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三浦綾子コミュの今日はシネマ尾道で『母〜小林多喜二の母の物語』上映と上映後しまなみ交流館で開かれた「お話の会」が開かれました。そのご報告です。

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今日はシネマ尾道で『母〜小林多喜二の母の物語』上映と上映後しまなみ交流館で開かれた「お話の会」が開かれました。


それに出席した水戸さんが会の様子を知らせてくださいましたのでシェアさせていただきます。

-------------------------以下引用開始-------------------------
今日は、昨日からシネマ尾道で上映が始まった三浦綾子原作の『母〜小林多喜二の母の物語』の映画を見ました。映画館は補助いすを出すぐらいの大入りでした。その後、映画を観る会主催のお話し会が行われ、こちらも60〜70名と主催者の予想を超える賑わいでした。嬉しことです。尾道で上映したかいがありますね。

3人の講師の一人である、私のお話もタイムキーパーがおられる中、無事に15分′の持ち時間内で終えることが出来ました。

私が『三浦綾子と母について』
源田敏雄さんが『多喜二ってどんな人』
高垣俊雄さんが『尾道と多喜二のつながり』
という題でそれぞれお話をしました。


ロンさんのリクエストで、本日が私話した内容の概略を書きます。
私のお話の与えられた演題は「三浦綾子と母について」です。その内容は、「綾子さんのこと」を先ずお話し、次に綾子さんが「母」を書くに至った経緯をお話して、最後にセキさんのことについてお話をするように構成しました。


「綾子さんのこと」
綾子さんが軍国教師であったが、終戦の時に進駐軍からの教科書を墨塗させられたことで、ショックを受け学校を退職し、自暴自棄になって二重婚約をしたり、自殺未遂をし、その後の結核の治療生活に入ったことや、その時前川正により信仰に導かれたこと、前川さんの死、三浦光世さんとの出会いでカリエスが治り結婚したことを話しました。そして氷点が入選し、イエス様のことを知らせるために作家活動をつづけたことをお話ししました。


「母」を書くに至った経緯
次に母については、光世さんに書くことを勧められたこと、しかし書き渋っていると、母セキさんがクリスチャンであると知って取材始めたこと。そして多喜二の死がイエスさまの十字架の死にダブったこと。そして多喜二が殺されたことでセキさんは「神や仏もいない」と思ったこと。


セキさんのことについて
そんなセキさんは、多喜二の死後5年後に小樽のチマさんの所に引き取られ、チマさんが集っている小樽シオン教会の近藤牧師によってイエスさまのことが分かってきたこと。セキさんの愛唱讃美歌は山路越えてであること。
(ここで私はギター伴奏を録音したテープをカラオケに1番だけ歌った。)


セキさんの詩(ああ〜また2月が来た・・)をご紹介し、小説の最後の部分で、近藤牧師が聖書を開き「イエス涙流し給う」のことを話し、セキさんが腹に応えたこと。そして小説がきれいな夕映えのことで終わっているのは、夕映えが天国のことであり、セキさんはイエス様の手にすがりながら天国に昇り、多喜二に合ってることを想像させて終わっている。
ということなどをお話ししました。
-------------------------以下引用終了-------------------------

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