映像再生について」をクリックして、
無料のプラグインをインストールすれば
Intel Macなら見れるようです。
PowerPC Mac でインストールを強行しましたが拒否されました(泣)
macbookでみれましたexclamation
いいインタビューですねわーい(嬉しい顔)

ただ、見終わってよーく考えると
「黒澤監督がいないといい映画が撮れない」
って結論なんですよねw
少し暗澹としちゃいました

まあ「いい映画」というとこれからCG等でできるかもしんないので語弊がありますが
黒澤映画の質感は黒澤さんがいないとできない
って事みたいですね、あたりまえっちゃあたりまえですが
私も何とか見れました。

停止ボタンを押して、読み込みのエネルギーバーを満たしてから再生、の繰り返しでした。

特に目新しい発見はなかったかも知れませんが、
ド素人のインタビューにも不快感を出されることもなく対応されていて、
面白く観ることが出来ました。

「夢」で川が、空を映りこんで白くならないように、大きな幕を使った等、
こんなことも照明が担当するのかという興味深い話が聞けました。
裏方の仕事ではあるので、取材はあるでしょうけど、
カメラによるロングインタビューは数少ない経験だったかも知れません。

KOBE TV(インターネットTV)は良い仕事をされましたね。



>龍征さん  はじめまして。

信玄→若山富三郎、影武者→勝新太郎
というのは初耳です。

若山が弟の武田信廉、勝新が信玄と影武者の二役という説は、ウィキペディアにも書かれているのですが。
今私は、このDVDを図書館で予約していて
待っている最中です。

ここを読んで、見所をお勉強しておきますね☆

楽しみわーい(嬉しい顔)
>龍征さん


若山さんの口から直接お聞きになったのですか。

黒澤さんは何度も配役予定を変更される方なので、
当初はそういう設定だったかも知れませんねぇ。





>龍征さん

ただのエキストラが近づける雰囲気でもないでしょうから、
台本を貰ったお友達もきっと名のある俳優さんなのですね。

影武者といえば、カラーの絵コンテを沢山描いておられますが、
黒澤さんは若い頃に白土三平の父から絵を教わっていたようです。

私は貰えるなら、絵コンテが欲しいです(笑)。





 龍征さん、初めまして・・・黒澤明大先生大明神の「サイン入り台本」なんて羨ましすぎますって!!

 ヤッシィさん 、初めまして・・・ましてや!御大御本人の「絵コンテ」なんて、手にはいるわけないでしょうが(T.T)!!

もしも本当に手に入ったら、、私が現在在住するハンガリー首都ブダペスト「映画博物館」から、寄贈を迫られるでしょうね〜(^_^)。

 でも、それで一年ぐらいタダ飲みさせてくれる可能性は大ですが・・。
ショーケンの自伝が出まして、只今読んでいるところですが
やぱ、黒澤さんとは
「尊敬するがウマが合わない」かんじだったみたいすね
昨日、久々に本作を観ました。

で今回気付いたのは
「上下関係の描き方が絶妙」ってこと。

特に最初のあたりの、山県昌景が信玄のいる館に訪れる場面と
二人の対面場面はホントに素晴らしいと思いました。

こういう感じで細かいとこもシッカリと描いてるから
信玄やその重臣達の重み、つながりが自然と感じられて
より作品の世界に入りやすいんだな〜
って思いました。
他のコミュで本作での影の見せ方についての意見があって、
それについて私も書き込もうと思ったんですが、
せっかくなんで先にこっちに記させていただこうと思います。

このトピックで以前、ショージさんが

>最初の3人が話している場面で、
>本物の信玄が立ち上がったときの影も大きい。
>存在の大きさを影で象徴させていますね

ってコメントされて、それに対して私は

>本物の信玄の場合は影ではなくて本人自身が巨大なわけだから、
>冒頭の信玄の影っていうのは
>たまたま後ろに影が映ってたってことなのかもと個人的には思うんです

とコメントしました。
が、今回改めて本作を見てみて
「たまたま後ろに影が映ってた」っていう
私の考えは間違ってた と思いました。

これが、冒頭のシーンだけだったらそうは思わないんですが、
作品全体のお話と影の見せ方の兼ね合いを踏まえると
やっぱり私の考えは間違ってたと思います。

続く
続き

本作の冒頭は、信玄と彼の影武者も担ってる弟の信廉、
そして主人公の三人が全員同じ姿、同じ大きさで映ってますね。
で、本物の信玄の後ろの壁には大きな影が映ってる。

本作は信玄の影武者が主人公だから
本物の信玄の影を強調してる、とも思えるんですが、
でも本物の大きさってことであったらすでに
・三人の中で真ん中に映ってる
・敷物(?畳?)に座ってることで画面上、最も上に映ってる
・武田家の家紋が後ろにある

