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関羽 雲長コミュの関羽の息子たち

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関羽の息子たち

ほとんどの三国志ファンが、関羽の息子と言えば、「関平、関興、関索」とスラスラと答えることができるだろう。養父・関羽に忠実な関平、夷陵の戦いと北伐で活躍する青年武者・関興、そして南蛮征伐で活躍する関索。関平などは私の好きな武将の一人なのだが、彼らのイメージは、民間芸能や戯曲を母胎にして編まれた小説としての『三国志演義』によって作られたものである。では、関羽の息子たちの実像はどのようであったか?

◆関平について

正史『三国志』に関平が現れるのは、実に、わずか4箇所しかない。

?孫権がすでに江陵を占拠し、関羽の配下と妻子を尽く捕虜としたため、関羽の軍は四散した。孫権は将を派遣して関羽を迎え撃たせ、臨沮で関羽とその子の関平を斬った。(『蜀書・関羽伝』 ※この箇所、注に引く『蜀記』にも同様の記述がある。)

?関羽が初めて出兵して樊城を取り包囲した際、「猪」が足を踏んだ夢を見て、子の関平に言った、「わしも年をとって衰えたが、引き返すわけにはいかんのだ。」(『蜀書・関羽伝』 注に引く『蜀記』)

?(建安二十四年)十二月、潘璋の司馬である馬忠が、関羽とその子の関平、都督の趙累らを章郷で捕らえ、荊州を平定した。(『呉書・呉主伝』)

?孫権が関羽征討の軍を起こすと、潘璋と朱然は関羽の退路を断つべく臨沮に到り、夾石に駐屯した。潘璋の部下である司馬の馬忠が関羽とその息子の関平、都督の趙累らを捕らえた。(『呉書・潘璋伝』)

いずれも関羽とともに捕らえられたという記述があるのみである。また、正史には、関平が「養子であった」という記述は見えない。関平がいつから「関羽の養子」とされるようになったかは、?『三国志平話』、?宋元代の戯曲、 ?民間芸能、 ?民間信仰などを調べる必要がある。もしかしたら、既に調査した先行論文などもあるかも知れないが、いまは調べる手間をかけられないので、後の課題ということにしておく。

ちなみに?で関羽が夢に見た「猪」について。関羽ほどの豪傑が、なぜ「猪」の夢を見たぐらいで弱気になるのか?中国語では、「猪」は「豚」を指すことが多い。イスラム教など、豚を食べることをタブーとする民族は多い。いま、手元にある任騁氏の『中国民間禁忌(増補本)』(花山文芸出版社・1998)を見てみると、中国にも「豚」に関する様々な禁忌が存在していた(もしくは、現在も存在している)例が紹介されている。その中には、「漢族は“豚が来ると家が窮迫する”と考えている」という一節がある。おそらくは三国時代の頃にも、「豚」にまつわるそうした迷信が浸透していたのかも知れない。

◆関興について

正史では、『関羽伝』の末尾に関興の記事が付け加えてある。曰く、

関羽は死語、壮繆公と諡(おくりな)された。子の関興が後を継いだ。関興は字(あざな)を安国といい、若くから名声が高く、丞相の諸葛亮は彼を大器であると評価していた。二十歳にして侍中監軍となるが、数年して没した。

関興に関する記述は、わずかにこれだけである。二十歳にして抜擢されたのだから、たしかに有能ではあったのだろうが、『三国志演義』の関興の活躍は、完全な創作であるといってもよいだろう。ちなみに関興に関しては、正式に関羽の後を継いだ旨の記述があるのに比べ、関平はその字(あざな)すら記されていない。こうした事も、関平が「養子」とされる要因の一つであるかもしれない。

◆関索について

ご存じの方も多いと思うが、関索は正史には登場しない人物である。『演義』では、諸葛亮の南蛮征伐の折りに、「関羽の息子で、身をひそめて長らく養生しておりました」と現れる。その登場の仕方が唐突であるのに加え、南蛮征伐の後は一度も名前が出てこない、という不思議な人物だ。関索が何者であるかは不明だが、『水滸伝』の楊雄が「病関索」とあだ名されていたり、雲南・貴州一帯には「関索」にちなむ地名が残っていたりするなど、研究者も無視できぬ何者かとしての「関索」が確かに存在していた。

実は、この関索という人物をめぐって、『演義』の研究は近年、大幅な進展を見せたのだ。詳しいことは、いずれ「『三国志演義』研究概説(工事中)」の欄にまとめて書くが、1967年、上海市近郊の嘉定県の明代の墳墓から、成化年間(1465-87)に刊行された『花関索伝(かかんさくでん)』という書物が発見された。『花関索伝』は、関索一人が活躍する物語で、呉の呂蒙をうち破るなど荒唐無稽なものであるが、関索にまつわるそうした伝説が、民間に広く流布していたことを我々に示してくれた。『花関索伝』の発見を契機に、数多く残っている『演義』の版本の系統を調査しなおす研究が勃興し、その結果、『演義』の諸版本には、「関索」が登場するものと、「花関索」が登場するものの系列があることが判明する。そして、その違いを大きな指標として、複雑な版本の体系を整理する研究が一気に進んだという経緯がある。

『花関索伝』及び、『演義』の諸版本間の関係については数多くの論文が発表されているが、代表的・集大成的なものとして、以下の二冊を挙げておく。

・花関索伝の研究 (井上泰山・大木康・金文京・氷上正・古屋昭弘共著/汲古書院/1989)
・『三国志演義』版本の研究 (中川諭著/汲古書院/1998)

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