ってことで示されてると思います。

続く
続き

私的に、影武者ってのは「実物の影の存在」であるから、
影武者を描く場合にこそ その影を強調し
「影武者は影の存在」ってことを象徴的に表現するなら分かります。

逆に本物(この場合は信玄)は影じゃなくて「本体」なんだから
その影を強調する意味はあんましないような気がします。

じゃなんで黒澤サンは冒頭のシーンで本物の影のみを強調し、
影武者の影を見せなかったのか。


私としては、それは「のちの場面のための前フリ、伏線」
だったのかも と思いました。

当然ですが、
本作の主役は信玄ではなくてその影武者ですね。
だから本作では信玄よりもその影武者を描いてるってことですよね。

だとしたら冒頭の場面の演出も
「信玄のことだけ」を描くのが目的ではなく
それを以って、主人公を描くってことかも
と個人的には考えました。

が、そのことを考えるには、まずは冒頭の場面において
どう描かれてるかの確認が必要だと思います。

続く
続き

冒頭の場面は、元々泥棒だった主人公が最初 信玄に対して
「俺は小泥棒だ。  国を盗るため数え切れねぇほど人を殺した大泥棒に
悪人呼ばわりされる覚えはねぇ!」
って言って批判しますね。

これはある意味的を射ているとも思えるかもしれません。
が、そのあと信玄は主人公に対して優しく
「確かにワシは強欲非道の大悪人だ。
ワシは天下を盗るためなら何事も辞さぬ覚悟だ。

血で血を洗う今の世に、何者か 天下を盗り、天下に号令せぬ限り、
その血の河の流れは尽きず、屍の山は築かるるばかりぞ」
と諭すように言いますよね。

その信玄の言葉と優しい言い方とオーラでもって
それまでいきり立ってた主人公は黙りますね。
でもって信玄が去ったあと、彼は深々と平伏す。

だからここは
「他の者が信玄に対して突っ込むが、その返答によって納得してしまう」
って場面ですよね。

続く
続き

で去っていくとき、信玄は立ち上がる。
ので、蝋燭の照明が下から当たって壁に映った影が大きくなる。
もうちょっと言うと
「影が本体よりもずっと大きくなる」ってことですね。

ってことで、冒頭の場面では、
信玄は
・その影は本体よりも大きい
・相手に突っ込まれても切り返し、相手を納得させる
・相手を納得させたあとは立ち上がる
・立ち上がったときはその影がより大きくなる

って感じで描かれてると思います。
それを踏まえ、そのあとの場面を見たらどうか。

続く
続き

主人公は最初は影が薄く、
重臣たちを裏切って盗みを働いて逃げようとするけど、
でも彼は途中で改心し、影武者として武田家に尽くすことを誓う。
しかしそこには多数の困難が待ち受けている。

その最初の難関は、信玄が死んだことを知らない二人の側室との対面。

単に話すだけならゴマかせるかもしれないけど、
側室ってことは夜を共にするわけだから、
その場合、本物の信玄にある背中の傷がないってことが分かり
それで影武者だということがバレるかもしれない。

ってことで、ここはどうやって切り抜けるかってことが本題になるわけですが、
案の定、二人の側室に「いつもと様子が違う」ってことで
「もしや偽者では…?」と疑われますね。

そこで、主人公は「もはやこれまで…」って言って諦た表情になって
「実はワシは 御屋形様の偽者じゃ」と打ち明ける。

けども、それはあえてそういう風に言うことによって
「まさか(笑)」って感じのお笑いごとにして
その場を切り抜けようっていう主人公の策であって、
実際、その策は見事に成功する。

これは冒頭の信玄の
「相手に突っ込まれても切り返し、相手を納得させる」
ってのと同じですよね。

続く
続き

上記の流れを踏まえてその場面を見ると、
最初、主人公の影は あぐらをかいて座ってる本体と同じ高さに映ってますね。

で、「もはやこれまで…」って言って、
同席した信廉が驚きの表情になる場面では、
影が本体よりも低くなりますね。
これは、「もはやこれまで…」って言って
ガックリと肩を落とすので、その分照明が上からあたることになるんで
同じくその分影が下になるわけですね。

ところが次に「実はワシは影武者で」と言うところになると一転、
影は本体よりも上に映る。
これはなんでかっていうと、彼が姿勢を正し正座姿になるからですね。

だから「もはや〜」のとことは逆に、
今度は下側から照明が当たることになり、
その分影が上に映るわけですよね
(あとは角度を変えたカメラの映像に切り替えてるってこともありますが)。

そんでこれは冒頭の「その影は本体よりも大きい」
っていう信玄の見せ方と同じ。

続く
続き

で、無事切り抜けたあと主人公は膝を崩し、再びあぐらをかきますが、
このとき、影は元通りにはならず、高いままですよね
(最初のあぐらのときよりも20cmくらい上に影が移動している)。
だから彼はその分、
最初よりも本物の信玄に近づいたってことだと思います。

そのあと、酒宴のお開きって感じになったとき、
二人の側室が(信玄だと思い込んでる)主人公に同時に近づく。

これは「今宵は私の部屋へ…」っていうアピールだと思いますが、
このときは主人公もまんざらないじゃない感じですよね。
でも、「御屋形様は病のあとで女人は近づけられません」
と信廉にビシっ!と言われてしまう。

このときの主人公の影って主人公よりも下に映ってますよね。
それはなんでかっていうと、
この場合、女人に心を動かすっていうのは
「信玄としての気持ちではなく、自分自身の下心」だからだと思います。
だからその分信玄らしさが下がり、影も低くなってしまった かも。

この場合の影は下に移動したわけじゃなくて、
カメラの角度を変え、それでもって本体よりも画面上において
影が下に見えるようにしてますね。

続く
続き

そんで、信廉に言われた主人公は側室のことをあきらめ、立ち上がる。

これは、冒頭の信玄の「話が終わったあと立ち上がる」ってのと同じ。

そのあと主人公は元に戻って信玄として振る舞い、
堂々とした態度で部屋をあとにする。

この場合、部屋を出るときは蝋燭の近くを通る(らしい)んで
その分 壁や天井に映る影はより大きくなり、
最後は画面を覆い尽くすほど巨大になりますね。

これは当然の如く、
武田家にとって影武者という「影」がその存在を大きくしている
ってことを表してると思えます。

そしてここも冒頭の信玄の、
「立ち上がることで本体よりも大きな影になる」ってのと同じですよね。

続く
続き

そしてもう一つ、冒頭よりも重要だと思える、
高天神城を攻めるか否かっていう大評定シーンの影の見せ方について。

ここでは信玄の息子の勝頼が、
影武者だと分かっててあえて「ここは、御屋形様のお指図を伺おう」
と言って主人公に話を振る。

大評定における信玄の決定っていうのは非常に大きなものだから
影武者である主人公にその判断はかなり難しい
(事情を知ってる重臣達もその瞬間、みな愕然としますもんね)。

そこで主人公である影武者はどうしたかというと、
ドッシリと落ち着いた態度で「動くな! 山は動かんぞ」と言うだけ。

でもそれだけで十分なんですよね。

続く
続き

最初の「動くな!」でみなハっ…!として居住まいを正し冷静になる。
そしてその言葉と「山は動かんぞ」とを言ったことで 出兵はなし
ってことになるわけですよね。

そうやって彼は見事にその場を切り抜ける。

だからここも冒頭の
「相手に突っ込まれても切り返し、相手を納得させる」と同じ。

そして、主人公はそのあとスックと立ち上がって広間を出て行くけど、
ここも「話が終わったあと立ち上がる」という冒頭の信玄と同じ。

でもって、ここでも蝋燭の照明で照らされ
冒頭の「立ち上がることで本体よりも大きな影になる」
ってのと同じになりますね。

続く
続き

上記のそれぞれの場面の類似部分を踏まえると、
本作ではそのときの展開や動きや影の見せ方によって
「信玄らしさ」を示してると思えます。

もう一つ言うと、
本作における信玄と主人公の影は
「信玄度」を計る
メーターのような役目を果たしてるとも言えると思います。

つまり影が本体よりも上に、そして大きくなればなるほど
主人公が信玄に近づいたってことが示されるってことだと思います。

ってことで、
冒頭の場面の信玄とその影は そこだけで完結してるのではなく、
その後の 主人公が成長する上での「本物の信玄っていうのはこんな人」
ってことを端的に表してる「サンプル」ってことかな と思いました。

だから冒頭の場面で信玄に影がなくても主人公の成長は分かるけど、
それがあった方がより明確に分かる、って感じでしょうか。

続く
続き

んで、大評定のシーンでは主人公の影を見せるとこと見せないとこを
お話の内容に合わせてシッカリ分けてますよね。

ここでは、主人公が「動くな!」と言うまでは
彼の影は画面には映らないんですよね
(彼が大きく映る場面は背中からの映像だから壁の影は映らない)。
で、「動くな!」と言ったあとの彼の影は
すでに本体よりも大きなものになってる。

この場面での主人公はすでに難関を突破してるし、
完全ではないものの それなりに大きな存在になってると思います。

が、この場面でヘタに最初から大きな影を見せてしまうと
この場面での主人公の成長ぶりが分かりづらいかもしれない。
ので、「動くな!」と言って
重臣たちがハっ…!としたとこから(つまり彼の活躍の部分から)
影の存在とその大きさを見せてるのかも と思いました。


「信玄の大きさ」、「信玄度」を示すって意味では
冒頭のシーンもそれなりに重要だとは思います。

が、「ここだけで主人公の成長ぶり、本物になったと分かる」
ってことと、
お話の内容に合わせて影の描き方をそれぞれに変える演出って意味で、
冒頭のシーンよりも
上記の二つのシーンの方がより重要かな と思いました。

続く
続き

んで、あと少しだけ本作における影の見せ方について。

上記のようなことを経て
主人公は本物の信玄のようになっていくわけですが、
でも彼は初めて経験する戦場では素人ぶりを露呈してしまいますね。
彼は敵の攻撃にビビって横向いたり思わず立ってしまったりする。

そして、周りの武者たちは影武者である主人公を守ろうと
人壁を作ってかばって防ぎ、次々と撃たれ 斃れていく。

彼はその壮絶な様をまざまざと見せ付けられ、
(事情を知ってる)側近に「貴様も 磔になった覚悟で、動くな!」
と言われ、そして再び床机に座る。

でも今度は敵が来ても全く動じず、
さらに引き上げていく敵を追撃しようとした自軍の部隊に対して
「動くな!」と一喝する(その変貌ぶりに側近が驚く)。
つまり「山」のように動かないわけですよね。
まさに信玄たる振る舞い。

続く
続き

ここでの主人公は、床机に座ってるときは正面からの照明で明るい。
けど、敵の襲撃で慌てて立って
味方の死体を見たりするときは後ろ向きになるので
顔や体の広い部分が影に覆われる。

そして、再び前に向き直り、姿勢を正すと、
再び前からの照明で影はなくなる。

ってことでこの場合、夜の外のシーンだから
横や下に影が出来づらいってこともあると思います。
が、いずれにせよ
落ち着いた采配をして、その姿に影が全く出来ないってことは、
主人公がついに本物の信玄と同じような人物に成り得た
ってことだと思います(まぁお話的にはそうですよね)。

続く
続き

そんで彼はその後 影武者として危なげなく過ごすわけですが、
でも館の中で馬から落ち、背中に傷がないことが見つかり、
ついに影武者であることがバレる。

ここでは、彼は馬から落ちたってことで
倒れ込んでうずくまってますね。
だから、この場合の影は体の下に、非常に狭い範囲でしかない。

あとこの場所は屋敷の軒下だから全体的に影になってる。
ので、主人公自身の影はほとんど無きが如しになってる。

ってことでここは、武田家において影の存在がなくなってしまった
って感じがします。

そんな感じで、『影武者』では冒頭シーン以外にも
多数の影についての演出が施されてるわけですが、
後半の戦場と影武者だとバレたときの影の見せ方は
けっこうこじつけっぽいっスね(笑)。

まぁでも途中部分において影の描き方が緻密なんで、
後半部分もそうかな、とは思ってしまいます。
本作の、絵画のようなカラー絵コンテを
(雑誌で)何点か見ました。

まぁ色彩等、絵的に素晴らしいというのは置いといて、
個人的に、場面によってレンズの使い分けを考慮して描かれてる
と思われる部分に興味を惹かれました。

例えば影武者が側室達と対面する場面や
信玄の亡骸を船で運ぶ場面や
長篠の合戦で、銃で撃たれて斃れていく騎馬武者の場面
等々は、黒澤映画でお馴染みの望遠的感覚で描かれている。

けども、長篠の合戦で織田・徳川軍が築いた
長大な馬止めの柵のカットは
普通の(もしくは広角)レンズ
を使って撮ったような感じになってる。


側室との対面・亡骸を運ぶ船・撃たれる騎馬武者
等々の場面は望遠的映像で
画面を凝縮させた方がその内容を
より良く表せると思えるし、
逆に馬止めの柵は普通(もしくは広角レンズ的)
に見た方が
画面手前からずっと奥にまで続く
長大な感じが表現出来て内容に合ってると思えます。

こういうのは
画面を自在にコントロール出来るマンガでもなかなかやってないのに
それを美しい絵コンテで表現してるってとこが素晴らしいし、
なんつってもそれを実際の実写で描いてしまうわけですから
ホントに凄いとしか言い様がありません。

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